第12話
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次に目覚めたときには、新鮮に見える白い天井が目の前にあって、そうして病院のドラマでよく見た点滴のセットが手の甲に食い込んでいるのを認識した。
「お、起きました」
ぼやぼやとする意識の中で聞こえる女性の声。看護師だったと思う。看護師はその声をあげた後、どこかへ走っていき、誰かを引き連れてやってきた。メガネをかけたおじいさんのような人。医者だったと思う。
「やあ僕、名前は言えるかい?」
名前を聞かれて、俺は答えることができない。
名前なんて、俺にあったのかもわからない。名前で呼ばれたことがないから、そんなこと知りようもないから。
お医者さんはその様子を見て、記憶がどうとか、よくわからない言葉を話している。俺は、ものすごく眠たくて、その言葉を無視して、また眠りにつく。
起きたらまた話せると思ったから。
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次に目覚めたときには意識がはっきりしていた。前に見た看護師と医者。そして、どこかコートを着ているおっさんと、スーツを着ているおっさんとは言えない若い男。
「この子、なんですかね」
「間違いないだろう。金髪にタトゥー。あからさまなくらいじゃないか」
コートを着たおっさんはそんなことを話している。
「君、名前は言えるのかい?」
この前と同じ質問をおっさんは繰り返したけれど、俺に答えるべき名前は存在しないから、知らない、と答えた。
医者は記憶の混濁、とかそういう風に話していたけれど、コートのおっさんがそれを否定する。そのあと説明するように医者と話していたけれど、言葉の意味はいまいち理解できなかったから覚えていない。
おっさんが医者との話を終えると「この子に見覚えはないかい?」と一つの写真を俺に見せてくる。
見せられた写真の中には、頬を腫らしている姉の姿。そのままに正直に答えると、おっさんは深くため息をついた。
「お姉ちゃんはどこにいるの?」
俺がそう聞くと、おっさんは目をそらした。
「……ここにいるよ。病室は違うけどな」
俺は姉がいることがうれしくて喜んだけれど、その様子を見ておっさんと若いスーツの兄さんは気まずそうに息を吐いた。
俺は二言目には会いたい、と話したけれど、それに対しては、ごめんな、という謝罪だけが帰ってくる。医者も目を伏せていて、理由はわからないけれど、なぜか俺は姉と会えないらしかった。
そこからは、長い長い話。いろいろなことをひたすらに質問される。
今までどこに住んでいたのか写真や地図をちらつかせながら。よくわからないから答えられない。母親はどこにいるのかを聞かれたけれど、それは俺の方が知りたい。俺は答えられない。俺にひどいことをした男はどこに行ったのかと聞かれたけれど、わかるわけもないしわかりたくもない。俺は、すべてにわからない。というように答えるしかなかった。
「……頼みの綱だったんだがな」
おっさんは、息を吐いた。
「ええと、お姉ちゃんなら答えられるかも」
俺がそういうと、おっさんが、そうもいかないんだ、と答える。俺はよくわからない。どうして、と何度もしつこく聞いて、おっさんは
「子どもに話すものじゃねえんだがな」
と俯きながら言った。
「──記憶が、もうねえんだよ。あのお嬢ちゃんは」
やはり、よくわからなかった。
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「相当なストレスの環境で暮らしていたせいか、記憶がねえんだよ。最初に病院に連れて来られた時にはずっと弟の話をしていたんだが、目を覚ましたら何にも覚えていないんだよ」
よくわからない。
いや、きっとわかってはいたけれど、それでも理解することをやめてしまったのかもしれない。
そんなドラマみたいなこと、って思いながらその話を聞く。
「最初はよ、俺の顔を見るだけで悲鳴を上げるくらいだ。かと思いきや、ずっとごめんなさいって続けやがる。俺だけかと思いきや、会う男に対して全部それだから、今あの子に会えるのは女性の医療スタッフだけなんだよ」
俺は、よく理解しようとはしなかった。
いつも俺のことを守ってくれていた姉の存在。男がどうしようもなくて、だんだんと守ってくれることは少なくなったけれど、最後に俺を包んでくれた温もりはきっと一生忘れない。
──そこに、光明はあるのかな。
姉の言葉が、幼い頭に反芻する。意味は分からないけれど、俺はそれを聞いた瞬間に涙を流すことしかできなかった。
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後から聞いた話。度重なる暴力によって男に対しての恐怖症が記憶以上に身体に刻まれていることから、俺と会うことについては厳しいとのこと。そして、身体の健康状態が確保された段階で、児童保護施設に入れられる、ということだった。ただ、普通の児童保護施設では、姉の男性恐怖症が厄介なものとなるため、特別の女性のみが入ることのできる施設に入ることになったそうだ。だから将来的にも俺は姉と会うことはできない、と聞かされた。もし、そこから姉の男性恐怖症が緩和されたら会えるのかもしれないけれど、姉の記憶は現在に至るまでに戻る兆しはないらしい。そして姉が妊娠していた、という事実を俺は退院間際に聞かされた。姉はその子どもを産むという選択肢はもちろんなく、特別児童保護施設に入る前に堕胎処理を行ったとのこと。ずっとごめんなさいという言葉を吐き続けていた、ということをおっさんから聞かされた。
それから、俺が退院するまでおっさんはひっきりなしに俺のもとへと訪れた。一連の児童虐待についての情報を知るために、虐待した男と母の人相書きを俺の言葉で詳細にして、情報を集める。そして何をされたのか、どういう虐待だったのかを聞かれる。思い出したくはないけれど、必要なことだと割り切っておっさんに話す。
しばらくして、あの男と、遅れて母が逮捕されたという話を聞いた。
男については余罪があると見られてはいるものの、その余罪の証拠が集まらない。だが児童虐待、性的虐待だけでも無期懲役。証拠が見つかれば、極刑の可能性もあるとのこと。母についてもネグレクトとして同じく無期懲役になるかと思われたが、精神病として人格パーソナリティ障害があり、精神病院での対応になるとのこと。それでも、外に出ることはもうないだろう、とおっさんは言っていた。
俺についてはどうなるか、と聞いたけれど姉と同じく施設に送られる、という話。俺はそれに対して難色を示した。というよりも、これ以上に身も知らぬ人間にこの身を預けたくないという不安が無意識に主張していたんだと思う。
結局どうなったか。
「それなら、俺と一緒に暮らすか」
その一言で、俺はおっさんに引き取られることになった。
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