第12話 学校

 僕は公衆浴場を出た。

 ようやく体が動く。お湯のおかげで可動域が戻ってきたようだ。

「温めないと死ぬぞ」

 とビリケンさんと三つ編みさんが荷車で運んでくれた。

 レイは金の髪で額を隠し、その上からニット帽をかぶった姿で壁にもたれていた。僕はドンゴロスの貫頭衣ではなく、市場で揃えたまともなシャツとまともなズボン、まともな靴を履いていた。髪と髭は鋭いナイフで剃り上げられ、寺の坊主よりも坊主らしくなっていた。さすがに恥ずかしいので、市場で手に入れた手編みの帽子で隠すことにした。

 レイはうつむいたまま新しい外套を渡してきた。まだなめしも馴染んでないので、ごわごわした。街に来てすぐ財布を盗まれたときと同じ様子だ。この子はかわいそうなくらい抱え込んでしまう癖がある。元の世界の僕も美月さんたちにはそう思われていたのかもしれない。

 そっと僕はレイの頭を抱き締めた。彼女は抵抗もなく振り子のように傾いてきた。あのときの面影は泣いている姿に残っていた。

「ゴメン」

 彼女は呟いた。

「ワタシ、シン、信ジルナイ」

 財布を押し付けてきた。僕が何気なく受け取ると、彼女は僕の外套の下で泣くのを我慢していた。

「誤解くらいある」

「デモ、ワタシ……」

「成長したのは図体だけか?」

 僕は笑いながら、彼女の頬を流れる涙を親指で拭った。いろいろなことが起きすぎて、僕自身も混乱していた。とにかく二人で相談してしばらくの宿を探すことにした。薄汚いが出入りのある食堂の路地裏に宿を見つけた。そこは旅人のためのものではなく、季節労働者のためのものだった。春めいてきた今、出稼ぎの人々と入れ替わるように一室を借りることができた。主はレイを品定めするように見た。婆さんのようにも爺さんのようにも見える。レイはというと、木の額飾りで額の眼を隠していた。市場で買い求めたのだ。どうやら見せるのは好ましくないように思えた。初めは布を巻こうとしたが、それではあまりにも芸がないということで、僕が木から掘り出した黄金虫の飾りを見つけた。どうせ後ろでくくるのだから同じだと抵抗したが、せっかくなのだからと付けさせた。プレゼントだ。財布は同じだからプレゼントとは言えないが、レイは気に入った様子だった。

 市場の帰り、僕と彼女は「腹減ッタ」と呟いた。露店の、まさしくあの夜に食べた小指ほどの粒のフライを食べながら歩いたまさかまた同じように歩けるとは。しかし人は僕が気になるくらいレイを見た。美しすぎるので、途中から彼女は鬱陶しくなったのか襟に顔を埋めた。

 とりあえずちゃんとしたものを食べようと、固いパンを買い求め、何だかわからない味の飲み物と何だかわからない肉と一緒に宿へと持ち込んだ。宿に入ると、ずっとパンと肉と塩をモグモグさせていた。窓からはいくつもの建物が見えた。教会風の尖塔もあるし、鐘もある。センスないなと思う四角い建物が、たぶん学校だなと考えた。いや。あの無機質なものは警察署か役所か。

 モグモグしていると、レイは額飾りを外して、僕の額に額を押し付けてきた。お互いにモグモグしていた。そこのところレイは行儀がなっていない。しばらくモグモグ。僕は照れてしまったが、レイにも伝染ったのか、恐る恐る離れた。

 咳払いをしつつ、

「今カラ、ドウスル」

 と聞いてきた。

「言葉、話セル?」

 僕も片言になる。

「少シ、オマエ、言葉、学ンダ」

 額の紅玉の眼を指差し、

「聖眼ノ力」

「せいがん?」

 通常、彼女たちは三回の成長期を経て聖眼が現れるのだという。しかしレイは四回目でも現れず、体も小さいままで、もう一族としては認められないと判断され、村から追い出された。そのときに与えられたのが僕だ。ひょっとして奴らが僕を連れてきたのではないか。もしそうならば、レイに帰してもらえるかもしれない。ただ簡単に連れてこられるものではないだろう。そんなことができるなら、あちらの世の中の行方不明が解決してしまいかねない。異世界へ連れ去られましたね。探す術はありませんなんてことになる。ようやく五回目の成長期、今回の場合は越冬を経て、レイは覚醒した。この街にそんなことを知る者などいないので墓穴に埋められることになってしまった。もちろん僕も知らなかった。聖眼が発露されると、様々な力が備わるとうことだ。

「どんな力?」

「サア?ワタシ、ドンナ力アル、知リタイ、学ビタイ、使イタイ」

 使いたいが一番だな。

 レイは額飾りをつけた。気に入ってくれたようで、桶に入れた水に映して何度か位置を整えた。

 僕はスープを飲んだ。気をつけなければならないのは、このパンも肉も水気を含むと爆発的に増えるのだ。口の中でも容赦なく、ただ膨らんで、ただでさえ美味しくないものが、さらにクソ不味くなる。

「聖眼、使ウ。オマエ モット、話シタイ。ワタシ、墓、入レラレル、ナイ」

「ゴメン」

「謝ルナイ」

 彼女は僕の痩せた腕に触れ、

「オマエ、ツライ目、遭ッタ」

 また涙ぐんだ。

「話ス、コンナコト、ナイ。オマエ、死ヌナイ」

「生きてるよ」と笑った。

「生キテル、ワタシ、ウレシイ」

 小さく頷いて、

「ワタシ、オマエ、許ス、ナイ」

「僕を?」

「奴ラ、殺ス」と答えた。

 そのために術を学ばなければならないとのことだった。何となく使えるものは備わっているが、自由自在に扱うためには体系的に学ぶしかないのか。僕も何となく理解した。

 すでに動機が野蛮だ。

「学ブ、行ク」となる。

 学校なんてあるのか。

 呪術なんて門外不出だろ。

 数日お互い動けずにいた。僕は僕で体力と気力に限界が来ていて、彼女は彼女で成長期の後の特有の気怠さがあるのか、まだ体が慣れていないのか、はたまた墓に押し込められていたからなのか、ずっと寝ていた。要するに二人共、食っては寝てを繰り返していた。

 数日後ようやく僕たちは外へ出ることができた。食料が尽きたのもある。僕たちは貴族街の北、中貴族街、上貴族街との間にある、閑静な区域にいた。レイの聞き込み(単なる道案内)が正しければ、たぶんこれが学校だ。物作りの呪術、風を操る呪術、大地を揺るがす呪術、敵を攻撃する呪術など様々ある。中には呪術✕剣術、弓術など融合術も存在しているということだ。伝聞が多いのは、僕には何のことかわからないからだ。レイ自身もほとんど意味がわからないと話した。聞きかじりだそうだ。何でも呪文なども教えてくれると。呪文さえ唱えれば、僕にも使えるのかと尋ねたら、わからないと返ってきた。レイでもあちらの世界へ戻してくれそうにないな。


「うさん臭いな」

 僕は呟いた。こういうのは素質ありきではないのか。教えてどうなるものなのか。門に文字が綴られた金属板が埋め込まれていた。

 僕は読めない。

 レイも読めない。

 正門の奥、構内では短い肩掛けのような制服姿の子供が、本を脇に抱えて歩いているのが見えた。

「ここで学ぶのか」

「ソウダ。ソウカモ」

「入学デキルノカ」

 僕は自分の言葉が怪しくなっているのに気づいた。

「どうすれば入学できるの?」

「ソンナモノ、シナイ」

「は?」

「読メバ、ワカル。聖眼ノ力」

 忍び込んで書物を読み漁ればよいということだ。無茶苦茶だ。彼女は奴らから学ぶことなど必要ないと付け加えた。夜に忍び込んで、できるだけ本を盗もうということだ。

 そこはかとない何か重いものが腹に溜まる。これが不安というものだろうな。よぎるのではなく、溜まるものだ。不安で胃もたれする。

「レイさん」

「ハイ?」

「泥棒、良クナイ」

「元々、術ハ我ラノモノ。奴ラ蛮族ハ我ラカラ奪ッタ」

「そうなの?」

「ト、村デ聞カサレタ」

「何か怪しいなあ」

 何もかも怪しいぞ。

 僕たちが学校の正門にずっと立っていたものだから、不審に思った若い守衛が近づいてきた。

 僕はレイに訳させた。

「学校に入りたい」

「許可、イル」と衛兵。

「モシ入学、試験イル。トテモ難シイ。年、二度」

「何年で学び終える?」

「本人ノ才能。学ビ終エナイ、辞メル人、多イ。タイテイ五年クライ、限界、気ヅク」

 五年もか。僕は五年前、何をしていた。小学四年くらいか。もう美月さんや拓也はいたな。マンションで暮らして、たくさんの友だちがいた気もする。夕食もお風呂も就寝も時間が決められていたような。

「試験入ル、才能気ヅク、辞メル」

「少しくらい呪術は使えるようになるのか」

「少シクライナラネ」

 衛兵は僕に続けた。

「入リタイナラ、シカルベキ身分ノ方ノ紹介イル」

「例えば?」

「貴族、剣士、コノ学校出身ノ呪術使イ、他ノ有名ナ呪術使イナド」

 僕はレイを見た。

 レイも僕を見た。

 貴族にも有名な剣士にも有名な呪術使いにも、その他にも知人はいない。ビリケンさんと三つ編みさんくらいかな。何だか二人は呪術を使える雰囲気はあるが、そんな簡単なものでもないのだろう。たしかに術使いが多くいる世界もおかしいことになるな。術とは何だ。泥沼にはまるところだ。なぜ氷は滑るのか。なぜ麻酔は効くのか。世の中いちいち考えないことだ。

 レイは衛兵と話し終えた。衛兵もレイの姿ならやさしい。

「見学デキルラシイ」

「今から?」

「シカルベキ紹介アレバ」

 それがないから困ってるんじゃないかと思いつつ、それを言うと堂々巡りになりそうなので、ひとまず学校から離れることにした。

 その前にレイの額飾りを外し、プレートに額を押しつけた。ぶん殴られたが、内容はわかった。


 呪術 此れ

 万人ニ 与エラレシ


 衛兵曰く、ここは塔を建てた大呪術使い殿が作ったということだ。

「どうする?」

「教エ、イルナイ」

 レイは露店でヒモムスという揚げ物を買い求め、僕も摘みながら歩いた。何か考えているようだ。僕は邪魔しないようにした。何も考えていないかも。そんなことはない。これからの自分のことだからな。

 ヒモムスはサクッとして、その後にとろっとする揚げ物だ。この街では有名だ。もし戻れないなら、ヒモムス屋になろうか。資格とかいるのか?ヒモムス検定一級とか。王国認定ヒモムス師とか。

「イイ考エ浮カンダカ?」

 食べていただけだな。

 僕が考える担当らしい。

「本屋でよくないか?」

「ホンヤ?」

「この世界にはないの?」

 レイは納得したように頷いた。

「オマエ、賢イ。学校ナンテ行クコトナイ。ワタシ、革命起コス」

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