第265話 異変

 花の国クロッカス南東部、豊かな森林地帯に面したとある村の付近にて、ある異変が起ころうとしていた。場所は村人達の仕事場の1つである森の中。そこで林業を営むドワーフが木に斧を突き立て、コーンコーンと小気味良い音を鳴らしている。


「おーい、ゴドー! そろそろ昼にすんべー!」


 そんな彼に声を掛けたのは、同じ仕事仲間の友人だった。ドワーフである彼らは背こそ低いが、その肉体は鍛え込まれており、鉄斧が1本あればどんな大木だろうと倒せる腕を持っている。それは一村人に過ぎない彼らも例外ではなく、今さっきゴドーと呼ばれたドワーフは大木を打ち倒す直前のところだった。


「おお、もうそんな時間だべか? 少し待ってけれ、後少しでこいつが倒れるんだぁ」

「ゴドーは仕事熱心だなぁ。村一番の力自慢は伊達じゃねぇべな」

「へへ、そう茶化すなぁ。んじゃ、いくべよー。せーのぉ―――」


 ―――ズゥーーーーーン……!


 轟音、ゴドーが大木を切り倒した音ではない。ゴドーが大木に鉄斧を振るおうとした瞬間、途轍もなく大きな地震が起こったのだ。森の木々を揺さ振り、倒れる寸前だった大木へ、ゴドーの代わりに止めを刺すほどの揺れだ。


「ギャー! ギャー!」

「な、何だぁ!?」


 けたたましく鳴き声を上げながら、森から一斉に野鳥が飛び立った。まるで森にいた者達が示し合わせたかのように、本当に同時に飛んだのだ。長年この地に住まう2人でも、こんな光景は見た事がない。ゴドー達はただただ唖然と、鳥達が南へと飛翔するのを眺めるばかりだった。


「ギィ! ギィー!」

「あれ、森の主様かぁ……!?」


 見上げる空を隠してしまうほどの鳥の中には、凶悪な大型モンスターもいた。普通であれば周囲を飛ぶ鳥達を捕食する絶対強者であり、運が悪ければドワーフをも食べてしまう危険な存在だ。が、今においては獲物になんて見向きもせず、我先にと、一目散に飛ぼうとしている。どこかを目指している? 今の地震と何か関係が? ゴドー達は首を傾げるばかりだ。


「……もしかして、今の地震を引き起こした何かから、逃げようとしてんのかぁ?」

「も、森の主様が? だけんども、何かって一体何さ?」

「そんなもん、おいが知る訳なか」


 最早森からは、鳥の鳴き声が一切聞こえなくなっていた。空の彼方で地平線を目指す集団が、どうやらこの森の全鳥類だったらしい。妙に静かな森が不気味であり、明らかに異常事態だった。


「こりゃあ飯どころでねぇな。村にけえって、皆の安全を確認すんべ」

「だなぁ―――」


 ―――ダガダガ、ダガダガ!


 静寂に包まれていた森に、突如として大きな足音が響き渡る。それは連続的に鳴っていて、地を踏み鳴らすような音だった。徐々に徐々にと音は大きくなり、遂にはゴドーの横を通り抜ける。


「っとぉ!?」


 身構えるゴドーの横を、1頭の鹿が走り抜けて行った。鹿は森から離れるようにして、そのまま駆け続ける。


「で、でぇじょうぶか、ゴドー!?」

「お、おう…… 鳥の次は獣たぁ、本当に何事なんだろうなぁ」

「それも、ありゃあ獣の先駆けだ。足音が仰山こっちに向かってる。急いで逃げっぞ」

「村の皆のにも知らせねぇと……!」


 ゴドー達が森を離れて少しすると、その場所に森の獣やモンスター達が雪崩れ込んだ。彼らは兎に角一心不乱に駆け、先んじて森を出た鳥達と同様の方向へと向かう。ゴドー達は獣達の疾走に村が巻き込まれないかと心配していたが、不思議な事に獣達は人間の住処は避けて走っていた。まるで獣達が、そんな事に構う時間さえも惜しいと考えているようで、尚更ドワーフ達は不審に思うのであった。


 更にこの異常事態はクロッカスだけではなく、ジバ大陸の各地で目撃されていた。何が彼らの野生本能に訴えかけるのかは判明していない。ただ1つ分かるのは、皆一様にして大陸中心地から逆の方へと進路を取っている事だけだ。



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 武の国ガルデバラン、あらゆる国々の中でも逸早くこの現象を察知したのは、他でもないこの国だ。なぜ最も先に気付けたのか? その理由は多々あれど、第一の理由は不変。かつてアーデルハイトと矛を交えた際に埋め込まれたトラウマは、何も兵士個人だけのものではない。国自体がそうなってしまったのだ。国全体を動員してアーデルハイトの動向を常に注視し、些細な変化も見逃さぬよう努めていたガルデバランだからこそできた芸当といえるだろう。


 この国を治めるは武王と呼ばれ、国に仕える配下や国民達から絶大な信頼を寄せる超越者。圧倒的実力主義のこの国で、武王はその力を大いに振るいこの地位にまでのし上がった。幼き頃にモンスターを素手で殺した。天才と名高い相手を力でねじ伏せ、そういった輩を幾人も屈服させた。戦となれば自らが先陣を切り、大将首をあげた。その力はレベル7にも届くとされ、先日勇者に指名された3人よりも強いと噂されている。


「た、大変でありまする、武王!」


 ガルデバラン城、謁見の間。どことなく和の雰囲気が漂う厳かなその場に、1人の兵が早足で入室する。彼は切羽詰まった様子で、玉座に座る武王へある報告をしに来たのだ。


 武王は平時でも戦装束を纏っており、城の中でも武者のような姿でいる事が殆どだ。顔にも面頬めんぼうに似たフェイスガードを付けている為、その表情を察する事はできない。何を考えているのか分からない事から、配下の者達は敬意の心と同時に畏怖の心も抱いていた。


「……何用か?」


 武王の声は低く、しかし謁見の間に響く大きな声だった。この揺さ振られるような声を耳にするだけで、緊張が増し自らの心臓がより激しく鼓動する。そんな圧迫感を感じながら、兵は床に膝をついた。


「警備部門の長より報告っ! アーデルハイト中心地、恐らくは首都ディアーナにて大規模な揺れを観測したとの事! 瞬間的に感知した爆発的な魔力の流れから、自然的な地震ではなく人為的なものであると推測! 同時に、ジバ大陸各地の野生生物が中心地からの退避を開始したとの情報あり! 緊急事態につき、至急武王の指示を仰ぎたいとの事ですっ!」

「……そうか」


 何かを考えるように黙る武王に、兵は生唾を飲み込みながら答えを待った。武王はアーデルハイトについての報告を、過剰にまで欲している。これは防衛力を高めると同時に、かつて敗北したアーデルハイトに対しての挑戦を今も諦めていないという、ある意味での意思表示ではないか。そう兵達の間で、真しやかに噂されていた。


(あの赤い悪魔がいる国と、再び戦おうと準備なされている。武王とは何と強靭な心を持つお方なのだ……! しかし、しかし……!)


 武王に仕える屈強なる兵士達の中には、トラウマを植え付けられた者が多く存在する。この兵も武王を敬いこそはすれ、心の中ではもうあの国とは、いや、あの赤い悪魔とは戦いたくないと思っていた。だからこそ、武王が今こそ好機! などと宣言する事を恐れていたのだ。


「………」

「………」


 なかなか答えが返ってこない。武王の心を一兵士が察するなんてできる事ではないのだが、自分とは違う、何か凄まじい事を考えているのだと、彼は信じて止まなかった。では、ここで武王の心を覗いてみよう。


(―――やっべぇーーー! アーデルハイト中心部で大地震発生アーンド超強力な魔力の発生を感知って、どう考えたって『殲姫』のネル・レミュールが原因だろっ!? 偶然にも、今日は殲姫が結婚するとかって招待状に書いてあった日だ。つう事は、絶対偶然じゃないな。ああ、必然だ。あの悪魔が結婚できた事自体に正直驚きを隠せないし、そもそも普通な式に終わる筈がねぇんだ。というかさ、何で俺に招待状なんて送ってくるんだよぉ…… 行ける訳ねぇじゃねぇかよぉ…… 行ってもトラウマ、行かなくても何の言い掛かりを付けられるか分からない…… 何の嫌がらせなんだよぉ…… もう放っておいてくれよぉ……)


 兵や国もそうであれば、武王もまた同様。武王は普通にトラウマを抱えていた。どうやらアーデルハイトとガルデバランが争う事は、もうなさそうだ。

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