第23話 囮

 喉に割けた跡が残っていた。ニコニコしているものだから、余計にかわいそうだ。まだ声も出しにくいのか、少しかすれていた。そう簡単には治せないもんだな。それでも楽しそうに話しかけてくるので、僕の気持ちは救われた。

「お姫様がスープ作るっていうのよ。でもアラがダメって」

「どうしてだろうね。お姫様は料理してはいけないのかな?」

 他の子供たちを見渡した。ヒモムスをあげたのが、リーダー格のアラという。本人はほとんど食べていなかったが。黒髪が波打つ下、鋭い眼光をしていたが、それを僕の視線から逸した。レイはわたしは世話になっているので、できることはして恩返ししたいと訴えた。言っていることは正しいし、言いたいこともわかる。アラはレイは客人だから何もするべきではないと答えた。威厳はまぎれもなく盗賊団の団長様だ。

「あれ?」

 レイは突拍子もなく、

「もしかしてマズイとか?」

「そういうわけじゃねえんだけどさ。もし失敗したら、せっかく集めた肉とかもったいないじゃん?」

(ダイレクトだな)と僕。

「傷ついた。ひど……ひょっとしてわたしのマズイと思ってた?」

 僕にとばっちりだ。

「うまいとかまずいとかじゃなくてさ、思い出してみて。旅してるときとか、薪割りのときを。レイ、作ったことある?」

「作らせなかった?」

「被害妄想だよ」

 ほとんど買い食いか、盗み食いしかしてないし、料理をしたとしても捕まえたものを焼くか、干し肉の塩気で二人とも納得していた。

 と話す間もなかった。レイは一人で早合点して、ブツブツ言いながら立ち去った。どうせわたしはマズイもんしか作れませんからね。

「いつもあんななの?」

「おじさんが起きてから」

 トトが代わりに見上げた。

 アラが引き継いだ。

「ずっと黙り込んでたぜ。子供らには話してたけどな。俺はレイのこと怖かったもん。クソみたいなでっかい術使えるしよ。額にゃ魔眼もあるし。さすがに隠してもらってるけどさ。俺たちのためとはいえ、貴族街を焼き払ったとき、俺、震えたんだぜ。他のグループの奴らもビビってさ。おまえはあんな奴を手下にして何する気だと。あれでも貴族街て結界で守られてるんだぜ。それを結界ごと薙ぎ払いやがった。しかも呪文を唱えるとかないんだぜ。一瞬だよ。魔族ってのはなるほどなと感心しちまった。あんなもん勝てん」

 アラは焼け焦げて、へこんだ寸胴鍋に塩漬けの肉の塊をナイフで削ぎながら入れた。中は春に採れる野菜の切れっ端が入っていて、別の女の子がかき混ぜていた。

「滅多に話さないし、変なことしたら殺されると思ってたよ。もう俺たちが逃げるに逃げられないというかさ。バケモンだ。あの日声かけるんじゃなかったよな」

「でもわたし、レイ好きよ。旅のお話とか、獣に追いかけられたお話とかしてくれるもん」

「トト、心配するな。俺も嫌いじゃねえよ。奴はいい子だ」 

 アラはナイフで枝を割いて鍋に放り込んだ。一気に食欲をそそる刺激的な香辛料の匂いが充満した。

「ああ話すと、余計にいい子なのがわかる。よほど王子様が帰ってきたのがうれしいんじゃねえか」

「そうかな」

「そうかなじゃねえよ。あんたもたいがい空気読めねえな。見るからに浮かれてるじゃん。代わろう」

 アラは女の子の手から重くなった柄杓を取り上げた。

「俺は驚かされっぱなしだ。おまえが塔の騎士とやり合うのを見て驚いたよ。奴らは容赦ねえんだ。偉そうにするから嫌われてるが、偉そうにするだけのことはあるんだ」

「必死で逃げたんだよ」

「逃げてたのは見てりゃアホでもわかる。そんなんじゃない。逃げながら何人倒したって話してんだ」

「無我夢中で覚えてない」

 僕は苦笑した。

「月影の姫と名づけたのは?」

「さあね。俺たちも市場での噂で名前を聞いたんだ。他のグループから夜な夜な屠殺場を一軒一軒襲う剣士の話を知ってるかと。まさかと思ってたけど、レイを監視してたら夜更けに抜け出して、朝には帰ってきて寝てる。その日のうちに襲撃の噂が流れてくるんだ。外まで尾行したら知ってか知らずか追いつけない速さで闇に消える。たぶんレイだよ」

 やりかねんし、実際にやっていたということだ。二、三日いないと思ったら、しばらくして遠くの奴隷商人の館が燃やされたとか。つむじ風とともに奴隷商人の車が奴隷ごと谷へ落とされたとか。

 僕は笑った。

「奴隷ごと……」

「でもかすり傷すらねえし」

「レイ、いい人」

 トトがアラに訴えた。

 アラはこんな表情もするんだというような、やわらかな笑みで「そうだな」と答えた。そして薬缶からお茶を汲んだ。

「ええっと……王子様…?」

「シンでいい」

「シン、立ち話は疲れるだろ。そこいらに掛けてくれよ」

「気づかいありがとう」

 僕は鍋から少し離れた段差に腰を掛けた。渋い茶を飲んだ。

「苦いね」

「健康のためだよ」

 僕が驚いてみせると、

「うそだよ。誰か盗んだのがたまたまそういうもんだったんだ。飲んでやらないとかわいそうだろ」

「何かの薬だね」

「たぶんな。しかしなあ」

 十二歳くらいのアラは大人顔負けの話しぶりだった。チビチビ飲みながら、片手で鍋をかき混ぜる。

「待ち侘びた王子様がなあ」

「地味すぎたな」

 僕は飲んで顔を歪めた。

 妙な間。

「あんた本気で思ってるみたいだから言うけどさ。王子様とお姫様、あんたらくそヤバイぜ」

 僕もレイの同類か。


「食べないの?」

 レイは壁の穴で背を向けて膝を抱えていた。これ見よがしの拗ねた姿勢だった。まるで変わっていない。

「全部、食べるよ?」

「わたしの料理、まずいのか?」

「料理らしい料理なんて食べたことないだろ。僕のもだろ?」

 僕は素っ気なく答えて、汁を染み込ませたパンを口の中に入れた。

 渋々レイが食べ始めた。

「そもそも食べることなんて気にしてなかったしね」

「作った記憶はない」

「ほら見ろ」

「恩返ししないといけない」

「アラはそんなこと期待してるような奴じゃないね」

「おまえも思うか?」

 レイもパンをスプーン代わりに食べた。旨さに複雑な顔をした。アラは料理が上手だと呟いた。気持ちに素直なところは変わっていない。

「昔ここには地底を住処にする種族がいたんだってね」

 しばらく間が空いた。もう少しゆっくり食べなよと言って、苦いお茶を渡した。喉のパンを流し込んた後、苦さに殺してやろうかというような顔をした。

「だからあちこちの壁に住むスペースがあるんだ。この土地は彼らのものだったんだね」

「なぜいない?」

「そりゃ引っ越したか。殺されたか。もしくは逃げたか」

「逃げていればいいな」

「そうだね。レイの種族も同じかもしれない。いつか戻れる日を待ち侘びてるのかもね」

「殺したのは塔の連中か。わたしたちの仲間か。シンの仲間か」

「わからないね。僕たちの世界でも同じ容姿同士殺し合う。どこでも同じだよ。理由はいろいろある」

 僕は枕元の革袋を指で摘んだ。中身はアラたちが探してきてくれたのだと話した。武器も外套も。外套は血まみれで使えない。

「おまえはハンドアックスに術をかけてあるのか?」

 レイの問いに僕は息を止めた。

「いや。そんなことしたら。ここの出入口はいくつあるんだ?」

 レイも察した。自分の知っているのは、五つくらいだが、子供たちはもっと知っているはずだと。

「さすがに連中も全部押さえることできないよな」

「わたしアラに報せてくる。とにかくここは捨てないと」

 レイは巣穴から飛び出してアラのところに急いだ。僕はハンドアックスの匂いを嗅いだ。例えようのない、ほんのかすかだが、術特有の匂いがする。消えかけているが、簡単な術を施した跡が残っていた。

 レイは外套と荷物をまとめて戻ってきた。

「いつも使う出入口は使うのをやめさせるらしい。緊急用の出入口は下流にある。いつも使うのは貴族街と市場の間に出る」

「僕はそこへ」

 とりあえずレイは子供たちを導いてと頼んだ。

 アラが来て、

「火は消すよ」

 そして外にいる仲間に手引きしてもらえるように頼むと話した。

「ランプはある?」

「光が漏れるぞ」

「それでいい。僕は上流だ」

 僕はアラに革財布を渡した。

「何だよ、これ」

「預けておく。逃げられたら墓場に行って、でかい人と髭を三つ編みにした人がいる。彼らに会うんだ。信頼できる」

「一緒に逃げないのかよ」

 話している間、レイに連れられた十数人がアラの後ろを下流へと駆けていった。年長は年少を抱いていた。

「墓場で会おう」

「いやな待ち合わせ場所だぜ」

 アラは短く笑い、納得したように片頬を歪めた。彼は良いリーダーになれる。もうなっている。

「お姫様を頼むよ」

「断る」とアラ。「一緒に死にやがれ。他人の面倒まで見きれん。それに戻って来るに決まってる。そこんとこ空気読めねえと、これからおまえも苦労するぞ」

 アラは偉そうに言うと、下流へと駆け出した。下の逃げ口まで案内して戻ってきたレイとすれ違うのが見えた。何やら話したらしく、レイがアラの頭を小突いた。

「あちこちに脱出用の抜け穴があるらしい。後はアラに任せる」

「ではお姫様、ご指示を」

 僕はうやうやしく、火を灯したランプを彼女の前に掲げた。

「わたしに着いてこい。命が惜しいなら離れるな」

 僕たちはランプを掲げて悠々と歩いた。できるだけこちらに引き留めたい。アラ、僕たちはおまえを信じている。この厳しい街で、皆を養ってきたんだから、それくらいのことはできるはずだろ。恩返しにもならないが、僕たちを信じてくれ。

「アラは地底の種族よ。子供に見えるけど、ずいぶん年上」

「だから話さなかったのか」

「わたしたちは彼らとも戦ったことがある。昔話で聞いた。本当のところはわからないけどね」

「地底の住人も普通の顔だね」

「本の姿なんて塔の連中が描いたものにすぎない。嫌がらせだ」

「トトは?」

「あの子は違う。アラはそんなこと気にしてない。守らなきゃ死んでしまうから守る」

「男前だなあ」

「おまえより劣るがな」

 レイが答えた。

 僕は言葉を忘れた。

「冗談だ。変に照れるな。言ったこっちも恥ずかしくなる」

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