第3話

アップが終わり、先輩たちが部室の方へ戻って来た。

つい最近まで中学生だった俺にとって、高校生はかなり大きく見え、筋肉の付き方や骨の太さ、元々の骨格さえ違うように見える。


1番遠くにいた人が、すごい速さで走って来た。練習用のユニフォームには背番号がなく、どこのポジションかは分からないが、細身で平均的な身長なので一塁あたりかなと予想してみた。


まじまじと見過ぎただろうか。その人と目が合ってしまい、とたんに固まる。

身体は大きくないがすごい存在感だ。


「新入生諸君」


鼻にかかった通りの良い声。

観客席で見学していた1年生全員がピシッと姿勢を正した。


「俺、本間翼ほんま つばさ。次期キャプテン。キャプテン翼。入部待ってるから宜しくな」


キャプテン翼はサッカー部ではなかったか。そんな事が頭をよぎったが、突っ込みを待つ暇もなく、次期キャプテン翼は部室に戻って行った。


「キャプテン翼はサッカーだよな?」


次期キャプテン翼が残した微妙な空気を変えようと、困り顔男に話し掛けた。


「キャプテン翼はあの人の事ちゃうん?サッカー部はあっちにグラウンドがあるみたいやけど」


俺の質問が通じなかったのだろうか。困り顔男は真面目にそう言った。


「もしかして…」


キャプテン翼を知らないのか?いや、俺も実際に読んだ事はないが、その名を聞いた事くらいはある。

全然世代じゃない俺でさえ知っている、かなり有名な作品のはずだ。


「漫画とか読まないの?テレビ見たり、アニメとかさ」


その質問は、特に失礼なものではなかったと思う。だが、なんとなく、聞いてはいけない気がした。

困り顔男の顔が、困った顔ではなく、少しだけ悲しそうな顔に見えたからだ。


「漫画も読まへんし、テレビも見んな」


「へぇ」


どうしよう。そういう人はいっぱいいると思うけど、こいつが好きでそうしているのか分からない。


「もしかして、活字以外の本は読んじゃいけない家とか?」


こんな、とんちんかんな質問しか出来ないなら、黙っておけば良かった。


「まぁ…」


困り顔男は頭を搔く。


「そんなとこ」


そして、目線を下げて続けた。


「遊はポジションどこなん?」


「野球の話だよな?」


「他に何があるん?ここは野球部のグラウンドで、今は野球部の入部見学中やで」


「それは知ってる」


「なら良かった」


俺は少し考えるフリをして答える。


「ポジションは…多分ショート」


「多分か。他にもどっかやってたん?」


「うーん…」


本当はピッチャーの経験の方が長い。ショートをやり始めたのは2年前で、まだ自分に馴染んでいるとは言えない。


「前はピッチャーやってた」


言ってから、言わなくても良い事だなと思った。ショートだけのイメージを付けておいた方が良いと。


困り顔男は、そんな俺の気持ちをもちろん気にする事もなく「俺もピッチャーやってたで」と言った。


「じゃあピッチャー希望?」


「希望はセカンドやな。中学の部活はピッチャーがおらんくてやってただけやから」


「そうなんだ」


そういう事もあるらしい。

東京にいた時に所属していたチームは60人いて、その中にピッチャーをやる選手は12人いた。

ピッチャー専門だけでも9人はいたはずだ。

学校の部活になるとさすがに人数は減るだろうが、部活には入っていなかったから分からない。


「おいお前ら。野球部入るんか?」


そこで、先程のイケメンが声を掛けてきた。睨まれた時は冷たいと感じた目が、今はそれほどでもない。


返事に迷っていると、イケメンの隣にいた背の高い男子生徒が口を開く。


「野球部に入らん奴はここに見学来てへんやろ」


「そんなん分からんわ。見学だけして、入らん奴もおる」


「他の部活にはおるかもしれんけど、野球部にはおらん」


「お前に何が分かるんや?」


「何も分からん。でも、ここにおる奴には入って欲しいとは思ってる。それは俺の自由やろ」


「知らん。お前の自由と俺の自由は別物や」


漫才みたいなテンポだなぁと呑気に聞いていた俺は、この2人に見えていないみたいだ。隣で、同じ様に呆気にとられている困り顔男を見る。


「味方は多い方が良いよなぁ」


「え?」


「あっいや…」


またしても心の声が出ていた。しかし困り顔男は「味方は多い方がええ」と、俺の言葉を繰り返す。

こいつの、心地良い雰囲気が面白くて好きだ。


「聞いても良いか?」


今だ、と思い、そのままくし立てる様に訪ねた。


「名前、何だっけ?」


困り顔男は優しく笑った。色白で垂れた目。パーマの様な癖毛が揺れる。そして、ゆっくり言った。


「かみかわ ぎこう」


「ぎこう」


俺はバカみたいに繰り返す。


「中学の時はカミって呼ばれてた」


「良いじゃん。神様みたい」


「まぁ皮肉もあったんやろうけど」


「何で?」


「うーん…」


カミは視線を空に向け、考える素振りを見せた。


「何でも器用にこなせるからかな?」


「そりゃ、神様だな」


「遊に言われるのは全然嫌ちゃうわ。おおきに」


“おおきに”という言葉はカミには似合わない気がした。


「ほんで、神様と東京弁は入るんか?」


イケメンは真っ直ぐに俺たちを見る。東京弁が、俺を指している事に気付くまで、少し時間がかかった。


「そやな」


カミは困った顔で返事をした。


「もちろん。俺は野球をしに来たからね」


俺ははっきりと大声を出した。

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主人公が決まらない! 海月あお @aoao333

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