第8話 ローストドラゴン

「下味を内部にまで浸透させる闇胡椒を使っていますから、そのままで召し上がってください」


 目の前の小皿に置かれる、一切れのローストドラゴン。一切れのみ、されどその風貌は威圧感に似た何かを帯びており、サイズも小皿から軽くはみ出してしまうまでに大きい。これが今日一、さっきの肉よりも美味しい。唾液腺が刺激され、胃が早くそれを寄越せと唸っている。この一切れに一体どんな未知が広がっているのか、想像するだけでもご飯が丼ぶりで食べられそうだ。


 眼前の料理に食べる前から圧倒される三人は、チラリと対面に座るミミとカンロの方を見た。ニコニコ顔のミミはお先にどうぞと言い、無表情なカンロは自分達を観察するかのようにジッと見詰めている。ゴクリと唾を飲み込み、同時にフォークを手に取る三人。手が震える。だからこそゆっくりと着実に、ローストドラゴンを口へと運ぶ。そして、最初に口へ運ぶ事に成功したのはセシルであった。


「―――ッ!?」


 まず最初に襲って来たのは、真っ正面から殴られたが如くの衝撃だった。同じ肉の各部位を味わった後、それもお腹が一杯一杯な状態だったが、そんな些細な事は関係なかった。口一杯に広がる肉を食っている感のインパクト、溢れ出る怒涛の肉汁、下味によってより複雑化する旨味、深淵のように底が見えないコク味、ありとあらゆる面が既存の知識を凌駕し、強烈な拳となって迫り来る。幻影なんて薄っぺらいものじゃない、確かな衝撃が叩き付けられたのだ。


「かっ、はっ……!」

「お、おい、セシル!? 大丈夫か!?」

「ぷはぁっ! い、息、息しなきゃ……!」

「呼吸を忘れるほどだったんですか!?」

「う、うん…… こ、これは、美味いなんて、もんじゃ……! 美味しい……」


 ふにゃりと顔を綻ばせるセシル。そんな彼女を見て、エッジとジャックもローストドラゴンを口へと運び―――


「「―――ッ!?」」


 全く同じ反応を示すのであった。


 エッジらはノックダウン寸前のところにまで至ったが、辛うじて意識を保つのに成功。口から広がる幸福感と情報量の暴力に、息も絶え絶えになりながらも辛うじて耐えたのだ。それなりの苦境を乗り越え、己を高めて来たD級冒険者の彼らだから良かった。しかし、これを一般人が口にしていたら、十中八九味わう最中に意識を手放していただろう。それほどまでに暴力的で、幸せな美味さだった。正しく、強者の為の贅沢であった。


「おお、意識を保ちましたか。やりますね」

「では、私もパクリ! ……ん~、美味い! パンチのある味ですね! あのお肉さんを受け止めた時のような、そんな衝撃を感じちゃうかも? 猛烈な刺激が胃にダイレクトアタックを仕掛けて来ます! 侮り難し、ありがたし!」


 パクパクと次々にローストドラゴンを食していくミミ。そんな彼女に続くようにして、カンロも箸を動かし始める。


「うん、アースガーリックの風味が良いアクセントになっていますね。それに、胡椒と塩の相性も良かったのかもしれません。ガリク村のアースガーリックは後に残る臭いが少ない事で有名ですし、沢山食べても問題なし。栄養も満点です」

「たとえ臭いが残ったとしても、これなら我慢できずにパクパクだよ~。パクモグ~」

「美味ねえならそうでしょうね。あ、もちろんおかわりもありますので」

「んんっ、やったー! お姉ちゃん、遠慮しないからねー!」


 ミミとカンロは幸福的な暴力を意に介していないのか、続け様にローストドラゴンを口に運んでいる。その速さは風神の如し、気が付けば二つ目となるローストドラゴンの肉塊を取り出していた。


 エッジらも二人に負けじとローストドラゴンを頬張るが、その度に人生最大の幸せ体験に迫られ、精神と肉体を一時停止させてしまう。こんな恐ろしいものをこれ以上食べたら、普段の食事がとんでもなく陳腐なものと化すのではないか? そんな事まで心配してしまう。なぜミミ達はあんなにも素直に食べられるのか、涙を流しながら不思議に思ってしまう。尤もそんな疑問も、快感の前に直ぐに消失してしまうのだが。


 とまあ、そんな調子でメインを食べ、どれだけの時が流れただろうか。恐らく、エッジらには経過時間すらも把握できていないだろう。ただ、一つだけ分かる事がある。あれだけの大きさを誇っていたローストドラゴンを完食し、全ての食の山を乗り越えた。信じられないが、踏破する事ができた。今日だけで人生分の驚きを体験したのではないかと、エッジ達は真剣にそう考える。


「ご馳走様でした。今日もとっても美味しくて、お姉ちゃんは大満足でした」

「お粗末様でした。これだけのお肉を提供してくれたドラゴンに感謝ですね。保管の中にまだ材料がありますし、数日は持ちそうです。実入りの良い依頼でしたね」

「ご、ごち、そうさま、でした……」

「ハァ、ハァ…… 私、生きてる……? ここ、天国じゃない……?」

「た、多分、現実だ…… 愛剣の重みが、辛うじてそう教えてくれる……」


 満足そうなミミとカンロとは打って変わって、流す涙も尽き果て、未だ幸せの大海原に漂う三人。朦朧とする意識を何とか覚醒させ、生まれたての小鹿のような足取りで立ち上がろうと努力する。剣などといった自分達の得物を杖代わりにして、何とかそれを成し遂げるのだが、やはり体と心が不安定な事この上ない。


「皆さん、あまり無理をされない方が良いですよ? 甘露ちゃんの料理、慣れていない人には刺激が強くて、大体半日くらいはそんな調子が続きますから」

「え、ええー……」

「あの、それじゃあ、森、抜けられないのでは……?」

「その為のテントですよ。寝袋をお貸ししますから、今夜はここでキャンプしましょう」

「今夜? あっ……」


 三人は空を見上げ、辺り一帯が暗くなっている事に漸く気付いた。確かに今のこの状態では、ガリクの村へ報告に戻るどころか、まともに歩くのも難しいだろう。


「火の番は交代交代…… といきたいところでしたが、その様子では難しそうですね。こうなってしまった一応の責任もありますし、私と美味ねえが交代でやります」

「で、でも…… あんなに、美味しい食事まで、頂いたのに…… それは悪い、ですよ……」

「でもじゃないです。そんな状態で火の番をされる方が迷惑ですから」

「ううっ、反論できない……」

「で、では、改めてお礼だけでもさせてください。それと、ご馳走様でした! 信じられないくらいに美味しかったです!」


 足腰の震えは相変わらずだが、他の二人に比べ、エッジは多少喋れるようになって来たようだ。


「それは重畳です。甘露ちゃん、こんなに褒めてくれてるよ? 良かったね」

「まあ、そうですね。あれだけ夢中になって食べてくれると、作った甲斐はあります」

「……? あの、気のせいかもしれませんが、ミミさん、少し口調変わりました?」

「そうですか? 私はいつも通りに喋っているだけですけど~?」

「ああ、お気になさらず。美味ねえはある程度お腹が満足すると、爆上げだったテンションが落ち着いて、ほんの気持ちだけ清楚な性格になるんです。おかしいですよね? 私はおかしいと思います。フフッ」

「そ、そうなんですか……」

「もう、甘露ちゃんったら失礼なんだから。お姉ちゃんは何もおかしくないのにね?」


 ミミが人差し指を軽く振り、僅かに首を傾げてみせる。口調どころか仕草まで変わっているミミの様子に、カンロは笑うのを我慢しているようだった。一方のエッジはこれは確かに、と、性格の変化に納得。改めて変わった人達だなと、苦笑するのであった。

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