第13話 本屋

 僕たちは市場から少し離れ、中貴族街に隣接する建物に本屋を見つけた。下貴族街にはない。あったとしても商売にならないだろう。この中貴族街の周辺でも、庶民は本など読まないらしく、本というものを説明するところこら初めなければならなかったので、探すのに苦労した。

 本屋は厚いガラスがはめ込まれた飴色の扉の向こうにあった。中に入ると、天井まで届くたくさんの本棚が並んでいた。革のツーンとした匂いが鼻を突いた。店主は僕たちを品定めしている様子だった。ここの街の者は品定めが趣味だな。レイは呪術書のあるところを見つけた。壁一面に古めかしい革の装丁の本が並んでいた。実際売り物ではなく貸し本だと知ったのは後のことだ。然るべき紹介があれば貸してくれる。

 レイは重そうな本を開いた。

「使えそう?」

「分カルナイ」

 しばらくして、

「読ム、ナイ。ワタシ、字、読ムナイ、書クナイ」

「マジか」

「マジ」

 僕と彼女は見つめ合った。どうしようもない沈黙。もちろん僕もこちらの言葉を読み書きはできない。

「デモ…」

 彼女は額飾りを指差した。

「聖眼、記憶スル。コレ」

 レイは挿絵を見せた。ローブをまとった老人が杖を掲げていた。

「あ、道具か」

 他にも剣、斧、指輪、呪文の類も記されていた。持っていない道具は使えないし、知らない知識に類する術も使えない。

「コレ、子供ノ、本」

 レイは本から手を離した。本は下の戸棚へ音もなく収まる。墓で土くれを浮かび上がらせ、僕を叩きつけた。彼女の術に呪文はいらない。ただ彼女の想像を対象に押しつけるだけで成立するのか。他の棚を見たが、呪術系の本はなかった。

「コレ、才能ダケ……」

「確かに才能だよね」

 レイが人差し指で本棚の縁を撫でると、かすかに焼け焦げた匂いがした。窓ガラスは焼け焦げない。金属のノブも無理だった。僕の外套の裾に火がついて、すぐ消えた。

 突然ガラスが粉々に割れた。

 レイの仕業だ。

 僕は素知らぬ顔で、

「戻せるの?」

「今ヤッテル」 

 店主が驚いて外へ飛び出した。どこかの誰かが石を投げ込んできたのだと思ったようで、怒鳴り散らす声が聞こえた。

 床にぶちまけられたガラスが虫のようにうごめいて、一つのところに集まる。これから修復が始まるのだ。僕は目を凝らした。息をするのも忘れていた。しかしそこから何も起きない。

「戻ルナイ」

「壊せるけど直せないのな」

「掃除、デキタ」

 僕たちは貸本屋を後にした。すべてが燃えるわけではなく、割れるわけでもないということだ。僕の首を絞めることは簡単にできる。ひょっとして破壊系しかできないんじゃないだろうな。

 

 その夜僕たちは学校に忍び込むことにした。たいていのことは慣れるものだ。実は忍び込むのも初めてではない。たまに村の家に忍び込んで、食料を盗んだ。ただ塀で囲まれた学校へは初めてだ。そもそもこの世界で学校を見たのも初めてだ。

「待って」

 僕は茂みの中で、

「罠とかないのかな」

 と尋ねた。

「ワナ…」

 僕はレイの足首に爪を立ててつかんでみせた。レイは木の下からトラバサミを持ち上げた。鎖で幹に繋がれていた。

「コレ?」

「うん」

「結界とか」

「ケッカイ?」

 首を傾げた。

 ここで話していてもしょうがない。校舎に忍び込もうと、窓の下に身を寄せた。瞬間、僕とレイは元の下の茂みまで吹き飛ばされ、僕は全身がしびれた。レイはかろうじて頭を打っただけだったようで、慌てて木に登った。そして僕の首を絞めて、引きずり上げた。あちこちから夜警の松明が近づいてきた。

 何やら口々に話しながら、松明が茂みを照らしたが、それでもそんなに緊迫してなさそうだった。小動物でもいたのだろうと思ってくれたのかもしれない。

「大丈夫、カ……」

「首吊られて大丈夫なわけがないだろ」

 僕は睨みつけて、

「今度やったら死ぬぞ」

「守ルノ術、アル」

「結界だよ」

「ワタシ、アルカモ、気ヲ付ケタ」

「怒るぞ」

「オマエ、勇者ダ」

 まだ指の節々が痺れる。枝の上で何度も手の平を結んでは開いた。冬の間の奴隷生活で体力も筋力も落ちているが、まだ大丈夫そうだ。食えば戻る自信がある。夜警の集団がそれぞれに去るまで、こんな呑気なことを考えられるとは、しっかりこの世界に染まっている証拠だ。

「見エル」

「何?」

「オマエ、見エル、ナイ?」

 レイが僕たちが跳ね返された校舎の壁を指差した。そっと僕の頬に額の眼を押し付けた。

「見える」

 呆れるしかない。僕と彼女の忍び込もうとした残像が結界に張り付いていた。僕はカエルが叩きつけられたような間抜けな格好をしていた。彼女はまだ用心していたから、それでもお世辞にも格好いいとは言えない。そもそも格好いい跳ね飛ばされ方などあるものか。二人の顔まではわからないが、アホな泥棒だというくらいはわかる。レイの額が僕から離れると、見えなくなった。

 僕は額に手を当ててみた。

「隠スナ」

「見えるな」

 しかし像が薄い。彼女の頭を抱くようにして、頬に当てた。

「濃く見える」

「照レル、ヤメロ」

 レイは無理に抱かれた猫のようにイヤイヤして離れた。

「どうする?」

「壊ス?」

 僕に尋ね返してきた。確かに壊せるかもしれないが、壊してどうする気なんだ。誰にも知られず、呪術を載せられた本や、それを使いこなすための道具を盗む。これが今回のミッションだ。呪術を学ぶための学校なら、それくらいは揃っているだろうという、二人の浅はかな、他に誰も止めてくれない知恵だ。今、月影の髪をなびかせ、冬にきらめく星の瞳をした、精悍な女盗賊の参上とはいかなかった。結界に激突し、次の考えも浮かばないポンコツが、二人がん首並べて枝にいる。鳩でももっと考えているような顔をしているはずだ。結界で守られた学校へ、どう入る。自問はしたが、自答はない。

「才能あるんだろ?」

 僕は閃いた。

「ナケレバ、タダ、三ツ眼アルダケノ人」

「そうだね。聖眼、珍しい?」

 レイは頷いた。

「じゃ聖眼を見せたら通してくれるんじゃないか?」

「ムリ」

「どうして」

「昔々、我ラ、世界支配シタ。俗民ドモ呪術知ラナイトキ。祖先、油断シタ。仲間同士争ッタ。ソノウチ俗民、トテモ強イ呪術、創ル、覚エタ。我ラ、負ケタ。我ラノ王、燃ヤサレタ。歌、残ル」

「今は仲良しとか?」

「仲良シ、アンナ村、イナイ」

 額を指差して、

「我ラ、聖ナル眼、言ウ。デモ皆、邪ノ眼、言ウ」

 悲しいかなだな。よく聞く盛者必衰のことわりをあらわしていた。

 学校に忍び込んで、敵の呪術の秘密を盗むしかない。追いつかれ追い越されてしまうことは、よくあることだ。夜なら警備も少ないから力ずくで押し込めると、レイは考えていたが、僕は生徒がいるところに紛れ込んだ方がいいと考えていると答えた。

「紹介イル」

「入学するのと見学は紹介がいるかもしれないけど、このまま朝まで待てば生徒が入ってくるから、一人から制服奪う」

「イイ考エ」

 レイは悪巧みには尊敬の眼差しを向けてくる。

「一人、殺ス。入レ替ワル」

「殺さなくてもいいよ。入れ替わる間は閉じ込めておくけど」

 作戦が決まったところで、僕たちは校庭の隅まで移動して、誰にも見つからないように待機した。

 レイは相変わらず僕の外套の中で丸くなる。まだ自分が小さいと思っているようだ。僕は彼女の頭を枕代わりにして寝た。成長しても寝付きはいい。僕の肩に頭を預けて、うずくまるように寝た。

 前よりも重い。

 彼女たちは三回の冬眠ごとに成長し、三つ目の眼ができるのだが、レイは発育が遅く、三回でも四回でも眼が現れず、捨てられたとうことだったな。五回目でようやく美しい姿に変化した。蝶々のように羽化するというのだろうか。いや。蛇のように脱皮かな。脱皮なら抜け殻はあるのかな?また聞いてみようと思いつつウトウトした。もう一度、自戒のために言うが、ウトウトした!

 朝、僕たちは目を覚ました。

 すでに二人別々に縄でグルグル巻きにされていた。そこまで気づかなかったのは、もはや芸術点が高いと言いたい。

 剣の腹が頬を叩いた。

 体の大きな兵士が三人、何やらわめいていた。僕たちは寝ている間に捕まっていた。起こして暴れられるよりも、寝ている間に捕まえてしまおうと考えたのだろう。兵士の後ろには、何人もの制服姿の若い子たちが好奇心と不安とが混ざった顔をしていた。つるつる丸坊主と、不機嫌なレイが並んで捕縛されているのだから、そんな顔もするだろう。

「レイ……」

「ン?」

「帽子かぶりたい」

 地面にニット帽が落ちていた。レイは何やら兵士と話したが、僕が殴られた。ひどいもんだ。兵士は剣で帽子を持ち上げて、ニヤニヤした顔で茂みに捨ててしまった。見物人もどっと笑った。間抜けな侵入者かもしれないが、この扱いはひどい。

「こんなところに何で?」

「何を盗むの?」

 という具合だろうか。

 今のレイは不機嫌だ。捕まったことにではなく、途中で起こされたことに腹が立っているのだ。基本的に寝起きはいいのだが、他から起こされると腹が立つらしい。旅をしているときでも、たまに僕が先に起きても彼女を起こさず、起きるまで待っていた。たいていは彼女が早起きで、僕が蹴飛ばされていた。

 ただ僕は彼女の機嫌を戻す方法を知っている。たぶんこの世で僕だけが知っている。食えば機嫌良くなるのだ。しかし捕縛されるまで熟睡していたとは、お互いに図太い。


「シン…」

 寝起きの低く、見た目からはあるまじきかすれた声だ。

「ん?」

「ドウスル」

「どうするも何も」

 僕は縄で縛られたのを見せ、

「捕まったんだからどうもできないよ。縄がほどけるなら別だけど」

「縄、ホドク」

「できるの?」

「デキタ」

 レイは僕の後ろ手の縄を、

「オマエ、ホドク、タ」

 これは解いたのではない。強引にちぎったのだ。これくらい力技なら、もはや呪術を学ぶ理由はないような気もする。こんなものに火水木金土の精霊など必要あるのか。

 力こそ正義。

 とはいえ、この世界の精霊とやらに力を貸してもらうか、命じるかして、とんでもない力を発揮する術もあるのかもしれない。だからこそ学生が学びに来るのではないか。

 レイも人にあらざる者の力を身につけられるのかもしれない。もっと強くなるためには、もっとたくさん学ばなければなるまい。

「レイ、ここの先生に会いたいと言え」

「ナゼ」

「学べるかもしれないぞ」

「コイツラ、殺ス」

「怒るのはわかる」

 とはいえ、

「悪いことしたのは僕たちだ。誠意を込めて謝ろう。そうすれば許してくれるかもしれない」

「ワタシ、謝ル、ナイ」

「今日は頑固だね」

 努めて冷静に、

「僕には謝ってくれたよ」

「シン、トモダチ、謝ル。ワタシ、守ッテクレタ。旅、一緒ニシタ。大切、人。コイツラ、トモダチナイ、敵、ゴミ、クズ、カス」

「レイはビリケンさんや三つ編みさんとも話したじゃない」

「二人、悪イナイ。シン、ワタシ、ヤサシイ、シテクレタ。デモ、コイツラ」

「彼らの仕事だよ」

「違ウ」

 レイは僕を睨んだ。

「仕事、ワカル。デモ、オマエ、バカニシタ。ソレ、仕事、ナイ。オマエ、コイツラ、言葉ワカルナイ。知ルナイ」

 レイは顎を引いて、眼光鋭く、兵士と学生立ちを見据えた。兵士も遠巻きにしていた生徒たちですらも後ずさるほど、凄みがある。

「レイ」

 僕は静かに話した。

「僕を悲しませないでほしい。レイを嫌いになるのは嫌だ。だからここは冷静に」

「シン、ワタシ、嫌イ?」

 彼女の瞳に涙が浮かんだ。

「好きだよ」

 無意識に出た。

「だから一緒にいるんだよ。ね、落ちついて」

「ウン」

「僕の言うことを彼らに伝えて」

「ワカタ」


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