第二章 世界樹スモーク

第15話 ハイキング

「えっ、もう出発するんですか? 昨日の今日ですよ?」


 冒険者ギルドの酒場の一角から、エッジの驚き声が聞こえて来る。テーブル席に座る彼の向かい側には、出発準備万端な美味と甘露が座っていた。


「確か昨日、何日かは休みをもらうとか言っていなかった?」


 同席していたセシルも、エッジと同じく疑問の声を上げる。依頼で得た報酬金、日帰りか遠出かでもその日数は左右されるが、冒険者とは通常、依頼を終えた後は何日かの休みを挟むものだ。エッジらのパーティもその例に漏れず、今日一日は丸々休暇にする予定となっている。


「別に新たな依頼をやりに行く訳ではないですよ」

「ですです。ちょっとそこまで、リフレッシュを兼ねたハイキングに行くだけですよ~」

「ハイキング、ですか?」


 美味達の場合、絶対に食は外さないのだから、それはむしろピクニックでは? と、エッジはそんな事を考えたが、口には出さないでおいた。


「あー、休みをそんな風に使う人、確かにいるもんねー。まあ、そんな風にわざわざ休日に出歩こうとする冒険者は、あんまりいないと思うけど……」

「え? 俺はよく山とか登ってるぞ?」

「僕もそれなりに遠出をしますね」

「クッ、このアウトドア派め……!」


 ちなみにであるが、三人は昨日の宴会(昼)で大分美味達と打ち解けていた。セシルなどはこの通り、すっかり同年代と話すような口調だし、ジャックも同じようなものだ。敬語を使っているのは、元からそんな喋り方をしているエッジくらいなものだろう。


「おお、という事は皆さん、結構この辺の地理には詳しいですね!」

「あれっ? 私もアウトドア派に入れられてる?」

「知らない土地を当てもなく進むのも一興なのですが、お休みの日という事で、一応はちゃんとした計画を立てようと思いまして。なので地元の皆さんに、この辺りでハイキングに適した場所がないか、お伺いできないかなと」

「なるほど、そういう事ですか」

「でも、ハイキング、ハイキングねぇ…… 私はあまり詳しくないからなぁ」

「なら、あそこはどうよ? ほら、俺達が小さい頃にさ、よく冒険者ごっこをしに行った―――」



    ◇    ◇    ◇    



 ジャックにハイキングコースを教えてもらった美味と甘露は、その後直ぐにパゲティ村を出発し、西へと向かった。そしてゆったり歩く事、数十分。到着した先で彼女らが目にしたのは、自然豊かかつ長閑のどかな河原であった。


「わあ! ここ、全っ然殺気がないよ、甘露ちゃん! 平和も平和、大平和!」

「美味ねえ、前提条件がおかしいですよ。ハイキング場所を聞いたのに、そんな殺気立った場所を教える人なんていないでしょうに。 ……ですが、ここは確かにのんびりするのに丁度良さそうですね。聞こえて来るのは水の音、野鳥のさえずり――― つまるところ、心穏やかになるものばかりです」

「だね~。モンスターも滅多に出現しないそうだし、万が一出会ったとしても最弱クラスなんだっけ?」

「らしいです。子供の頃でも余裕で逃げられたとか、ジャックさんがそう言っていましたね」

「あはは、まさかの経験談~」


 パゲティ村出身のエッジらは、子供の頃によくこの辺りに来ていたという。村からそう遠くなく、モンスターに襲われる危険性も殆どなかった為、子供だけで来る事ができる、数少ない遊び場所であったそうなのだ。ハイキングをするのに打って付け、正に天然の保養地と言えるだろう。


「ふふん、これなら良い休日を過ごせそうです。主に、食的な意味で」

「うんうん! 今日のテーマはズバリ、ゆったりまったり食ったり!」


 エッジの予想通り、二人の最優先事項はやはり食である。ゆったりまったりしつつ、一日中野外での食事を楽しむのが、今回の目的のようだ。


「ほっ、はっ!」

「流石は美味ねえ、良い仕事振りです」


 河原近くに陣取り、キャンプの時にも使った椅子などをテキパキとセットしていく美味。ものの十数秒ほどで拠点が完成する。


「で、まず私はこれッ!」


 続いて美味が取り出したのは、お手製の釣り竿だった。尤も、甘露が錬金術で作成したものなので、お手製と称して良いのかは微妙なところだが。しかしながら、その性能は確かである。糸を水面に垂らしただけで、本物の小魚の如く水中を泳ぐ不思議なルアーは、人が見ても本物と間違えてしまうほどの出来なのだ。これならば釣りに関して完全素人な美味でも、それなりの成果を挙げる事ができそうだ。


「待っててね、甘露ちゃん! お姉ちゃん、大物を釣り上げてみせるから! 期待の新星だよ!」

「はい、沢山期待していますから、バンバン釣っちゃってくださいね。私は私で調理を進めますので」


 対して甘露がポーチから取り出したのは、昨日錬金術で作成したばかりの箱型燻製器であった。昨夜、部屋で雑談をしながら作っていたのは、どうやら燻製器これであったようだ。河原でのんびりと食材を燻製し、休日を楽しむつもりなんだろう。


 ……しかしながらこの燻製器、少々、いや、かなりサイズ感がおかしかった。業務用の冷蔵庫かと、思わず二度見してしまうほどの大きさなのだ。彼女らの胃の大きさを考慮すれば、まあ納得の大きさではある。あるが、やはりどう考えても、河原で鼻歌を歌いながら使うような代物ではなかった。


「わあ、またすっごい燻製器を作ったね!」

「凄いって、美味ねえは昨日も見たじゃないですか」

「でも、凄いものは凄いよ! それで、何を燻すの? 私が釣り上げる予定のお魚?」

「いえ、魚はまた別の調理をしようかと。何分初めての調理方法なので、まずは宿で準備しておいたコカトリスのゆで卵、以前王都で購入した暴れ鬼牛のチーズを入れてみようと思います。これらは燻し初心者にも作りやすい食材、だった筈なのです」

「ほほう、つまりスモーク卵とスモークチーズが出来上がる訳ですな? 想像するだけでもヨダレが止まりませんなぁ。じゅるりら」

「はいはい、変な口調になっていないで、美味ねえは釣りに集中してください。じゅるりら」


 呆れた様子で美味を釣りに行かせる甘露であったが、そう言う彼女も若干ヨダレが出ていた。


「さて、私も調理に集中するとしましょう。燻す際に使うスモークチップ・スモークウッドは、確か桜の木がポピュラーなものだった筈。しかし、この世界で桜の木を見た事はまだありません。別のもので代用する必要があります。 ……と言いますか極論、煙が出れば木の種類は何でも良いんですよね。まあ、私なりに厳選はしてみたのですが」


 ゴソゴソと、再びポーチの中身を漁り出す甘露。昨日のうちにある程度の候補を選んでいた彼女であったが、どれにするかまでは決めかねているようだ。


「よし、これでやってみましょう。今日は食と同時に、癒しを求めている訳ですし」


 そう言って甘露が取り出したのは、世界樹と呼ばれる伝説の樹木だった。甘露はその樹木を特製スモークウッドに錬金、手の平サイズの丁度良い大きさに仕上げる。


「さあ、観念してモクモクしてください。モクモク、モクモク……!」


 着火用のスプレーボトルで、数分ほどスモークウッドを焙る甘露。すると燻煙材は段々と黒くなっていき、狙い通りモクモクと煙を出していくのであった。上手くスモークウッド錬金できたと、その瞬間に甘露が小さくガッツポーズを決めたのは、内緒の話だ。


「これを燻製器の下にセット、卵とチーズを上の段にセットして…… うん、これで一度様子を見ましょうか。待っている間は、まあ読書でもして―――」

「―――甘露ちゃーん!」


 甘露が本を取り出そうとしていると、不意に美味の叫び声が聞こえて来た。その喜びに満ちた声色に、早速何かを釣り上げたのかと、甘露は感心しながら顔を上げる。


「おや、随分と早いですね。もう一匹目を釣ったんですか?」

「うん! ほら見て、エルフが釣れたよ!」

「!?」


 しかし、美味が釣り上げたという獲物は予想外のものだった。これ見てこれ見てと、高らかに上げられた美味の右手が掴んでいたものは、傷付いたエルフの女性であったのだ。

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