彩られた時の一瞬

那須茄子

彩られた時の一瞬

 廊下は、いつものように生徒たちの声で賑わっている。


 でも、僕の心はどこか別の世界にある。


 そっと、考えていた。

 それは僕たちのクラスの担任で、美術を教えてくれる若くて綺麗な先生のこと。


 



「こんにちは、先生!」


 僕はいつもより、少し大きな声で挨拶をした。

 

 誰よりも。

 彼女の耳に、届いて欲しくて。



「うん。こんにちは」


 彼女は微笑んで、答えてくれる。


 それだけで、僕の一日の始まりを彩る最高のプレゼントだった。






 授業が始まり、彼女は絵の技法について熱心に説明してくれる。

 僕は彼女の言葉に耳を傾けながらも、彼女の瞳、彼女の手、彼女の笑顔に見とれていた。


 彼女の声は、僕の心の琴線に触れ、心地よい旋律を奏でる。


 僕は、ますます彼女が好きになる。

 本当に困ってしまうほどに。





 彼女を好きになって、一週間が経った頃。


 僕は勇気を出して、彼女に手紙を書いた。

 告白というわけではない。


 ただ、彼女の授業がどれほど僕の心に影響を与えているかを伝えたかった。



 彼女はその手紙を読んで、目を潤ませながら「ありがとう」と言った。

 何故か、彼女は泣きそうな顔をしている。


 僕もつられて。

 何故だか。


 僕の心は温かい光に包まれたような感覚に満たされていた。







 それからというもの、僕たちはよく話すようになった。


 美術室で、廊下で、時には放課後。

 彼女の前では、僕は本当の自分でいられた。


 彼女は僕の心の中に、色とりどりの絵の具を注ぎ込んでくれた。




 ───僕には秘密があった。


 病気だったのだ。


 長くは生きられないと医者に言われていた。だからこそ、残された時間を彼女との思い出作りに費やしたかった。

 僕の心は、希望と絶望の間で揺れ動いていた。





 そして。





 卒業式の日。

 僕はベッドに横たわりながら、彼女が教室で笑顔で卒業証書を手渡している姿を想像した。


 僕はそこにいるはずだった。僕はもう長くない。

 



 「ありがとう」



 

 なんだか、今すぐにでも死んでしまいそうだから。



 せめて、口が動く間に。



 彼女が来るまで、呟いていようか。
























「.............ありがとう。先生」

  


 




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