第11話

 水の音がしていた。

 わずかな落差を落ちる水がむき出しの岩に響いていた。

 僕は壁に掘られたくぼみに寝ていた。大人二人が入れるほどの空洞になっている。汗を拭いて、新しい部寝巻きに取り替えられた。ランプの光がわずかに揺れる中、二人の会話を聞くともなしに聞いていた。どこかしら幼さの残る話し方と馴染みのある声が静かに話していた。

 子守歌のようだ。

「これが王子様なの?」

「そうね」

 抱きかかえ直したのか、衣擦れの音がした。

「少しがっかりかなあ」

「ん?そう?」

「王子様はお姫様を迎えに来てくれるものよ」

「これじゃ、あべこべね。でもどうして王子様だとわかったの?」

「う〜ん……」

 僕は心の中で笑い、彼女は声に出して笑う。答えはないらしい。

「でもね、もうお兄ちゃんから離れちゃダメよ。お兄ちゃんたち必死で探したんだから」

「ちゃんと言う」

「それがいいわ。トトがいなくなっちゃうと、みんなは悲しむ」

「でもね、でもね」

「うん。わたしのために探してくれたのよね。見つけてくれてありがとう」

「どういたまして」

「いたしまして」

「いたまして」

 舌足らずだった。

「王子様ね、パンをくれたの。そのときね、レイの匂いがした。何となく王子様だって。パンの匂いじゃないの。よくわかんない。やさしい匂い」

「わたしと同じ?やさしい?」

 レイは静かに笑った。

「王子様、まだ起きないね」

「きっと疲れてるのね。必死で逃げてたもんね。どれくらい逃げてきたのかな。もうそろそろわたしたちも寝ようか。みんな寝てるかな」

「お兄ちゃんらはお宝を盗みに行くって話してた。できたら王子様の武器も持って帰るって。レイは一緒に寝てくれるの?あ、王子様のところで寝るよね。わたし、邪魔ね」

「そんなことないわよ」

「わたし、我慢する。王子様と一緒にいてあげて。わたしはみんなと寝るから大丈夫よ。お姫様はね、王子様の傍にいてあげないとね」

 二人の声は離れた。そして一人だけが戻ってきて、僕を覆う掛け布の中に入り込んできた。

「いつ目を覚ますの?覚ましてもわたしのこと忘れてる?」

 僕は彼女の声を聞いて、トトの言葉を思い出して笑った。

「起きてるの?」

「おませさんだね」

「聞いてた?意地悪だ」

「うつらうつらとね」

「いい子よ」

「いい子だ」

 ややもすれば冷たく見える顔が近づいてきて、青や紫が入り混じる瞳孔が輝いて、絞った灯りの下、見る見る涙に沈んだ。レイは額飾りを頬に押しつけてきた。

「バカ」

「ようやく白亜の塔から抜け出してきたのに。もっと喜んでくれよ」

「死んだかと思った」

「守ってくれたんだろ?」

 僕は重い腕を上げて、指で首のリングを撫でた。レイが額飾りを首筋に押し付けて、何度も静かにしゃくり上げた。

「待ってた」

「わかってる」

「わかってない」

「悪いことをしちゃったね。騙すつもりはなかったんだ。ああするしかなかった」

「今はいい」

「そうか。少し会わないうちに大人になったね」

「元気になったらぶん殴る」

「覚悟するよ。でも僕は妙な連中を連れてきたみたいだ。ここの子供たちは、レイがかくまってるの?」

「逆よ」

 レイは顔を埋めたまま、

「わたしがあの子たちにかくまわれてる。おまえと別れてから、わたしは村へ戻ろうと考えてた。そこに一人の子が近づいてきて、尾行されてると教えてくれた。どうしていいかわからないでいると、俺たちのところへ来いと。この地下の隠れ家に連れてきてくれたの。あの子たち、皆捨てられたり、親を亡くしたり子なのよ。不憫に思ったし、おまえにムシャクシャしたし……」

「月影の姫……」

「どうしてその名を?わたしがつけたわけじゃないけど」

「ビリケンさんらと三つ編みさんを覚えてる?僕は白亜の塔が出た後、墓場に行った。君に会えるかどうか期待してたんだけど、少なくともビリケンさんたちには会えたから正解だね。あの人らから聞いたんだ」

「生き埋めにされたところにいるわけないわ。トラウマだ」

「まあ、そりゃそうだね」

 僕自身、人を殺しておいて言うことでもないなと思いつつ、奴隷商人の吊るし首に貴族街での強盗、焼き討ちはよくないと話した。レイは自分ではないと答えた。

 間があいた。

 水の音が響いていた。

「吊るしてない?」

「首に付けた縄を枝にかけて引き上げた」

「言葉変えてるけど、それを吊るすというんだ。火は?」

「暖かい」

「連想ゲームじゃないよ。つけたんじゃないの?」

「つけてない。貴族街ごと薙ぎ払ったらあちこちで燃え始めた」

「ごとって」

「奴隷商人と手を結んでる連中なんて生かしておく気はない」

「やることが派手だな」

「怒ってる?」

 僕を不安そうに見た。

「怒ってるわけじゃないよ。僕も人を殺してる。覚悟はしてたけど、それでもひどい気持ちがするよ。慣れたくないけど、これは慣れるね。そんな気がするよ」

「うん……でもね……」

 レイは言いにくそうに話した。

 この子のたちは焼跡から手に入れたものを拾ってきては売るのだという。そうして暮らしている。市場で財布に手を出す連中、火事場泥棒、空き巣、人殺し、何でもして生き抜いている。この冬も何人も死んだと。春まで生き抜いても、まだまだどうにもならないことがある。次の冬まで生きなければならない。仕事なんて奴隷くらいしかない。そんな目に遭うなら、自分たちで生きようと考えているらしい。もちろん子供たち用の施設もあるが、たいていは散り散りに田舎の農家へと売られるのだということだった。誰も知らない土地で働くくらいなら、街で犯罪を犯してでも自由でいる方がマシだということか。

「わたしはあの子たちの英雄ろうなんて思わない」

「決めるのはあの子たちだね」

「ここにいるだけで十八人。他のところにもたくさんいる。この冬もたくさん死んだみたい。わたしは埋められていたからわからないけど」

「言葉に棘があるなあ。他にもいるのか。貴族街の焼け野原で襲われたのは、そういうことだったんだ」

「あそこは別の集団ね。あちこち縄張りがあるらしい。子供たちだけなのもあるし、大人もいるところもあるし、武装化してるところもあると聞いてる」

「屠殺場を襲撃しているとか」

「それはわたし。連中はおまえをひどい目に遭わせたんだ。当然の報いだ」

 なぜか僕は安心した。レイは揺らいではいないな。やられた分はやり返して何が悪いという主義だ。おまけに月影の姫などという立派な通り名までもらって。こうしている僕もお尋ね者なのかもしれない。かもしれないどころではないな。女王様はに逆らうことになるのだし。

 以後、月影の姫は、僕たちについてまわるようになるが、それはまた別の機会に話そう。まったくもって異世界のボニー&クライドだ。

「何か食べる?」

「喉が渇いた」

 レイはカップに水を注いだ。僕は上体を起こして、飲もうかどうか迷ってしまった。下水の中だ。

「煮てある」

 レイは背を腕で支えてくれた。

「旅のときに教えてくれただろ。水には見えない毒があるって」

「そうだったかな」

 僕は思い出そうとしたが思い出せなかった。まだ熱の残る水を少しだけ飲んだ。そして軋む体を気づかいながら横たわった。弱いところを見せたくないが、レイは気にもかけていない。僕を介助してくれた。

「ありがとう。僕は弱すぎる」

「気にしないで。おまえは呪術であの子の喉を治した」

「違うよ」

 僕は首からぶら下げた革袋がなくなっていることに気づいた。レイが自分の首から革袋を外した。

「これか?」

「その中の石のおかげだ」

「何もないぞ」

 レイは袋を指で指で裏返しにしてみせた。それから紐をくるくると巻いた。そうか。使ったから消えてしまったのだな。僕自身、使った覚えはないが、たぶん使ったんだ。

「よかったの?」

 膝を抱えたレイが心配そうに覗き込んだ。よかったも悪かったもない。あの子が生きているんだ。

「お守りを入れていたんだけど追われてるときに落としたみたいだ」

 僕は天井に絵を描いていた老人の話をした。レイも不思議な雰囲気に圧倒されたことを覚えていた。

「治癒の術、壊れたものを戻す術を覚えたつもりだったけど、実際にやるのは難しい。疲れ果てたよ」

「言葉も術も覚えた」

 レイは膝に顎を乗せて、

「あれだけ剣も使える。もうわたしはいらないかもしれない」

「つまんない。必要だとか不要だからじゃなくて、ただ会いたいから逃げてきた」

「でもいずれおまえはあちらの世界へ戻らなければならないんだ」

「勝手に決めつけるな」

 水を飲んだら眠くなってきた。重い瞼を閉じると、レイが隣に入ってくる気配がしつつ眠りに就いた。

「強くなりたいよ」


 二日後、ようやく起き上がることができた。穴蔵の下には血まみれの二本のハンドアックス、外套とリュックが置かれていた。子供たちが現場で集めてきたものだ。その中に琥珀のカケラもあった。幾分小さくなっているような気もするが、紛れもない革袋に入っていたものだ。しばらくあらゆる方向から眺めていたが、これが力を貸してくれたのかどうかわからない。この石が呪術の源ならば消えているだろうし、もしこれさえ持っていれば誰でも使えるとなると、呪術など学ばなくてよいようになる。など考えつつ、琥珀を革袋に戻した。

 僕は壁の窪地から這い出して、全身の筋肉を伸ばし、下水や排水が地下水と一緒に流れる小さな流れに用を足した。もぐらのような生活でも、あちらこちらから漏れ入る光が、少なくとも朝昼くらいは教えてくれる。あちこちが軋んだ。

 体の怠さも、一時を思えばとれてきたものの、しかし治癒の呪術というのは、とんでもなく反作用があることを思い知らされた。もはや使う者の命を与えているのではないかと感じるほどだ。

 倒れて丸々、五日くらいか。

 上流から声が聞こえた。

 僕は壁沿いに声へ近づいた。歩くたびに、まだふわふわする。

 そこは少し広い穴で、何やら揉めていた。わたしが作るという声はレイだが、必死で止めようとしているのは子供たちだった。

「どうしたの?」

「おじ、王子様」

 おじさんって言いかけた?


 喉に割けた跡が残っていた。ニコニコしているものだから、余計にかわいそうだ。まだ声も出しにくいのか、少しかすれていた。そう簡単には治せないもんだな。それでも楽しそうに話しかけてくるので、僕の気持ちは救われた。

「お姫様がスープ作るっていうのよ。でもアラがダメって」

「どうしてだろうね。お姫様は料理してはいけないのかな?」

 他の子供たちを見渡した。ヒモムスをあげたのが、リーダー格のアラという。本人はほとんど食べていなかったが。黒髪が波打つ下、鋭い眼光をしていたが、それを僕の視線から逸した。レイはわたしは世話になっているので、できることはして恩返ししたいと訴えた。言っていることは正しいし、言いたいこともわかる。アラはレイは客人だから何もするべきではないと答えた。威厳はまぎれもなく盗賊団の団長様だ。

「あれ?」

 レイは突拍子もなく、

「もしかしてマズイとか?」

「そういうわけじゃねえんだけどさ。もし失敗したら、せっかく集めた肉とかもったいないじゃん?」

(ダイレクトだな)と、僕。

「傷ついた。ひど……ひょっとしてわたしのマズイと思ってた?」

 僕にとばっちりだ。

「うまいとかまずいとかじゃなくてさ、思い出してみて。旅してるときとか、薪割りのときを。レイ、作ったことある?」

「作らせなかった?」

「被害妄想だよ」

 ほとんど買い食いか、盗み食いしかしてないし、料理をしたとしても捕まえたものを焼くか、干し肉の塩気で二人とも納得していた。

 と、話す間もなかった。レイは一人で早合点して、ブツブツ言いながら去った。どうせわたしはマズイもんしか作れませんからね。

「いつもあんななの?」

「おじさんが起きてから」

 トトが代わりに見上げた。

 アラが引き継いだ。

「ずっと黙り込んでたぜ。子供らには話してたけどな。俺、レイのこと怖かったもん。クソみたいなでっかい呪術使えるしよ。額にゃ魔眼もあるし。さすがに隠してもらってるけどさ。俺たちのためとはいえ、貴族街を焼き払ったとき、俺、震えたんだぜ。他のグループの奴らもビビってさ。おまえはあんな奴を手下にして何する気だと。あれでも貴族街て結界で守られてるんだぜ。それを結界ごと薙ぎ払いやがった。しかも呪文を唱えるとかないんだぜ。一瞬だよ。魔族の頂点に立っていた種族ってのはなるほどなと感心した。あんなもん勝てん」

 アラは焼け焦げて、へこんだ寸胴鍋に塩漬けの肉の塊をナイフで削ぎながら入れた。中は春に採れる野菜の切れっ端が入っていて、別の女の子がかき混ぜていた。

「滅多に話さないし、変なことしたら殺されると思ってたよ。もう俺たちが逃げるに逃げられないというかさ。バケモンだ。あの日、声かけるんじゃなかったよな」

「でもわたし、レイ好きよ。旅のお話とか、獣に追いかけられたお話とかしてくれるもん」

「トト、心配するな。俺も嫌いじゃねえよ。奴はいい子だ」 

 アラはナイフで枝を割いて鍋に放り込んだ。一気に食欲をそそる刺激的な香辛料の匂いが充満した。

「話すと、余計にいい子なのがわかる。よほど王子様が帰ってきたのがうれしいんじゃねえか」

「そうかな」

「そうかなじゃねえよ。あんたもたいがい空気読めねえな。見るからに浮かれてるじゃん。代わってやる」

 アラは女の子の手から重くなった柄杓を取り上げた。

「俺は驚かされっぱなしだ。おまえが塔の騎士とやり合うのを見て驚いたよ。奴らは容赦ねえんだ。偉そうにするから嫌われてるが、偉そうにするだけのことはあるんだ」

「必死で逃げたんだよ」

「逃げてたのは見てりゃアホでもわかる。そんなんじゃない。逃げながら何人倒したって話してんだ」

「無我夢中で覚えてない」

 僕は苦笑した。

「月影の姫と名づけたのは?」

「さあね。俺たちも市場での噂で名前を聞いたんだ。他のグループから夜な夜な屠殺場を一軒一軒襲う剣士の話を知ってるかと。まさかと思ってたけど、レイを監視してたら夜更けに抜け出して、朝には帰ってきて寝てる。その日のうちに襲撃の噂が流れてくるんだ。外まで尾行したら知ってか知らずか追いつけない速さで闇に消える。たぶんレイだよ」

 やりかねんし、実際にやっていたということだ。二、三日いないと思ったら、しばらくして遠くの奴隷商人の館が燃やされたとか。つむじ風とともに奴隷商人の車が奴隷ごと谷へ落とされたとか。

 僕は笑った。

「奴隷ごと……」

「でもかすり傷すらねえし」

「レイ、いい人」

 トトがアラに訴えた。

 アラはこんな表情もするんだというような、やわらかな笑みで「そうだな」と答えた。そして薬缶からお茶を汲んだ。

「ええっと……王子様…?」

「シンでいい」

「シン、立ち話は疲れるだろ。そこいらに掛けてくれよ」

「気づかいありがとう」

 僕は鍋から少し離れた段差に腰を掛けた。渋い茶を飲んだ。

「苦いね」

「健康のためだよ」

 僕が驚いてみせると、

「うそだよ。誰か盗んだのがたまたまそういうもんだったんだ。飲んでやらないとかわいそうだろ」

「何かの薬だね」

「たぶんな。しかしなあ」

 十二歳くらいのアラは大人顔負けの話しぶりだった。チビチビ飲みながら、片手で鍋をかき混ぜる。

「待ち侘びた王子様がなあ」

「地味すぎたな」

 僕は飲んで顔を歪めた。

 妙な間。

「あんた、本気で思ってるみたいだから言うけどさ。王子様とお姫様、あんたらくそヤバイぜ」

 僕もレイの同類か。


「食べないの?」

 レイは壁の穴で背を向けて膝を抱えていた。これ見よがしの拗ねた姿勢だった。まるで変わっていない。

「全部、食べるよ?」

「わたしの料理、まずいのか?」

「料理らしい料理なんて食べたことないだろ。僕のもだろ?」

 僕は素っ気なく答えて、汁を染み込ませたパンを口の中に入れた。

 渋々、レイが食べ始めた。

「そもそも食べることなんて気にしてなかったしね」

「作った記憶はない」

「ほら見ろ」

「恩返ししないといけない」

「アラはそんなこと期待してるような奴じゃないね」

「おまえも思うか?」

 レイもパンをスプーン代わりに食べた。旨さに複雑な顔をした。アラは料理が上手だと呟いた。気持ちに素直なところは変わっていない。

「昔、ここには地底を住処にする種族がいたんだってね」

 しばらく間が空いた。もう少しゆっくり食べなよと言って、苦いお茶を渡した。喉のパンを流し込んた後、苦さに殺してやろうかというような顔をした。

「だからあちこちの壁に住むスペースがあるんだ。この土地は彼らのものだったんだね」

「なぜいない?」

「そりゃ、引っ越したか。殺されたか。もしくは異世界へ逃げたか」

「逃げていればいいな」

「そうだね。レイの種族も同じかもしれない。いつか戻れる日を待ち侘びてるのかもね」

「殺したのは塔の連中か?わたしたちの仲間か。シンの仲間か?」

「わからん。僕たちの世界でも同じ容姿同士殺し合う。どこでも同じだよ。理由はいろいろある」

 僕は枕元の革袋を指で摘んだ。中身はアラたちが探してきてくれたのだと話した。武器も外套も。外套は血まみれで使えない。

「おまえはハンドアックスに術をかけてあるのか?」

 レイの問に、僕は息を止めた。

「いや。そんなことしたら。ここの出入口はいくつあるんだ?」

 レイも察した。自分の知っているのは、五つくらいだが、子供たちはもっと知っているはずだと。

「さすがに連中も全部押さえることできないよな」

「わたし、アラに報せてくる。とにかくここは捨てないと」

 レイは巣穴から飛び出してアラのところに急いだ。僕はハンドアックスの匂いを嗅いだ。例えようのない、ほんのかすかだが、術特有の匂いがする。消えかけているが、簡単な術を施した跡が残っていた。

 レイは外套と荷物をまとめて戻ってきた。

「いつも使う出入口は使うのをやめさせるらしい。緊急用の出入口は下流にある。いつも使うのは貴族街と市場の間に出る」

「僕はそこへ」

 とりあえずレイは子供たちを導いてと頼んだ。

 アラが来て、

「火は消すよ」

 そして外にいる仲間に手引してもらえるように頼むと話した。

「ランプはある?」

「光が漏れるぞ」

「それでいい。僕は上流だ」

 僕はアラに革財布を渡した。

「何だよ、これ」

「預けておく。逃げられたら墓場に行って、でかい人と髭を三つ編みにした人がいる。彼らに会うんだ。信頼できる」

「一緒に逃げないのかよ」

 話している間、レイに連れられた十数人がアラの後ろを下流へと駆けていった。年長は年少を抱いていた。

「墓場で会おう」

「いやな待ち合わせ場所だぜ」

 アラは短く笑い、納得したように片頬を歪めた。彼は良いリーダーになれる。もうなっている。

「お姫様を頼むよ」

「断る」と、アラ。「一緒に死にやがれ。他人の面倒まで見きれん。それに戻って来るに決まってる。そこんとこ空気読めねえと、これからおまえも苦労するぞ」

 アラは偉そうに言うと、下流へと駆け出した。下の逃げ口まで案内して戻ってきたレイとすれ違うのが見えた。何やら話したらしく、レイがアラの頭を小突いた。

「あちこちに脱出用の抜け穴があるらしい。後はアラに任せる」

「ではお姫様、ご指示を」

 僕はうやうやしく、火を灯したランプを彼女の前に掲げた。

「わたしに着いてこい」

「命が惜しいなら、僕から離れるな」

「わたしのセリフだ」

「僕のだ」

「ムカツク」

 僕たちはランプを掲げて悠々と歩いた。できるだけこちらに引き留めたい。アラ、僕たちはおまえを信じている。この厳しい街で、皆を養ってきたんだから、それくらいのことはできるはずだろ。恩返しにもならないが、僕たちを信じてくれ。

「アラは地底の種族よ。子供に見えるけど、ずいぶん年上」

「だから話さなかったのか」

「わたしたちは彼らとも戦ったことがある。昔話で聞いた」

「地底の住人も普通の顔だね」

「本の姿なんて塔の連中が描いたものにすぎない。嫌がらせだ」

「トトは?」

「あの子は違う。アラはそんなこと気にしてない。守らなきゃ死んでしまうから守る」

「男前だなあ」

「おまえより劣るがな」

 レイが答えた。

 僕は言葉を忘れた。

「冗談だ。変に照れるな。言ったこっちも恥ずかしくなる」


 いつもの出入口のいくつかから兵士が侵攻していた。僕はランプをレイに持たせた後、暗闇の中、兵士に襲いかかった。天井は低く、剣など振るえるはずもなく、二人が汚水に倒れた。ランプを目指した一人が簡単に壁に打ち付けられて死んだ。

「シン、強い」

「あれだけ薪割りしたからね」

「薪と頭は同じか」

 そういうわけではないが、少し後ろめたい気持ちを除けば、似たようなものだ。この世界に適応しすぎたかもしれない。

「あれは斥候だな」

「セッコウ?」

「何て言えばいいのかな。どれくらいいるか探りに来た」

「偵察か」

「うん。そうだね」

「だから弱いのか」

「弱いのかな」

「倒れた奴は弱い」

 出入口から石段を這うように煙が降りてきた。ただの煙ではないような気がした。いぶし出そうとしているのか。いや、焼き殺そうとしているのか。違うな。毒煙だ。一瞬僕は焦ったが、そんな余裕もないくらいに爆風が階段から路地までを吹き飛ばした。レイと一緒ならば策も何もあったものではない。彼女の術が整地された石畳ごと地上の兵士を文字通り砕いた。別々に剣もつ手、膝から下の足、頭が飛び散るのが見えた。僕は壊れた石段の残骸を蹴るようにして駆け上がると、地上に出て、うろたえる兵士の二人の背をハンドアックスで砕いた。やけに大胆な秘密の出入口だ。大胆にしたのはレイだ。もうここの地下は使えないたまろう。囲んでいた兵士のほとんどが地崩れに巻き込まれ、残りの数人はハンドアックスで、剣ごと血飛沫に沈んだ。カンパの姿が見えたので、僕は走り込んだ。

 どういうわけか見えた。

「ここだ!」

 結界の弱いところにハンドアックスを叩きつけると、ガラスのように割れた。まさか簡単に割られると思っていたかったカンパは転がるように背後に逃げた。

「逃げるのかっ!」

 横からのフィリの剣が僕の脇腹をかすめた。

 僕はカンパを右の武器で制し、左手で対峙した。

 頭上の屋根にはレイがランプを手にしていた。外套をなびかせ、振り抜いた腕から光の手刀がカンパを襲った。かろうじてカンパの短剣に施された呪詛がレイの光輪を跳ね除けたが、すかさず第二の光の矢が降り注いだ。さすがのカンパも、

「とんでもない!奴の術は呪文がいらないのか!なんて速いんだ!」

「泣き言言うんなら帰れ」

 フィリが叫んだ。

 カンパは倒れた味方の兵士に隠れて、それを盾にした。結界を張るのが見えた。僕は右手にハンドアックス、左手で誰のものともわからない石畳に落ちる剣を取り上げた。

「仲間は一網打尽だぞ!」

 カンパは死体の陰から舌をもつれさせるように叫んだが、僕は「そんな下手は打たない」と答えた。

「やけに信頼してるな」

「フィリ、僕にも君にも一撃しか余裕はないよ」

「舐めるな、半人前が」

 僕は左で踏み込んだ。フィリは稽古のように剣を払い上げて、懐に飛び込んできた。僕の右手は左腰のハンドアックスを掴む。抜き様、それは弧を描いて、フィリの剣ごと右下へ叩きつけた。もう少しで腕ごと打ち付けるところだったが、惜しかった。同時に左の剣をフィリの気を引くように捨てると、その空いた左手で右腰のハンドアックスを水平に走らせた。フィリは身を反り、かわして間合いをとる。目の下に一筋の傷ができた。続けて、右手のハンドアックスごと踏み込む。何とか飛び退いたフィリは血まみれの顔で呻いた。左手の甲で血を拭いながら、胴巻きから呪詛を施した短剣を抜いた。それを右のハンドアックスが狙ったが、そう簡単ではなかった。

「貴様、右利きか」

「そうなんだ。塔では左の訓練をしていたんだ。だから一撃しかできないって言っただろ?」

「ことごとくわたしをコケにしていたのか。いつか逃げる機会を待っていたわけだな?」

「そうだよ」

「演技をしていたんだな」

「このリングのおかけで守られていたんだ。あの世界は変だよ」

「貴様は信じさえすれば穏やかさを得ることができた!」

「そうかもしれない。でも信じる気にもなれなかった」

 僕はフィリに間合いを詰めた。今まさに殺そうという、殺されようという勢いだ。しかしすかさず相手の脇をすり抜けるように、転がる死体を飛び越えた。彼女は短剣を構えていたが、構わず逃げた。貴族屋敷の焼き野原の上を走る。レイが運河沿いに走るのが見えた。できるだけ目立つようにして、他の兵士をも引き付けたい。街を守る兵士である青の制服姿も増えてきた。レイも同じ考えで派手に走る。同じ考えなのか怪しいが、信じよう。敵を容赦なく光や風の矢で打ち抜いた。石畳の破片があちらこちらに飛んだ。このままでは街全体を壊す勢いだ。同じ考えでないかもしれない。僕は何とか声をかけて呼び寄せた。敵より味方の方が危ないとは、心強いのか?

「あの子たち逃げきれたかな」

「アラならできる」

 と、レイは答えた。 

 僕も信じた。



 

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