第238話 最たる絶望

 白の鉄槌が下される。道端の小石をどけるように石槍を跳ね除け、紙を破くように甲殻の盾が打ち破られる。テレーゼが頼るとすれば、それは物量しかないだろう。この一瞬の為に2人の殆どの魔力を用いて、無数の壁を構築した。一枚一枚は直ぐに破れようが、幾重にも重なれば無敵の防壁と化す。そうであると信じて、3本の矢を束ねるが如く並べたのだ。


 ―――ズガガガァーーーン!


 しかし、フンドの攻撃はそれを嘲笑うようにして突貫を続けた。尾の先端、大槍には傷ひとつ付かず、威力が衰えている様子もない。残る防壁はもう何枚か、テレーゼはコウアレスの盾を、今一度力強く握り締めた。


「さあ、さあ! 私はここですわよ! その立派な大槍で、私を貫いて御覧なさいなっ!」


 固有スキル『花形の美声』を伴った声を張り、ここに来て更に注目を集めようとするテレーゼ。恐怖はあれど、テレーゼには誇りもあった。これまでの人生、誰かを護る事だけを考えて生きてきた。次期領主としてそれを当然の事としてきた彼女は、だからこそ今が一番強い時なのだ。背後にいるウィーレルを絶対に護るという固い意志が、2人の絆をより強固なものとし、新たな奇跡を巻き起こす。


 残る防壁はいよいよタシタントルトゥーガによる甲羅の盾と、テレーゼのコウアレスのみ。だがその時、杖塞コウアレスが甲羅を取りこみ始めた。テレーゼが意図して行った事ではなく、コウアレスが自らそう行動したのだ。盾の中央から蔓や根をを伸ばし、すっぽりと収まるように融合。2人の想いと波長が重なったからなのか、その理由は分からない。ただ、コウアレスの防御力が格段に上昇した事は確か。テレーゼはその事に気付かないまま、フンドの攻撃と衝突した。


「オーホッホ! オーーーホッホッホ!」


 テレーゼは絶えず声を出し続ける。悠那からは受け流すようアドバイスされたが、正面からフンドの攻撃を受け続ける。そうする事でいつまでもフンドの矛先が自分に向き、悠那と千奈津による反撃の時間が長くなるからだ。


 悠那達の攻撃でフンドを仕留める事ができなければ、自分は死んでしまうだろう。だからといって、みすみすチャンスを逃す事はできない。攻撃を受け流した瞬間、その矛先が悠那達に変更される可能性だってあるのだ。テレーゼの目には勝利と守護の2文字しか見えておらず、中途半端に退く道は彼女にはなかった。


「ぐ、う……! ですが、まだまだぁ!」


 コウアレスは耐えている。正面から大槍の衝突を受けて尚、今も耐えている。しかし、その盾を支える両足は今にも千切れてしまうほどに痛い。怪我をするなとウィーレルに注意されたばかりなのに、もう体中がボロボロだ。


「それでもっ! 耐えるのが、私ですわぁ……! 根っ性~~~!」


 テレーゼが咆えてフンドの隙を作る一方で、悠那、千奈津の攻撃ペアは大八魔の喉元にやって来ていた。駆けながら鉄仮面の目前にて、最後の打ち合わせを済ます。


「攻撃が来ない…… 私達の事、全然視界に入ってないみたいだね」

「魔王の意識を丸ごと持っていっちゃったテレーゼさんのお蔭ね。でも、そんなに長くは持たないわ。攻撃をした瞬間に、たぶん私達の存在にも気付かれる」

「うん、分かってる。一瞬が勝負だね。今、鍛錬の成果を発揮する時っ!」

「そういう事。じゃ、行くわよ!」


 そこから一気にスピードを上げた2人は、一瞬でフンドの顔の前に辿り着いた。今の形態は四足歩行に近い形になっているので、顔は以前よりも低い場所にある。狙うは、フンドが喋る為に空洞を開けた口の部分だ。


「はぁっ!」


 初撃は千奈津の炎魔剣プルートによる目にも止まらぬ連撃。魔力の消費を度外視した炎の刃で何度も何度も鉄仮面の亀裂をなぞり、斬り付ける。斬るというよりは、削りながら抉じ開ける行為に近いのかもしれない。


 プルートの炎にウィーレルの水の力も加わって、その威力は絶大なものとなっていた。以前のフンドの骨であれば連撃の何度目かで断つ事もできただろう。だが、フンドの顔面を護るこの鉄仮面はそれよりも遥かに分厚く、骨密度の高いものだった。亀裂は拡がるも、その中身を晒すまでには至らない。


 ―――ギロリ。


 攻撃を向けるフンドと目が合った。こちらの存在に気付かれてしまったのだ。それとほぼ同時に、悠那が背後からやって来る。


「これなら、どうだっ!?」


 上段に構え、飛翔と共に叩き落とされた最大威力のドッガン杖。悠那が今の力で出す事ができる、正真正銘の渾身の一撃。ドッガン杖の黒い刃がフンドの仮面にぶつかった瞬間、千奈津が施した亀裂が一気に崩壊して、変貌したフンドの素顔の下半分が曝け出された。散らばる骨の破片がフンドに突き刺さり、苦しげに表情が歪められる。


「ガルドバリスタ!」

「どっせぇい!」


 ここで猛攻を止める訳にはいかない。すぐさま巨大な光の杭をフンドの口目掛けてぶっ放す千奈津。それがフンドの歯と衝突した瞬間に、悠那は杭の後ろからドッガン杖を同じ個所に叩き落とす。ガルドバリスタの衝突、ドッガン杖の追撃でフンドの歯は粉々に砕かれた。


「~~~っ!?」


 声にならない悲鳴が響き渡った直後、最後の抵抗なのか、巨大な竜の爪を模したフンドの右腕が迫った。悠那と千奈津は言葉を交わす訳でもなく、各々が次の行動を開始する。


「アルマディバインブレス! ハードリフレクト―――!」


 その腕に立ち向かったのは千奈津だった。光の鎧と障壁を形成、その後に腕で叩き落とされた彼女の姿は塵埃の中に消えていった。それでも悠那は振り向かない。一直線に歯を砕いたフンドの口に入り込んだ悠那は、利き腕を喉奥へと突っ込み、魔力が尽きるまで魔法を詠唱し続ける。


「ヴァイオボム! ヴァイオボム! ヴァイオボム! ヴァイオボムーーー!」


 毒水の塊を、フンドの喉奥へと送り込み続けた。発射速度の遅いこの魔法も、標的が既にそこにいれば強力な効果を及ぼす。悠那は夢中になって致死性の高い毒を生成し続け、飽きる事なくこれを飲ませ続ける。プールの水がそれで満たされる量になっても、打つのを止めない。


「がっ……!」


 気が付けば、悠那は吹き飛ばされていた。フンドの舌がカメレオンのように伸びて、悠那の腹部を殴打したのだ。舌といえど、フンドのその一撃は拳を叩き込まれたのとほぼ同意。そんなものをまともに食らってしまった悠那。地面と衝突する際に、何とか受け身は取る。が、HPの半分以上は一気に持っていかれてしまい、視界がぼやける。


「はぁ、はぁ…… あ……」


 吹き飛ばされた先で、地面にうつ伏せになって倒れる千奈津を発見する。血塗れなのは、さっきフンドの拳を受けたからだろうか? 自分で回復する気配がないところを見るに、気を失っているらしい。


「ぬ、う…… 病魔に侵されては、再生もままならんか……」


 いつの間にか、フンドは元の姿に戻っていた。立つ事ができないのか、地に膝を付けている。


「ぐ、うぅー…… あと、少しっ! テレーゼさん、千奈津ちゃんをお願いします。 ……テレーゼさん?」


 悠那がテレーゼに声を掛ける。だが、返答はない。テレーゼの方向を振り向けば、彼女もウィーレルを抱き抱えるようにして倒れていた。ウィーレルを庇った為か、テレーゼの右腹部は酷く抉られており、そこから地面に血溜まりが作られている。このまま放っておけば不味い。


「私が、やらないと……!」


 ドッガン杖を支えにして、悠那は構えを取ろうとする。あと一撃決める事ができれば。悠那の心の中が、急げ急げと急かす言葉でいっぱいになる。


「この世で起こる最たる絶望、か。まさか、これを使う事になるとはな……」


 フンドの手には、何かが握られていた。

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