第21話 琥珀
あの子にはあの子の人生があるんだしな。僕もあっちの世界へ戻るかもしれない。あのときレイに即答できなかった。それにしても悪人になっているとは……いや、素地は見え隠れしていたな。まったくの善人ではないな。どう育てれば、あんな性格になるんだろうか。待てよ。一緒にやってきたのは誰だ。僕か。墓に埋めたのが間違いなのか。あれで性格が炎で燃やされたナイロンのようにねじれたんだ。その前からねじれていた。そもそも村でどんな暮らしをしていたんだ。こんなところで考えていてもはじまらない。
「捕まえるか」
意を決した僕は世話になった後追い出された貯木場へと行った。清々しいまでに焼き打たれていた。
「すみません。僕はここに世話になっていたもんですが」ハンドアックスを見せた「去年までここにいた経営者のじいさんは?」
「死んだよ。でかい男と髭を三つ編みにした男に脅されたいた。何でも死者への敬意はないのかとか」
「彼らが?」
「関係ないな。月影の姫に串刺しにされて焼き殺されたらしい」
僕は川沿いの廃墟に残る束石に腰を掛けた。野宿にしよう。とにかく月影の姫とやらに挨拶しないといけないと考えたのだ。もしそれがレイならば、強盗、焼き討ち、吊し首はいただけない。それらが彼女の仕業ではないとは言いきれないところがもどかしい。もどかしい?自分にうそはいけない。半ば以上、ほぼレイが犯人だ。考えるのも面倒になってきたので、夕暮れまで寝た。そして起きると、鉄の棒をこすり合わせて火を起こし、焚き火の上で朝仕入れたパンを焼いた。乾燥肉も焼いて食べた。これは焼かない方がいい。口の中が炭の味しかしない。
誰か来た。
朝の子供だ。
「おじさん」と。
しばくぞっ!
「おじさん、王子様?」
「王子様はお城に住んでるんだ」
おじさんが王子様なら、お姫様はおばさんになるな。女の子は僕の傍に来たので、もう少し早ければパンがあったのにと笑った。しかし彼女は笑わないで、僕を見つめた。
「何か子どもでも食べられるものはあるかな。アメがあるか」
「おじさん、囲まれてるよ。わたしね、朝からずっと探してたの」
「僕を?」
僕は少しピリつく喉の輪を撫でてみた。そういうことかと呟いた。
「お姫様はね、王子様がね、助けに来てくれるの待ってるの。お話してくれたの。もう自分のこともお姫様のことも忘れてるかもしれないけど、それでも会いたいから待ち続けてるお話。待つのにも理由なんていらない。ただ会いたい。いつもわたしに話してくれるの。とてもやさしい王子様だから、今度わたしにも会わせてくれるんだって」
必死で話した。それだけを伝えるために来てくれたのか。そのうちにも首の印の疼きが強まる。急がないといけない。しかし絶対にこの子を巻き込んではいけない。
「泣いてるの?」
「そっか。きっと会えるよ。わざわざ報せに来てくれてありがとう」
「ど、どういたまして」
彼女ははにかんだ。
「帰るところあるね。よし。急に動いたらいけない。来たように帰るんだよ。僕の言うようにして」
アメの袋を一つあげると、僕の言うように喜んだふりをして、子供は帰っていった。残った僕は、後ろから近づいてきた影に外套を投げつけて、ハンドアックスを脳天に打ち下ろした。剣ごと相手を粉砕したようだ。意外に罪悪感はない。考える暇はなかったのと、死体を見てないからかもな。そのまま死体を乗り越えて、僕は水路沿いを下流へと走り抜ける。女の子とは反対へ。木橋の下を滑り込むようにしてくぐり抜けて、勢いのまま水路の対岸へ駆け上がった。おっ!?突いてきた剣をとっさに腋の下でかわして、その腕にハンドアックスを打ちつけた。今度は上流へ走る。拾い上げた剣を握った手を抜いた。すかさず追手の方へ踵を返すと、身を低くして剣でスネを薙いだ。倒れた相手の手首を剣で突き刺し、飛び越えて、もう二人と斬り結ぼうとすると見せかけた。
すれ違うのもやっとの狭い路地へ逃げた。振り向き樣、剣を岩の壁に突き刺した。追手が止まりきれず一人首を裂かれた。もう一人にハンドアックスを投げつけた。投げつけるのは良くないとわかった。跳ね除けられたからだ。まだ息をしている追手から抜いた剣を相手に突き入れつつ、左手で抜いたハンドアックスを投げつけた。反省も何もない。至近距離で顔面に食らった追手は血飛沫を散らして倒れた。僕はハンドアックスを拾い上げて、まだ生きている兵士の脳天を砕いた。殺してしまったという気持ちよりも、こいつが生き返る怖さの方が大きい。僕は路地を逃げた。そしてなだらかな石段へ出たところで、不意に聞き覚えのある声をかけられた。何人いる。松明が石段を照らし、下流には三人がいた。さすがに上まで回り込めなかったらしいが、十分だ。
「なかなかすばしっこいな。だがわたしたちから逃げられるか」
フィリだった。胴巻には術を施された短剣が控えていた。なるほどそういうことか。僕の命が銀一枚だったということだ。あの古道具屋は繋がっていたのか。容易にフィリに近づいてはいけない。どこからでも飛び込んでくる一閃がある。
「おまえが三つ目に接触するかと待たされていた。クソ野郎にな」
フィリは剣を抜いた。
「奴はね、前に三つ目をロストしたのよ。おまえと別れた後、三つ目は街から出た。そこで逃がした。怪しいわね。街を出たかも怪しい。尾行もできない間抜けだわ」
「だからあのときあんな悪態をついていたのか。でも白亜の塔みたいなぬるま湯にいたんじゃ、彼女を捕まえるのは無理だね。なぜ彼女を捕まえようとしたんだ」
「知らないわ」
フィリは近づいてきた。自信があるのだろう。僕のような素人とは実戦では違うのだろうか。それとも彼女自身も実戦経験はないのか。僕は片手のハンドアックスを鞘に収めて、左中段で剣を構えた。
「おまえには恥をかかされた」
私怨?
この前のことか。
「覚えてる?」
「当然だ」
彼女は顔を真っ赤にした。ロウソクの揺らめきの表情と松明のときのそれとではまったく違った。
灯は関係ないか。
「わたしは本気だった」
これはまずい。僕は踏み込むフリをして、上流へ走った。
衝撃。
また結界かよ。
襲われる。
とっさに剣で背後を払い除けたが、フィリはかかってきてはいなかった。僕を睨んだまま……いや、僕の頭上を睨んでいた。
「カンパ!」とフィリ。
結界の向こうで、カンパが乾燥肉を持った子供を抱えて、その喉に短剣を突き付けていた。彼の背後には屈強そうな剣士たちがいた。
「早くやれ」
カンパが余裕の笑みを浮かべていた。抱えられた子供は瞼を食いしばっていた。自身に泣くな泣くなと言い聞かせているようだった。
僕は剣で結界を斬り捨てた。
「武器を捨てろよ。この弱虫が。あのときみたいに泣きわめけよ。ママ!ママ!ってよ」
僕は剣を捨てた。腰のものもだと言われて、ハンドアックスも地面に落とすように捨てた。
「フィリ、やれよ。おまえの手柄にしてやるよ。剣だけで取り立てられたおまえは手柄くらいいる」
一人でまくし立てた。
「どうした?女王様はこの世界を完全に征服するのだぞ。おまえは好きに暮らせる。富も栄誉も」
フィリは表情を殺したまま近づいてきて、僕の首筋に剣を据えた。今にもカンパを斬り捨ててしまいそうな形相で彼を見たのち、そして僕に憐れみを帯びた目を向けた。
「おまえとはもっとまともに勝負したかったよ」
「悪かったね。この前は騙してごめんね。術で忘れてくれ」
「うるさい」
フィリは剣を引いた。僕の首から血飛沫が舞い上がる。それらの粒が輝き、石段を照らした。
カンパが子供の喉を割いた。
僕はカンパに飛び込んで、子供を庇うように転げた。
光の粒は一瞬にして矢に変化し、フィリやカンパを含めた、路地裏の兵士の体を貫いた。フィルは左腕の見えない盾と剣で防いだが、カンパはうろたえつつも結界で逃れた。
「てめえ、何をした!」
カンパは尻餅をついて、這々の体で逃げながらわめいた。
「退け!」と部下を庇いつつ撤退するフィリ。
僕は血があふれる子供の喉を押さえた。頭上であらゆる怒号や悲鳴が聞こえる。しかしそんなことはどうでもいい。とにかく救いたい。
集中するんだ。
息を止める。じっとりとした汗が額に浮かんだ。全身の筋肉が軋んで、心臓は潰れそうで、みぞおちに重いものを感じて、体の内側から焼け焦げそうな気がした。首からかけた革袋から熱があふれ、淡い全身にまとまりつくように燃えた。
喉からあふれる血が、僕の指の間から漏れ出てくる。血が止まるように、割けた傷が戻るように想像した。これから生きなければならないんだぞ。
衝撃波が路地を薙ぎ払う。頭上や背後を大蛇がうねるようだった。
「お姫様はね……」
子供が小さく笑う。
口から血があふれる。
「静かに」
「王子様が迎えに来るのを待っているの。わたし王子様に会えた」
「頼むから」
治ってくれという気持ちを両手一杯にして喉に添えた。
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