第229話 審査役

 何処かの海底に存在するとされる魔城。それは珊瑚を思わせる、歪な形状をしたコーラルピンク色の城であった。これこそが大八魔第八席『支配欲』のフンド・リンドの根城であり、人間である限り発見する事も不可能だとされる絶対不可侵の砦。その最奥の王座にて、フンドは静かに英気を養っていた。


「………」


 海を表すような青の肌の、そして並ぶものがいないとされる屈強な肉体は、見る者を畏怖させる。海魔四天王のグストゥス以上に巨大、高密度の筋肉で武装されたその体には、休む事なく魔力が流動していた。これはフンドが本気を出す際に行う儀式のようなもので、その姿を見た彼の部下達は、次の戦いが如何に重要であるかを再確認させられる。


「フンド様」

「……ウルブルか」


 フンドに声を掛けたのは海魔四天王の1人であり、魔王軍の魔法使いを取り纏めるウルブルだった。彼はクラゲ型のモンスターで、いくつも腕代わりの触手を持っている。戦闘時になればその腕で数多の杖を持ち、強化された魔法を自由自在に操る軍一の魔法使いだ。


「ご報告申し上げます。タザルニアに密偵を差し向けたところ、グストゥス殿が敵軍に捕らわれている事が判明致しました」

「やはり、か。我々は些か人間を侮っていたようだな」

「いえ、多面作戦を提言したのは私、詰まりは私の責任です。地の利を得ての侵攻策、よもや数日で数々の武勲を上げてきたグストゥス殿が敗れるとは、全く想定しておりませんでした。この罰は―――」

「よい、その責は我が負う。それにだ、失敗を顧みる事も時には必要だが、今はそれよりもやる事があるだろう? その頭脳、勇者を倒した後にも大いに必要となる。大事にせよ」

「ぎょ、御意……!」


 フンドは考える。支配とは、敵国を攻め落とすだけには終わらない。むしろ、その後からが本番なのだ。新たな領土となった民達の意向を如何に汲み取り、こちら側へと心を動かすか。対立によって生じていた火種を、如何に潰すのか。戦前よりも生活レベルが向上し、より良い国にしていけば、自ずと付いて来る者が現れ始める。喩えそれがごく少数だったとしても、ジワリジワリとそういった者達は増えていき、隣国にまで情報は届いていくのだ。生物とはより良い暮らしを求めるもので、そこにモンスターと人間の垣根は存在しない。


 そこへ至る為にも、フンドはこのウルブルをとても重宝していた。戦争に勝利する前の、取らぬ狸の皮算用と言ってしまえばそこまでであるが、戦いの後の事をまるで考えていない愚劣な統治者よりは、余程マシであるとフンドは考えている。


「決戦の日、クロッカスだけでなく各国の勇者が集うと聞く。それらの中にはタザルニアの者達もいよう。勇者をいくらか捕らえる事ができれば、グストゥスとの交換材料にもなるだろう」

「はっ、延いては敵国への牽制にもなるでしょう。私やタンガも力を尽くしまする」

「頼んだぞ。して、ウルブルよ。奴らはあの申し出を受けると思うか?」

「十中八九受けるかと。水中に不慣れな人間にとって、この城に到達するのは至難の業。そんな中で総大将となるフンド様が地上に現れるとなれば、人間達は受けない筈がありません。但し、真っ向から受けるかどうかは、まだ分からないところではありますが……」

「そうか、精々期待するとしよう」


 フンドが指定した勇者との決闘場は、これまでクロッカスの軍勢と戦いを繰り広げた海岸、その近くの岬である。陸が半分、海が半分と双方が得意とするフィールドが存在する場所だ。フンドは人間があの果たし状を受け、何の搦め手もなく戦うのであれば、ここで正々堂々と戦うだろう。それが彼が思う大八魔のあり方であり、その上で打破すべきだと考えているからだ。しかし、汚い手を使われて部下に被害が伴うのであれば話は別だ。グストゥスの悲劇を繰り返さない為にも、もし敵が卑劣な手を使うのであれば、こちらもあらゆる手段を使う事をやむなしとする。その時こそ、フンドは手段を選ばぬ戦鬼となるのだ。


「へ~、そんな事になってたんだね~。楽しそ~」


 緊張感に満ちた厳かなこの間に似つかわしくない、とても可愛らしい少女の声がした。ウルブルは直ぐに声の方へと振り返り、杖を取り出す。


「何者だっ!?」

「曲者だよ~」


 そこにいたのはフンドの半分の身長もない、小さな小さな少女だった。彼女の輝かしい銀の髪は、フンドがライバルとして見ているリリィヴィアそのもので、パーティ用のドレスなのか、非常に明るい色合いの衣装を着ていた。とても『吸血姫』が身に付けるものとは思えない。


「―――マリア殿、どうしてここに?」


 いや、そもそもマリアがこの場にいるのはおかしな事だ。吸血鬼という種族は総じて能力を持っているが、その分弱点も多い。流水もその1つ。城内でこそ水はないが、吸血鬼である以上、深海にあるこの場所には辿り着けない筈なのだ。


「えへ、来ちゃった♪」


 顔を少し傾げて可愛らしく笑うのは、大八魔第三席のマリア・イリーガル。居ても立ってもいられないのか、マリアはクルクルと回りながらドレスを舞い踊らせる。


「妾ってば、リリィちゃんのママでしょ? 母として、愛娘が関わってる戦いには興味があるのよ。だからね、ちょっとお邪魔しちゃった。あの子おっちょこちょいだから、ママ心配なのよね~。あ、フンドちゃん。ワインでもくださる?」


 そう言いながら、マリアはどこから取り出したのか純白のテーブルと椅子を設置し始めた。片方の椅子はマリアの体に合わせた子供用の椅子、もう片方はフンドの体格に合わせた特製の椅子だ。彼女はわざわざこれを用意していたらしい。


「フ、フンド様、此奴は……?」

「下がれ、ウルブル。あの会合の場にいなかったお前には分からないだろうが、彼女は大八魔の第三席だ。お前程度では片腕でやられるぞ」

「か、彼女が第三席……!」

「指一本でやられるの間違いじゃない? さ、設置完了! フンドちゃん、ワインワイン~」


 マリアは小さな椅子に座りながら、ブンブンと両手を振り回して催促し始めた。上等なワインを早く持ってくるように、そしてフンドに座れと促しているようである。


「……ワインの手配を。それと、何か肴になるものを手配してくれ」

「ハ、ハッ!」


 ウルブルが小走りで王座の間から出て行くのを確認すると、フンドはマリアが用意した席へと腰を下ろした。


「マリア殿は吸血鬼だったな? 吸血鬼は流水が苦手というのが我の知識だったのだが、それは間違いだったのかな?」

「うーん? ううん、合ってるよ~。吸血鬼はみーんな、川とか海とか大っ嫌い。触れでもしたら火傷しちゃうもん。ただ、妾にとってはすこーし不快ってだけの話なの。あ、ニンニク料理とかはむしろ大好き! 匂いが残っちゃって、部下に避けられるのはショックだけれどね~」

「ならば、ニンニクの揚げ物でも用意させようか?」

「ぷふっ! じょ、冗談だからね、フンドちゃん。本気にしないでよ~」


 クスクスと笑うマリアの姿は幼い少女そのものだ。ただ、フンドにとっては冷や汗もので、吸血鬼の弱点が一切通用しない事実は、マリアへの認識を改める驚くべき出来事だった。


「で、ここからが本題ね。フンドちゃんの侵略作戦を見守るの会、その審査役として今回私が派遣されて来たの。大八魔に敗北は許されない。その意味、分かっているわよね~?」

「―――っ」


 マリアの表情仕草は一切変わらない。しかし、彼女が纏う気配が一転したのを、フンドは直に感じ取った。それは彼女の言葉が決して嘘でない事を暗に示し、如何なる反論も許さないといった絶対性が含まれている。


「……負けなければ問題なかろう」

「うんうん、問題ないよ。フンドちゃんの実力、期待しているね」


 少女の純粋さと王の威厳の両方を兼ね備えた大八魔、マリア・イリーガル。フンドにとって彼女の力は底が計り知れず、上には上がいるものだと知らされる存在となったのは、言うまでもないだろう。


「眠くなった帰るね~。ばいば~い」

「う、うむ…… 気を付けて帰るのだぞ」


 ただ、決戦の日まで少しばかり日数があった為だろうか? この日はワインを飲み、夕食のニンニク尽くし料理を頂いて、マリアは普通に満足して帰って行った。

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