第15話

 僕たちは難を逃れた。

 僕は聞こえたんだ。

「ただね、わたしは少しうれしかったの。夫が一緒にいられるように剣に封じ込めてくれたんだって言ってくれた。バカよね、わたしも」

 二人で塔が崩れるのを眺めた。押し寄せる埃が、まるで台風のときのような風雨だった。次々それらはいびつに倒れていった。

 僕はレイの膝枕で眺めた。

 遠くで火の手も上がるが、こちらまてまは来ないだろう。まるでサイレント映画を観ているようだ。

「痛む?」

「大丈夫だよ。レイは治すこともできるんだな」

「琥珀のおかげ。シンの傷に琥珀がくっついてるもん」

「そうか」

 僕の瞼は重い。

「シン?」

「ん?どうかしたの?」

「死なないで。お願い」

「死なない。少し眠るだけだよ」

 腰から背中の感覚がなく、右足ががしびれていた。手探りでレイの髪に触れると、そのまま手が芝に落ちた。浅く息を吸い込んで止めた。

 やがて僕の体が持ち上げられるように感じた。ぼんやりとさた光とともに舞い上がる。濁っているが温かい空気が取り巻いていた。今、僕も還るべきところへと還るのだ。

 お別れだ。

 レイは抱いている体が抜け殻になろうとしていることに気づいているのかな。僕は肉体を離れ、地上と離れるほど、意識が薄れていく。

 さよなら。

 レイは僕の体を抱き締めて、涙を隠すように顔を伏せていた。僕と同じくらい悲しいのだろうか。僕以上に悲しいのだろうか。

「おまえさんらには礼を言わねばなるまい」

 うっとうしい!

 威厳を見せたまま、絵師の魂も導かれた。もういいって。寄り添うように一つの光が揺れていた。

「あれは女王様か」

 光は老いた絵師の肩を抱いていたわるように見えた。国ノ王が気づこうが気づくまいが、もう済んだことだが、もっと二人に別の出会いがなかったのだろうかと考えた。

「世界に歪みが生じておる。わしの代わりに、その遺した剣で鎮めてくれ。これからがおまえらの旅だ」

 老絵師は命じた。

 どこまでも情けないな。逃れるために英雄を気取ることしかできなかったのか。あるときは栄国の王、あるときは憂国の志士。自分を欺くために、僕を欺いた。僕を欺くために、自分を欺いた。彼女とともに自分自身に立ち向かわなかった。彼女の準備はできていたのに。

 僕も消えるんだよ。

 勝手に言ってろ。善良なふりをした絵師に頼まれたとしても、約束なんてできない。消えてしまうんだからね。死ぬんだよ。てか、もう死んでるんだ。ひょっとして棺に僕の姿があったのかもしれない。こんなことなら探しておけばよかった。

 そんなのはいい。

 ただ決まっていることがある。

 レイとの記憶も失われてしまうんだろうな。思えば自由に生きた数ヶ月だったよ。そりゃ、不自由はあったし、腹立つこともあった。理不尽な目にも遭った。でもレイとともに濃い時を過ごせた。今、この鮮やかな時は終わろうとしている。

 地上では、レイが僕を抱きしめていた。諦めきれずにいたが、やがて僕の体をそっと地面に置いた。消えていく僕の姿を見つめていた。

 と、不意にレイが空を向いた。

 そして、

「おまえが!」

 と、叫んだ。

「どの世界にいても、わたしは絶対に見つけ出してやる!」

 手の甲で涙を拭い、

「おまえを見つけるためなら、わたしは世界だって滅ぼしてやる!」

 滅ぼすって……

 穏やかではないな。

 レイ、少し頭を冷せ。

 僕は苦笑した。それでもレイはいつでもレイだな。元の世界に戻れるなら、彼女との記憶も。いっそ忘れてしまえる方がいいのか。

 それは卑怯だろ。片方だけが覚えているなんて、つらすぎる。どうしてやればいいんだろうか。

 全身に激しい衝撃がした。

 急にジェットコースターが止まったようなものにも似た、何だか不安と恐怖が混在する一瞬だ。

 レイの手に淡く光る鎖が握られていた。目でたどると、空の僕のところまで続いていた。まさかとは思うが、僕は首に手を添えた。

 マジか。

 彼女は鎖を片手で巻きつけては引き寄せ、また巻き寄せてを繰り返した。僕も抵抗した。右手には槍を構えていた。僕の背後で誰かが戻すまいと抱き留めていた。目の前の空間が蜘蛛の巣のようにひび割れ、僕は力任せに引き戻された。細かな破片が輝きながら降り注いだ。右手は誰かにつかまれていたが、僕が肩越しに見ようとしたとき、レイが放った槍が影を吹き飛ばした。

 僕は僕の体にいた。

 溜息が漏れた。

 レイは僕を抱き締めた。まだ地上に足がついていないが、息をするたびに肺が押しつぶされた。

「おまえはわたしのものだ。世界の掟なんてくそ食らえだ」


 僕たちは壮大ながれきの中に腰を掛けていた。すでに夜深くなろうとしていたが、まだ空は琥珀に煌めいていた。僕はあの群れにいない。

 もしあの石ころのせいで僕に何かあるなら、路地でトトの命を救おうとしたとき、天へ召されていた。

「召されたいのか」

「そうじゃないけどさ」

 美月さんが僕を救おうとしていたような気がしたが、レイの槍が影を引き裂いたので、結局のところ何とも言えない。帰れたのか?ただレイを恨もうとは思わないがな。

「でもおまえは召されかけていたんだ。わたしには見えた。おまえを連れて行こうとする影がな」

「あ、そうなの?」

「気に入らないのか」

「光栄だよ」

「嫌味にしか聞こえん」

 僕はがれきの中から木片をつまみ上げた。まだ腰から背中にかけてズキズキしていたが、しばらくしたら治るだろう気配がしていた。

「あの爺さん、死ぬまで自分がしでかしたことにしなかったな」

 と、レイが言った。

「死ぬまでか。たぶん死んでも認めてないだろ。ある意味、幸せなんじゃないか。周りは迷惑だけど」

「意外に女王様も幸せなのかもしれない」

 僕は何となく歩いて、何となくがれきをのかしてみたところ、別々のところで、何となく二振りの剣を掘り起こすことができた。

「自分で広げた風呂敷を自分で畳めなかったんだよ。他が畳んでくれたんだしな。レイが見た影って?」

「槍で射抜いたからわからん」

 レイは両手を頭上に伸ばした。

「シン、聞いていいか?」

「言わなくてもわかる。フィリとのことだろ」

 レイはむすっとした。

「白亜の塔を壊さなくても済んだんじゃないかだ」

「そっちか」

「とにかくわたしは疲れた。風呂に入りたい。おまえは好きにしろ」

「好きにしていいのか」

「おまえの命だ」

「好きなところに行くぞ」

「ああ、構わない。わたしも一緒に行くだけだ。その間にゆっくりと聞きたいこともあるからな」

「特に話すことなんてあるかな」

「おまえが決めることじゃない」

「そうですか」

 レイは王女から渡された額飾りをした。なぜ渡したのだろうか。

「似合ってるね」

「うるさい」

「この剣はどうする?」

「いらない」

「今後、この世界に歪みが起きるだろうからと託されたんだけど」

「知るか。わたしは世界のことなんてどうでもいい」

「売れるかもしれない」

「持っていこう」

 僕たちは塔を後にした。

       おわり

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