第2話

私立東川高校。


俺は今日から、甲子園に1番近いこの場所で全国制覇を目指すんだ。


「私立じゃなくて市立やで」


「え?」


「甲子園に近いってのは場所の話やし」


「どういう意味だ?」


「どういう意味って聞かれても…」


入部希望説明会で、野球部のグラウンドに1年生が集められていた。隣に座った頭の良さそうな男は、わざとらしく眉毛を下げた困り顔で俺を見る。その感情を読むように見返した。


背は同じくらいだろうか。座っているから分からない。もちろん感情も読めない。

そいつがあまりにも見てくるので、つい牽制するように声を掛ける。


「なんだよ?」


「いや、元気そうやなと思って」


偉そうな俺の一言に、男は嫌な顔ひとつせず答えた。


「お前は元気じゃないのか?」


「まぁ君ほどの元気はないかな」


「変な奴だな」


その男はフフと笑い「神川義光かみかわぎこう」と言った。何かの新しい日本語かと思い、意味を考える。


「君は?」


間髪入れずにそいつが聞いてくるので、先程の日本語の意味を見付けられずに、答えを詰まらせる。


「俺は…」


学のなさを隠したい気持ちが湧いて、どうにか勝てそうな言葉を探す。知らない土地で勝負する時は、初対面が大切だと兄ちゃんも言ってたし。


「七転八倒」


思ったよりも声が出て、2段前に座っていた生徒までこちらを振り返った。


困り顔男はきょとんとし「すごい名前やな」とまた笑う。

どうやら、あの難しい日本語はこの男の名前だったらしい。でも、それももう覚えていない。

俺は改めて言い直す。


「えっと、今のは座右の銘で、名前は野々木遊だ」


「遊か。良い名前や」


なんとも食えない奴だ。ヘラヘラしているように見えて、その目の奥は鋭く光っているのではないかと思う。こういう奴は敵になると嫌だけど、味方にいると途端に心強くなるというのが世の常だ。


「この辺の子じゃないやんな?」


真っ直ぐグラウンドを見ながら、困り顔男が聞いてきた。


「あ、まぁそう。最近引っ越し来た」


「東京?」


「江戸とも言うけど」


「タイムスリップして来たん?」


「人間はタイムスリップ出来るのか?」


「普通は出来ひんけど、遊なら出来そうや」


自然に俺を呼び捨てにした。全然嫌ではない。この距離感が苦手な人もいるだろうが、こいつののんびりした空気と、優しい声が心を開かせる気がする。


それにしても、相手が自分の名前を覚えてくれたのに、こちらが覚えていないのはバツが悪い。

これに関してはアクシデントに近いけど、とりあえず名前は知っておきたい。しかし、自然に聞こうにも、気の利いた聞き方が分からなかった。


「どうしようかな」


また、声に出てしまった。


「何を?」


案の定、困り顔男に聞かれていた。


「いや、えっと、あのさ…」


その後の言葉が出てこない。


「黙って見てろや」


俺たちを睨みながら、前に座っていた男が言った。


「わっ」


突き刺すような視線と、端正な顔立ちに思わず驚いてしまう。すごいイケメンだ。

そのイケメンは舌打ちをして、グラウンドに視線を戻す。困り顔男は肩をすくめて、短く息を吐いた。

一瞬の出来事だったが、もう、困り顔男の名前を聞き直す事は出来なかった。

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