第9話

 信じていることと現実が違うことがある。自分が積み重ねていた信念は現実逃避の末、逃げ込んでいた理想だった。家族もいなければ、記憶をつなぎとめる、何気ない日常などもない。僕がこうあればいいのにと信じようとしていた幻想だ。

 白亜の塔は無限に広がる。どこを歩いても宮殿があるし、畑もあるし、牧場もある。自給自足で満ち溢れていたし、たいていの病は呪術で何とかなる。風はいつも清々しく、災害もなく、一年中、半袖一枚でも暮らせる。食べるものは欲しければ、どうにでもなる。店に乞えば手に入れることができるし、道ばたで乞えば誰かがくれる。もし学びたければ、好きなときに学ばしてもくれる。特殊な能力こそは、本人の力の有無にもよるが、諦めても他のことに打ち込める。限界を感じてやめたところで、白い目で見られることもない。世界が前向きだ。

 敷地は無限と豪語するだけのことはある。いくつもの村、街、市場、住まいがどこにでもある。遠くまで行ったことはないが、好きなところに暮らして、好きなことをする。ルールは人のものを奪わない、人に迷惑をかけないことくらいだ。不愉快な目に遭わされても、忘れの術で忘れることもできるし、矯正が必要な者は呪術で矯正できてしまう。だからこそではないが、何となく人々はのんびりしている気がする。

 僕は芝生の縁に膝を抱えて、雲海を眺めていた。犬のような獣(たぶん犬だろう)が楽しげに駆け抜けて、学校に行っているなら低学年くらいの女の子が追いかけている。親子がパラソルの下、ピクニックをしていた。女の子を呼ぶパパの声がして、まず犬が駆け戻った。

「明日は学校へ行くかい?」

 と、パパが少女に尋ねた。

「行かない」

「そうか。サーカスが来てるらしいぞ」

「行きたい」

 現地の言葉を理解した。難しい言い回しまではわからないが、僕は学校で学ぶことにしたのだ。

 なぜ?

 暮らしやすくなるからだ。

 長靴が近づいてきた。

「慣れたか」

 と、女剣士が尋ねた。僕は背中越しに「少しはね」と答えた。

「いいところだろ?」

「まあね。君はなぜ剣士に?」

「憧れたからかな。女王様に仕えるとは想像もしてなかったけど」

「好きに生きられると聞いたけど違うんだね」

「嫌味?」

 僕は少し笑みを浮かべて、耳の上まで伸びた髪を手櫛で後ろに撫でつけた。

「能力には優劣はある。平等はない。でもどうしてもできないなら違う道を歩めばいい。機会はある」

「認めたくなければ忘れればいいんだよね。君もどこからか来たんだよね」

「覚えているのか?」

「聞いてるだけだよ。ぼんやりとした記憶はあるけど、消されていくのかと思うと、たまに不安になる」

「わたしと同じね。どこからかはわからない。忘れたわけではないけど、うまく言えない。前の世界で何をしていたのかしら。そんなことどうでもいいような気もする」

「そう言えば、名前は?」

「フィリよ。よろしく。あなた、シンでしょ?誰かと話していたの聞いたわ」

「ここに来てから話した人はいないと思うんだけど」

「もう春も終わったのにか」

「うん。何だかふわふわした日々が過ぎた。ここは広すぎるね。いつも探検している気持ちだよ」

「好きに行けばいいけど、立入禁止のところもある。気をつけてね」

 フィリは剣を置いて、僕の左隣に腰を掛けた。これからこの塔で何をするのかと尋ねてきた。

「わからない。とりあえず言葉を覚えてるよ。今のところ日常会話くらいなら何とかなるかな」

「話せてるわ」

「どういたまして。でも呪術はやってみたけど難しいし、どうやら才能がないみたいだよ。治癒の術を学んでるんだけどね」

「格闘技や剣術は?」

「剣はおもしろいね。木だから死なないけど。まるで心理ゲームみたいだよ。一つ一つ先を読んでね」

「あなたには才能があるわ。呪術の力で剣士としての才能を与えられるといい。頼んでおいてあげるわ」

「すぐにレベルアップするのか」

「そんなわけはない。それでも基本や定石の理解が早まるわ」

 僕が髪を後ろでくくるようになる頃、そこそこの剣を扱えるようになっていた。全身に筋肉も戻ってきたものの、素晴らしい剣士とは言えないと自覚していた。力はないが、速さがあるというくらいだ。教官やフィリには、寸前のところでうまく逃げると言われた。褒められたのかけなされたのかわからない。

「おまえは左利きなのか?」

 と、フィリに尋ねられた。普段は右だが、左になると話した。

「それは武器になるな」

 同じ頃に習い始めた連中に負けなくなると、教官がフィリと訓練するように命じた。さすがに勝てなくなった。あちこちおもしろいように打たれ、青あざができた。それも呪術や薬術で治してもらえたので、ムキに稽古したが、フィリには勝てなかった。追い詰めるところまではできるが、もう一つのところで負けるのだ。フィリ曰く「詰めが甘い」とのことだが、剣だけならカンパに勝てるだろうと。カンパとはあの青年のことだ。フィリの場合、盾は結界の小さい版だが、そこまで実力を発揮できない僕は、革の盾にした。重さも剣ほどあるので、何とか結界の盾が欲しいなと思う。

 また治癒の呪術や薬術も万能ではない。やたら滅多に突っ込んでいると、治せないことに出くわすから気をつけろと注意された。

 住むところも快適だ。どういう仕組みかわからなかったが、風呂まである。聞いてみれば仕組みは簡単でだった。敷地の一画に高温の温泉があるのだそうだ。そこから水道管を通り、湯が張り巡らされていた。いつかの誰かがアイデアを出して作ったということだった。たまに誰かが修理をしている。頼まれたのかどうかすらわからないが、壊れたことは聞いたことがないので、いつも点検しているのだろう。夕食は肉を食べたければ肉を野菜なら野菜、魚なら魚、ワインならワイン、ビールならビール、水なら水と何でも揃う。もともと街には自炊というものがなく、インかテイクアウトだ。

 朝から語学を学び、昼から剣を学んで、時間があるときは農業や工場の生活を見て、夜は語学の復習をした。たまに玄関で天井絵を描いている老人を尋ねた。ステンドグラスから漏れ入る光の中、僕は老人の好きなココアを薬缶ごと携えた。足場へ上がるのは、初めこそは嫌がられたが、差し入れをしてから、快く迎えてくれるようになった。現金なものだと内心、この老人を好ましく思った。老人は国ノ王と言う名であり、国王ではなかった。だから初対面のときの威厳、近づき難い圧は気のせいだったのだろう。

 僕は足場に腰を掛けて、動く天井画を眺めるのが好きだった。

 あるとき、尋ねた。

「なぜそんな名前に?」

「名前に意味はない。とりあえず付けたんだ。意味ありげだろ」

 と、ごま塩の無精髭がココアをすすった。まんざらでもない顔だ。

「動く絵なんて凄いですね」

「つまらんよ」

 僕はクッキーをかじりながら絵師を見た。彼は遠くの絵を見つめながら、あれは本で見たものに過ぎないと呟いた。実際に存在を見ていないことを、絵師は嘆いた。

「昔は頭ん中にあったんだが、今じゃ本などに頼らざるをえん」

「でも動いてる。まるで生きてるみたいだ」

「だがあれらには魂がない」

「魂ですか」

「思い出を入れる器だな」

「想像できません。ここには長いんですか」

「忘れるくらいにな」

 ココアを唇で味わった後、

「この菓子はうまくないな。パサパサだ。ところでおまえさんどうやってここに来た」

「女王様に招かれました」

「と聞いてるんだな」

「昔、この世界を守ろうとした者を集めていると」

「とも聞いている。本当のところはわからんぞ。おまえさんは元の世界へ戻ろうとは思わないのかな?」

「元の世界のことは思い出せませんからね。僕は女王様に救われたんだとか。たぶん思い出したくもないことがあるのかもしれませんね」

 老人は中央、いちばん高いところにある天井画を指差した。黒いキャンバス、白い粒は星々のように見えたが、それが何を意味して描かれているのか理解はできない。

「わしはあそこには何も描いとらんのだよ。見る者に委ねられた絵ということだ。何に見える?」

「夜空…ですかね」

「ここに暮らせる条件は、記憶を失うことだ。女王から聞いたか?」

「いいえ」

「忘れてるのか」

 老人は改めて向きなおると、

「よろしい。おもしろいことを話してやろう」

 僕は脇にカップを置いた。

「この白亜の塔は、ありとあらゆる者の記憶を源としている。それはいい記憶もあれば悪い記憶もあるんだ   が、そんなことは関係ない。この庭が無限に広がるのは、記憶がどんどんと世界を広げていくからだ。さっきも話したように、記憶が積み重なると思い出になる。思い出は魂となる。魂は力を持つ。わかるかな?」

「難しいです。でも魂が思い出の器なら魂だけ存在してもいいんじゃないですか?」

「おまえさんは賢い」

 老人は薬缶から冷めたココアを注いだ。

「思い出が詰まっていても、それを引き出す頭がなくてはな。おまえさんの体がなければ、おまえさんの思い出は意味がなくなる」

 彼は手をかざして、すぐに冷めるのと呟いた。呪文で温めればと提案すると、そんなもんのために使ってられるものかと叱られた。

「実は私は根っからの、この世界の住人だ。どこから連れてこられたわけでもない。だから言えることがある。聞きたいかな?もういいかな?聞かなければよかったと後悔するか、聞いて糧にするか、術で忘れるか。どれがおまえさんにとって幸せなのかわからん。わしはおまえさんではないからな」

「どう答えればいいのか」

「では話してやろう」

 女王が支配する前、すなわちこの白亜の塔ができる前、この世界は各地で争いが起きていた。荒れ狂う海原で暮らす種族、暗い地底で暮らす種族、密林で暮らす種族、身の丈が十数メートルもある種族、逆に小さい種族、ありとあらゆる者たちが暮らしていた。ときに争い、ときに手を結び、互いに不可侵の話し合いをしたこともある。しかし呪術に長じた者、争いに長じた者たちが、力のない者たちを滅ぼした。つまり女王の言う「わたしたち」のことだ。「わたしたち」はこの世界では力のない者たちで、ある選択を迫られた。

 死ぬか服従するか、別の世界へ逃げるかの選択だ。それぞれが悩んだ末、決めた。残ることを選んだ者たちもいた。服従でもなく、抵抗でもなく、ただ暮らした。いつの日か新しい希望が来ると信じた。

「新しい希望ですか」

「盛者必衰だな」

 カップの底に残った冷めたココアのチョコレートをクッキーで拭い取って、それごと口へ入れた。

「わしらの仲間は待ち続けた。この世界はたくさんの面でたくさんの異世界と通じておる。それらの世界は互いに無意識の中で干渉しているのだ」

 僕は星々の天井画を見た。ガリオン船の大砲が放たれ、剣を持つ人が人を殺し、鉄砲を持つ人が倒れ、戦車が塹壕を踏み潰し、戦闘機が飛んでいた。部屋で殴られる小さな子供、煙草の火を押し付ける女。

「何が見えるかね?」

「戦争と虐待」

「それらがこちらの世界を少しずつ揺るがしたんだな。そして女王は時機が熟すまで待ち、ここぞというとき、この世界を侵略した。わしは女王をあちらの世界から導いた。同じ種族だからだ。わしの力なくして女王もこの世界には来れなかっただろう。その功でこうして好きなことをして生きとる。勇敢だった。虐げられた人々を解放しながら、進軍する姿は姿は美しく、輝いていた」

「惚れたとか?」

「皆、惚れただろう」

「僕はあちらの世界でこちらの世界を意識したことがありません」

「そうだろうな。わしらも普通はあちらの世界を意識しない」

「でもあなたは意識していた」

「よく気づいたな。わしは導く者として鍵を預かった部族だから意識していたのだ」

「鍵?」

 こちらの世界とあちらの世界をつなぐ道を塞いだ鍵がある。たまたま老人は継いでいたが、長い間のことで紛失したり、単に朽ち果てたものも多いということだ。

「おまえさんは、どうやってここに連れてこられたかわかるか?」

 僕は首を傾げた。

「記憶はないか」

 彼は「そうだな」と呟いた。

「おまえさんはこの世界とつながる道を来た。誰もが来られるわけではない。おまえさんは喚ばれた。とこほで女王に会うかね?」

「たまに見かけますが」

「ベールをしているだろ?」

 僕はうなずいた。

「彼女には顔がないからな」

「勇敢で……」

「わしにはそう見えた。ただそれだけのことだ。他の奴には別のように見えたのかもしれん」

「女王様は何者なのですか?」

 僕の問いかけに答えず、絵師は自分の作品を見上げた。

「わからん。一つ言えることはバケモノだな。何百年も生きてきたと言われておる。ま、単に寿命が長い種族なのかもしれんがな」

 ただ僕は呻いた。どこまでが本気なのか、どこからからかわれているのかすらわからない。

 老絵師は、

「女王は我々に魂の持つ力を教えてくれた。さっきも言うた。呪術には膨大な力がいる。呪術でココアを温めるくらいなら、火にかけた方がマシなくらいな」

「そのエネルギーはどこから?」

「魂だな。だから呪術を使うために必要なものなのだ。そのおかげでこの世界は繁栄した。いわばここは魂で守られた世界ということだな」

「この塔は神々の世界ですか」

「わたしたちの世界だな」

「ああ。僕があちらの世界へ戻れるなら教えてもらいたいですね」

「簡単だ。出入口がある。鍵があるくらいだからな」

 僕は老人の意外な答えに上体を退いた。全身の血が騒いだ。

「あちらこちらにあるぞ。いくつかは覚えているがな。わしもこの世界で住んでおる。おまえさんよりも博識で悪いかな」

「喚ばれなければ戻れない」

「そういうことだな」

 僕は沈んだ。

 絵師は、

「もう少し砂糖も持ってきてくれるとうれしい」

 と、笑った。

「たいていは術がいるんだ。強力な呪術がな。鍵は集められるものは集めてある。女王はそれらを門外不出にした。わしら種族は呪術については疎くてな。そのせいで負けたのだが。多くの犠牲を払い、新しいものを創り上げたが、彼らはそれらを秘密にした」

「秘密に?」

「教わったか?」

「治癒の術を」

「教えられるところまでしか教えとらん。もっと奥深いもんだ。権力の源の一つでもある。休憩はここまでだ。今度は砂糖を増やしてな」


 僕は農具屋で、

「斧が欲しい」

 と、告げた。できるだけ普通の大きさで普通の重さのもの。例えるならどこにでも手に入れられ、どこででも修理ができるもの。店番の若い娘は術が施されたものを並べた。

「これなんてサクサクだよ」

「術のおかげで?」

「そうね」

「でも索敵されない?」

「サクテキ?」

「呪術者を相手にしたとき、この術のせいで見つかるとか」

「あるかもね。でもおかしなこと聞くのね」

「山ん中で良い木を見つけるとするだろ?自分だけの秘密にしておきたいじゃない。育てたいときにさ」

「ああ」

 店番は笑った。

「たしかにねえ。呪術で探されたら苦労して見つけた甲斐もなくなるわね。すっごい神経質ね」

 ということで、術も施されていない普通の青と赤のハンドアックスと革鞘ベルトを求めた。なぜ青と赤なのか。揃いがなかったからだ。どうせこんなものは剥げ落ちる。代金は手を金属で装飾された箱に入れて支払う。そうすると女王がくれた銀行の口座から代金が落ちる。

 続いて、靴屋で山に入るのにいい長靴を二足求めた。眠るのに必要な革の外套、食料を入れられるリュック、猛獣対策の煙袋入れ、何にでも使えるロープ。ハンドアックスにつないでも武器になる。危ないので二度としたくはない。的に当たらなければ遠心力で返ってくるのだ。

 旅のお供に懐かしい、いくら噛んでもなくならない乾燥肉。いくつか種籾も購入した。そしてすべてを整えたあと、いつものところで雲海を照らす夕日を眺めた。四六時中雲海が見えるが、いつも癒やされる。

「こんなもの何をする気だ?」

 フィリが荷物を蹴飛ばした。

「山に入ろうかとね」

 フィリは妙な顔をしたので、僕は「開墾生活」だと付け加えた。

「ここでは不満か。王宮の剣士に推薦できるぞ」

「そうなの?」

「おまえの実力を話した。試験はあるが大丈夫だ。治癒の術も少しは使えるようだし、おまえは重宝する存在だ。女王様に仕えるんだ」

「術が使える言われると困るんだよね。この白亜の塔は呪術でがんじがらめだから、僕の呪術がどこまで通じているのかわからないよ。この世界の外で試してみないとね」

「そんなことか。呪術使いも不眠不休で働いているわけじゃない。それに一人一人に術なんぞ使っていられるもんか。来敵なら別だけど」

「フィリは剣にも術を?」

「短剣にはね。これは護身ね。術具として持ってるくらい。どうして?」

「剣術が強いのは術も使っているのかなと思って」

「気に入らないわね。わたしは純粋に剣を極めたいだけよ」

 間が空いた。

「怒らせたみたいだね。どう?お詫びに夕食でも」

「わたしと?」

「ダメかな。十二番地においしそうな店を見つけたんだ。お酒も。稽古してくれたお礼も含めて」

「わかった。着替えてくるわ」

「僕も着替えてくる」


 彼女はカットソーにシンプルなスカートという姿だった。店に着いたのは、僕が後で、彼女の黒髪を見つけるのに難儀した。丸テーブルの店は大混雑だ。僕はロウソクの火の向こうで揺れている彼女のはにかんだ顔に笑みを向けた。

「改めてこういうところで話すのも緊張するね」

 僕は、

「こっちがワインだよ」

 と、ダルマのような瓶から彼女のゴブレットに注いだ。僕の方は円筒形の違うボトルだ。少し甘口でキツイのだと話した。お互いに手酌で飲んだ。彼女が自分に注げば、僕も注ぐ。彼女はワインを五本飲んだ。そんなに高いアルコールではなく、水の代わりに飲めるものなのはわかっていたものの、さすがに短時間で五本はきついだろう。それでも彼女は心地よさそうに揺れていた。ロウソクの灯の揺れる中、端正な顔が半ばまどろんでいた。僕は果実のシロップを水で薄めたものなので、まったく酔わずにいた。初めから飲み潰れる気などないし、そもそもそんなに飲めないのだ。

「女王様に仕えてて疲れない?」

「いつもいつも一緒にいるわけじゃないからね。たいてい執務室で何か執務してるわ。難しいことしてるんじゃないかな。わからない」

「そのときもベールしてるの?」

「してない。変なこと聞くわね」

「秘密は見たいもんだよ」

 彼女はゴブレットを干した。僕は軽くなった瓶を傾けた。

「この前は何日か倉庫に入っていたくらいかな。何か昔のものを探していたみたい。ここは古いものが多いのよね。呪術の奥義とかあるなんて噂してる。わたし、剣にしか興味ないからわからないけど」

「何してたんだろね。女王様に詳しいカンパも呼べばよかったな」

「わたしじゃ不服みたいね」

「突っかかるね」

 僕はいなした。

「別に。ただ何であんな嫌味な奴と飲まないと……」

 言いかけて止めた。

 が、

「たいして能力もないのにさ。女王様に仕えるのはわたしだけでいいのよ。あんな日和見主義者」

「あれ?」

 僕は重いボトルから彼女のゴブレットに注いだ。いくらでも飲めるような気がするくらいだ。

「まぁ……」

「言いかけたんなら言って。途中でやめるのは卑怯なことよ」

「怒るだろ」

「言いなさいよ」

「二人とも好き同士なのかと」

「は?」

 フィリは正面から隣に移動してきた。あまりの大きな声に他の客が驚いたが、すぐに戻った。

「あのね、わたしはね、弱い奴は嫌いなの。あんなの頭だけじゃん。頭も疑わしいわ。呪術もまやかしみたいなものしかできないし。たいした攻撃なんてできないんだから」

「でも君の剣を止めた」

「奴の持つ短剣のおかげよ。特級の術が施されてる。それがなければ捕縛人が関の山よ。偉そうに。どうやって女王様に取り入ったのか」

「もうやめようか」苦笑。「彼の話はやめよう。つまらない話だ」

 やめようやめよう。ところで急に山に入るのは、どういうことだと尋ねてきた。僕のボトルからゴブレットに注いで飲んだ。

「甘いわね」

「甘いがキツい。少し飲むだけで酔うしね。近頃、体が重い気がしてね」

「こんな甘いの飲むから太ってきてるんじゃないの?」

 彼女は僕の服の下に手を入れてじかに腹筋に触れた。太ってないなと言いながら、うれしそうに胸まで触ろうとしてきた。鎖骨から首筋に手が伸びる。僕は服の上から彼女の手を握って、動きを止めさせた。

「何?この入れ墨みたいなの」

「わからない。変かな」

「消えかけてるわよ」

「こういうもんなんじゃないのかなと思うんだ。見えそうで見えないのがいいというか。あからさまに見えるのもどうなんだろね」

「で、何で山へ?」

 すでに話を聞いていない。少し飲ませすぎた気もしないでもない。いつもは誰かと出かけたり、食事に行ったりしているのだろうか。

「山なんか何もないわよ」

「何かあるなら入らないよ。求めてるわけじゃない。野性的なところが欠けてるかななんて感じ。稽古していても思わない?だから自給自足でもやってみようと。修行だね。飽きたら戻るけど」

「野性的な…」

 フィリがもたれかかってきた。

「それならさ、わたしの部屋に来たらどう?山なんか行かなくても野性的になれるわよ」

「え?」

 誘われてる?

「剣の稽古以外で」

 たぶん今夜のことは覚えていないだろうなと思いながら、僕は彼女に肩を貸した。店を出て、濡れた石畳の路地を抜けて、王宮の近くの彼女のアパートに案内された。

 扉を閉めると、いきなり抱きつかれて、キスをしてきた。熱い舌と息を入れてきた。そのまま二人ともベッドに倒れ込んだ。フィリが自分で脱ぎ始めたので、僕は慌てて縄で両手をベッドに縛り付けた。

「そういう趣味なろ?」呂律の回らないまま「嫌いじゃないわ。ていうかむしろ好き」

 彼女は両腕をヘッドレストに縛られた格好で、革ベルトで目隠しをした。すでに小さないびきをかいていた。そりゃ、一人であれだけあのペースで飲めば、眠くもなるよ。

 僕は彼女の制服のベルトから短剣を抜いた。ベルト紐で口に猿ぐつわをした。かわいそうなのでシーツをかぶせてやる。散乱した制服や肌着や剣を見て、慌てて来たのかななどと考えつつ、そっと部屋を出た。










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