第19話 魂

 僕は天井の星々を見た。ガリオン船の大砲が放たれ、剣を持つ人が人を殺し、鉄砲を持つ人が倒れ、戦車が塹壕を踏み潰し、戦闘機が飛んでいた。小さな部屋で殴られる小さな子供、煙草の火を押しつける女。

「何が見えるかね?」

「戦争と虐待。僕はあちらの世界でこちらの世界を意識したことがありません。でもあなたは意識した」

「しようがあるまい。儂は古くからこの世界で生きてきて、意識せざるを得ないところにいたんだ」

「何が起きたんですか」

「精霊が消えるということは術も消えるということだ。儂らは堤防を築くことにした。魂が出ていかんようにな。精霊が衰え、奴らに頼ってきた世界も衰えようとさていた。混沌が収まるまで必要だったんだよ」

「あなたが築いたと」

「儂も協力した」

「なぜ女王様はそんなことを引き受けたんですかね。誰かがしてくれるとは思わなかったんですか」

 絵師は自分の作品を見上げた。

「この世界が消えることを惜しんだんだ。それともつ一つ言えることは彼女はバケモノだな。何百年も生きてきたと言われておる。まあ単に寿命が長い種族なのかもしれんが」

 僕にはこの世界のことがわからなさすぎる。魔法のような術もあれば、精霊とやらもいた。僕の住んでいた世界の常識が通らない。

 老絵師は、

「魂には力がある。この白亜の塔は魂を守るためにあると同時に魂の力を溜めるためにもある。術には膨大な力がいる。術でこれを温めるくらいなら、火にかけた方がマシだ」

「この世界の繁栄は繋ぎ止めた魂の力によるものですか」

「精霊なき後にな」

 僕は暮らしていた世界へ戻るためには、どうすればいいのかと尋ねた。すると呼ばれなければならないと答えた。仮に世界と世界を繋ぐ道に入れたとしても、誰かに呼ばれなければ路頭に迷うことになる。

「もう少し砂糖も持ってきてくれるとうれしい」

 と笑った。

「行き来するには、たいてい術がいるんだ。強力な術がな。呼べる術を持っている世界かどうかにもよる」

「僕の住んでいた世界にはなさそうですね。魂を戻すには?」

「本人の体があればいい。おまえさんが知らんだけで、おまえさんの世界にも戻す術があるかもしれん」

「確かに。もし向こうに僕の体がなければ、僕は戻れないと」

「そうだな。おまえさんはその体のまま来たんだろう」

「あっちに体はないですね。こんなことなら魂だけで来ればよかった」

「簡単に言うな」


 僕は農具屋で、

「斧が欲しい」

 と告げた。できるだけ普通の大きさで普通の重さのもの。例えるならどこにでも手に入れられ、どこででも修理ができるもの。店番の若い娘は術が施されたものを並べた。

「これなんてサクサクよ」

「術のおかげで?」

「そうね」

「でも索敵されない?」

「サクテキ?」

「呪術者を相手にしたとき、この術のせいで見つかるとか」

「あるかもね。でもおかしなこと聞くのね」

「山ん中で良い木を見つけるとするだろう。自分だけの秘密にしておきたいじゃない。育てたいときにさ」

「ああ」

 店番は笑った。

「確かにねえ。呪術で探されたら苦労して見つけた甲斐もなくなるものね。凄いこと心配してるわね」

 ということで、術も施されていない普通の青と赤のハンドアックスと革鞘ベルトを求めた。なぜ青と赤なのか。揃いがなかったからだ。どうせこんなものは剥げ落ちる。代金は手を金属で装飾された箱に入れて支払う。そうすると女王がくれた銀行の口座から代金が落ちる。

 続いて、靴屋で山に入るのにいい長靴を二足求めた。眠るのに必要な革の外套、食料を入れられるリュック、猛獣対策の煙袋入れ、何にでも使えるロープ。ハンドアックスにつないでも武器になる。危ないので二度としたくはない。的に当たらなければ遠心力で返ってくるのだ。

 旅のお供に懐かしい、いくら噛んでもなくならない乾燥肉。いくつか種籾も購入した。そしてすべてを整えたあと、いつものところで雲海を照らす夕日を眺めた。四六時中雲海が見えるが、いつも癒やされる。

「こんなもの何をする気?」

 フィリが荷物を蹴飛ばした。

「山に入ろうかとね」

 フィリは妙な顔をしたので、僕は「開墾生活」だと付け加えた。

「ここでは不満か。王宮の剣士に推薦できるわ」

「そうなの?」

「おまえの実力を話した。試験はあるが大丈夫。治癒の術も少しは使えるようだし、そんなものなくても合格できるはずだ。おまえはわたしとともに女王様に仕えるんだ」

「術が使える言われると困るんだよね。この白亜の塔は呪術でがんじがらめだから、僕の呪術がどこまで通じているのかわからないよ。この世界の外で試してみないとね」

「そんなことか。呪術使いも不眠不休で働いているわけじゃない。それに一人一人に術なんぞ使っていられるもんか。来敵なら別だけど」

「フィリは剣にも術を?」

「短剣にはね。これは護身ね。術具として持ってるくらい。どうして?」

「剣術が強いのは術も使っているのかなと思って」

「気に入らないわね。わたしは純粋に剣を極めたいだけよ」

 間が空いた。

「怒らせたみたいだね。どう?お詫びに夕食でも」

「わたしと?」

「ダメかな。十二番地においしそうな店を見つけたんだ。お酒も。稽古してくれたお礼も含めて」

「わかった。着替えてくるわ」

「僕も着替えてくる」


 彼女はカットソーにシンプルなスカートという姿だった。店に着いたのは、僕が後で、彼女の黒髪を見つけるのに難儀した。丸テーブルの店は大混雑だ。僕はロウソクの火の向こうで揺れている彼女のはにかんだ顔に笑みを向けた。

「改めてこういうところで話すのも緊張するね」

 僕は、

「こっちがワインだよ」

 とダルマのような瓶から彼女のゴブレットに注いだ。僕の方は円筒形の違うボトルだ。少し甘口でキツイのだと話した。お互いに手酌で飲んだ。彼女が自分に注げば、僕も注ぐ。彼女はワインを五本飲んだ。そんなに高いアルコールではなく、水の代わりに飲めるものなのはわかっていたものの、さすがに短時間で五本はきついだろう。それでも彼女は心地よさそうに揺れていた。ロウソクの灯の揺れる中、端正な顔が半ばまどろんでいた。僕は果実のシロップを水で薄めたものなので、まったく酔わずにいた。初めから飲み潰れる気などないし、そもそもそんなに飲めないのだ。

「女王様に仕えてて疲れない?」

「いつもいつも一緒にいるわけじゃないからね。たいてい執務室で何か執務してるわ。難しいことしてるんじゃないかな。わからない」

「そのときもベールしてるの?」

「してない。変なこと聞くわね」

「秘密は見たいもんだよ」

 彼女はゴブレットを干した。僕は軽くなった瓶を傾けた。

「この前は何日か倉庫に入っていたくらいかな。何か昔のものを探していたみたい。ここは古いものが多いのよね。呪術の奥義とかあるなんて噂してる。わたしは剣にしか興味ないからわからないけど」

「なぜ剣に興味あるの?」

「自由でいられるのよね。力こそ正義なわけじゃないけどね」

「自由か。あ、女王に詳しいカンパも呼べばよかったな」

「わたしじゃ不服みたいね」

「突っかかるね」

 僕はいなした。

「別に。ただ何であんな嫌味な奴と飲まないといけないの」

 言いかけて止めた。

 が、酔いがまさった。

「たいして能力もないのにさ。女王様に仕えるのはわたしだけでいいのよ。あんな弱々権威主義が。わたしの方が魅力あるわよね?」

「ここだけの話だけど」

 僕は重いボトルから彼女のゴブレットに注いだ。いくらでも飲めるような気がするくらいだ。

「まあね」

「言いかけたんなら言って。途中でやめるのは卑怯なことよ」

「怒るだろ」

「言いなさいよ」

「二人とも好き同士なのかと」

「は?」

 フィリは正面から隣に移動してきた。あまりの大きな声に他の客が驚いたが、すぐに戻った。

「あのね、わたしはね、弱い奴は嫌いなの。あんなの頭だけじゃん。頭も疑わしいわ。術もまやかしみたいなものしかできないし。たいした攻撃なんてできないんだから」

「でも君の剣を止めた」

「奴の持つ剣のおかげよ。特級の術が施されてる。それがなければ捕縛人が関の山よ。偉そうに。どうやって女王様に取り入ったのか」

「もうやめようか」苦笑。「彼の話はやめよう。つまらない話だ」

 やめようやめよう。ところで急に山に入るのは、どういうことだと尋ねてきた。僕のボトルからゴブレットに注いで飲んだ。

「甘いわね」

「甘いがキツい。少し飲むだけで酔うしね。近頃体が重い気がして」

「あんなに訓練してるのに。こんな甘いの飲むから太ってきてるんじゃないの?」

 彼女は僕の服の下に手を入れてじかに腹筋に触れた。太ってないなと言いながら、うれしそうに胸まで触ろうとしてきた。鎖骨から首筋に手が伸びる。僕は服の上から彼女の手を握って、動きを止めさせた。

「何?この入れ墨みたいなの」

「わからない。変かな」

「消えかけてるわよ」

「こういうもんなんじゃないのかなと思うんだ。見えそうで見えないのがいいというか。あからさまに見えるのもどうなんだろね」

「で、何で山へ?」

 すでに話を聞いていない。少し飲ませすぎた気もしないでもない。いつもは誰かと出かけたり、食事に行ったりしているのだろうか。

「山なんか何もないわよ」

「何かあるなら入らないよ。求めてるわけじゃない。野性的なところが欠けてるかななんて感じ。稽古していても思わない?だから自給自足でもやってみようと。修行だね。飽きたら戻るけど」

「野性的な」

 フィリがもたれかかってきた。

「それならさ、わたしの部屋に来たらどう?山なんか行かなくても野性的になれるわよ」

「え?」

 誘われてる?

「剣の稽古するの?」

「いいかもね」

 たぶん今夜のことは覚えていないだろうなと思いながら、僕は彼女に肩を貸した。店を出て、濡れた石畳の路地を抜けて、王宮の近くの彼女のアパートに案内された。

 扉を閉めると、いきなり抱きつかれて、キスをしてきた。熱い舌と息を入れてきた。そのまま二人ともベッドに倒れ込んだ。フィリが自分で脱ぎ始めたので、僕は慌てて縄で両手をベッドに縛りつけた。

「そういう趣味なろ?」呂律の回らないまま「嫌いじゃないわ。ていうかむしろ好き」

 彼女は両腕をヘッドレストに縛られた格好で、革ベルトで目隠しをした。すでに小さないびきをかいていた。そりゃ、一人であれだけあのペースで飲めば、眠くもなるよ。

 僕は彼女の制服のベルトから短剣を抜いた。ベルト紐で口に猿ぐつわをした。かわいそうなのでシーツをかぶせてやる。散乱した制服や肌着や剣を見て、慌てて来たのかななどと考えつつ、そっと部屋を出た。

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