第3話 占い師と手品師

 躁鬱病というのは、いつの間にか意識することがある。それが、前述の、

「夕方における逢魔が時」

 というものを、自分の中で意識するようになる時であった。

 逢魔が時を挟んで、昼と夜を考えた時、

「昼間は、意識が暑さで朦朧としているので、信号機の色が曖昧に見える」

 という感覚だった。

 赤信号が、ピンクかかって見え、さらに、青が緑に見えるのだ。

 それは、太陽の光と、その角度によって変わるものではないだろうか。

 光が強いほど、それだけ、目は、眩しさを避けようとする影響で、瞳孔を狭くしようとするのではないだろうか? 実際の色と違った感覚になるというのも、無理のないことである。

 しかし、夜になると反対で、今度は、少しでも、薄暗い光をまともに見ようとする意識からか、

「赤い色はより赤く、青は真っ青に見える」

 ということを意識させるのではないだろうか?

 それを思うと、夜は、すでに身体が楽になっていて、その分、

「眩しさを意識することなく、前を見ることができる」

 というものだが、逆に、限られた光の中で、色を認識しようとするため、

「錯覚を少しでもなくそう」

 という意識が生まれてくるのではないだろうか?

 それを思うと、

「夜によく見える」

 というのも、理屈に合っているといえるのではないだろうか?

 鬱状態の時は、夏の、感じ方が激しい一日を、凝縮した形で感じるのだろうと思うのだった。

 そうやって、躁鬱と季節を考えると、

「鬱状態というのは、夏にばかりなっているように感じる」

 ということであったが、それが錯覚なのかどうか、正直分からない。

「躁鬱の周期は、大体2週間」

 という意識があることから、夏というのが、約2カ月だと考えれば、少なくとも4回の周期はあってもよさそうだ。

 だが、躁状態の時、夏を感じないということは、それだけ、夏というものが、鬱状態の印象が強く、意識の中で感覚がマヒしてしまうほどに、

「夏といえば、鬱状態」

 という先入観のようなものが、渦巻いているのではないだろうか?

「では、冬は躁状態を意識するのだろうか?」

 と言われば、そんなことはない。

 躁状態の時、鬱状態の時、どちらも意識できるものであった。

 それだけ、冬はどちらかが意識が強いということはなく、

「感覚が均衡しているということではないだろうか?」

 といってもいいだろう。

 そんなことを考えていると、

「躁鬱症というのは、本当に二週間おきに繰り返されるものなのだろうか?」

 と考えられる。

 夏以外の季節は、確かに2週間周期のもので、意識が2週間というものを感じさせるのだろうが、夏という時期だけ、

「夏の間だけは、ずっと、鬱状態になっているのではないか?」

 と思えたのだ。

「その時は、躁鬱の境目が暑さのために曖昧になっていて、それだけに、その理由を暑さと、汗がへばりついているあの気持ち悪さから、その理由付けに使っているのではないだろうか?」

 と考えるのであった。

 日本における四季というものと、人間の微妙な精神状態。それがいかに影響してくるのか、かなり無理のあることであるが、

「都市伝説が生まれたのも、躁鬱病を正当化しようとする報いなのではないか?」

 と思えてくるくらいであった。

 そんな躁鬱症というものが、昔からあったのだとして、医者に治せるものだったのだろうか?

「どの時代から、躁鬱症という病気があったのか?」

 そして、

「どの時代から、精神病と呼ばれるものを治療する医者がいたのか?」

 ということが正直、ハッキリとは知らなかった。

 今の時代だから調べようと思えばできるのだろうが、どうもそこまで考えるようなことを、順平はしなかった。

 要するに、面倒臭がり屋だったのだ。

 そんな順平だったが、大学生の時、ちょっと占いに凝ったことがあった。

 サークルで、

「占いサークル」

 というものがあり、学園祭の時に立ち寄って、一度見てもらったことで、すっかりその魅力にひきつけられていた。

 先輩が施してくれた占いが、恐ろしいほどに当たるからだった。

 占い師には、いろいろな種類がある、

「タロット占い」

「星座占い」

「水晶を使った占い」

 または、日本における、

「易者」

 と呼ばれるような、籤を使った占いもあったりする。

 順平が興味を持ったのは、

「易者」

 のような占いだった。

 そもそも、順平は、

「外国のものよりも、日本古来のものの方が、興味が湧くのだった」

 順平は、外国人が嫌いえ、日本人であるがゆえに、

「なぜ、もっと、日本の美しいものを見ようとしないんだ」

 と、今でこそ、日本文化に陶酔しているが、そのきっかけになったのが、大学時代に少しのめり込んだ、この、

「易者のような占い」

 だったのだ。

 ただ、先輩が行った占いというのは、正直、そんなにいいものではなかった。

 というのも、

「占いというものを当てることは、実は簡単だ」

 と言われている。

 それは、いわゆる、

「バーナム効果」

 と呼ばれるもので、心理的に、相手にそうだと思い込ませることさえできれば、それだけで、占いとしては、

「成功だ」

 と言えるだろう。

 このバーナム効果に有効なものは、

「星座占い」

 などのような。

「決まった種類しかない」

 というものを集団として捉えることでできるものだと言われている。

 どういうことなのかというと、

「誰にでも当てはまるような話を相手に投げかけて、その場合に、起こりやすいと思われることを、あたかもその人に適用するかのような暗示を与えることで信じ込ませる」

 という心理的な現象のことである。

 それだけ下準備を必要とするものであり、しかも、その人が実際に考えられるパターンのどこに属しているかということを、正直、初対面の相手に当てはめるということは、相当難しいことだろう。

 下手をすると、

「占いとして当てることよりも、バーナム効果を相手に信じさせる方が難しいのかも知れない」

 と言えるのではないだろうか。

 実際に、先輩から占ってもらった時は、

「やけに質問が多いな」

 ということを感じた。

 質問の多さというのは、以前、大学で流行った、

「ウミガメのソープ」

 というクイズに由来していたような感じだった。

「ウミガメのスープ」

 というものは、

「はい」

「いいえ」

「関係ありません」

 の三つでしか答えることのできない質問を、回答者が、質問を聴いた後で、質問者に投げかけるという、

「水平思考のクイズ」

 のことをいうのだという。

 まるで、帰納法的な答え方であるが、考え方によっては、

「減算法が基本であるが、質問によって、加算法で、問題を簡単にしていくということになるのではないか?」

 と、順平は考えていた。

 というのも、

「そもそも、問題は、それほど難しくはないが、出題者の出す問題が、難しく聞こえるようなトラップを掛けていることで、回答を導き出す」

 という考え方だ。

 要するに、

「本当であれば、占い師というよりも、手品師や魔術師に近い考え方だ」

 と言えるであろう。

 手品師というのは、言い方は悪いが、

「相手に錯覚を見せて、あたかも、記述を使ったかのように思わせる」

 というものではないだろうk?

 いわゆる、

「右手を見るように、観衆に指示しておいて、実際には左手で、細工をする」

 というようなものであり、

「実際には、右手で細工をしながら、左手を見せるのだから、これほど厄介なことはない。右手と左手は近いのだし、怪しい動きをしていれば、すぐに分かるというものだ」

 と言えるだろう。

 しかも、

「右手を見ろ」

 と言われると、

「左手を見る」

 という、天邪鬼立っているだろう。

 しかも、手品師の常套手段を分かっていれば、

「俺がネタを解いてやるとばかりに意気込んでいる人を相手に立ちまわることになるのだから、相手の目を盗むだけの技量がなければいけない」

 つまり、

「手品師は、インチキではダメだ」

 ということだ。

 お金を取って、客を喜ばせるのが仕事なのだから、それなりに、

「術を身に着けておく」

 というのが大切だ。

 そんな手品師と同じで、いわゆる、

「ブービートラップ」

 と呼ばれるものを駆使しなければいけないのだ。

「相手を騙す力」

 というのが、手品師であれば、占い師においての、

「ブービートラップ」

 に当たるものとして、

「バーナム効果」

 を利用した、一種の、マインドコントロール、

「洗脳」

 と呼ばれるものが、必要になってくるのだった。

 バーナム効果を使った占いというのは、結構あったりする。特に、それが、高価なものを売りつけるというような、一種の、

「霊感商法」

 なるものに使われるということも、聞いたことがあった。

 人間の弱い部分に付け込むというのが、

「詐欺集団のやり口だ」

 といってもいいだろう。

 特に霊感商法というものが、今に始まったものではなく、昔からあるものだけに、

「何をいまさら騙されるのか?」

 ということになるのだろうが、実際に騙される人というのは、

「誰でもいいからmすがりたい」

「自分を助けてもらえるものであれば、何であっても、関係ない」

 ということで手を出してみると、実は詐欺だったということになりかねないのだ。

 それだけ、

「藁にも縋る」

 という気分に陥るのだろう。

 そんな人間に対して、バーナム効果というのは聴くのだろうか?

 中途半端に、そして漠然と、

「金持ちになりたい」

 という人間が嵌ってしまうのではないだろうか。

 というのも、中途半端に、

「自分が何に苦しんでいるのか分からない」

 という人間ほど、苦しいものはないだろう。

 それだけ、自分が、この世の中に存在していることへの疑問のようなものは湧いてきて、わけもなく、不安に感じる。

 その感じた不安が、どこに通じているのか、それを考えると、

「ふと、ここなら、自分を迷いから救ってくれるかも知れない」

 と感じるのかも知れない。

 そんな時に、

「バーナム効果」

 というものが、有効となるのではないだろうか?

「何が有効か?」

 というと、まず、迷っている相手が何が問題なのか? というと、それは、

「不安」

 というものであった。

 それも、

「理由のない不安」

 である。

 まず、その不安を知りたいと思うことだろう。

 その理由を求めるために、どうしても、考えることは、

「自分に当て嵌まるものが何かということを知りたい」

 というものである。

 自分のことが分かっていないから不安なのであって、分かっていない人間には、まず自分が、

「どこに当て嵌まるか?」

 ということが、重要なのである。

 それを考えると、騙す方にとっても、実に都合のいい症状であり、相手が求めているものが、

「飛んで火に入る夏の虫」

 ということであれば、簡単に、

「バーナム効果」

 に引っかかるというものである。

 だからこそ、詐欺師にとって、

「自分に不安を感じている人」

 というのは、大好物であり、そんな感情を持っているからこそ、騙される人も後を絶えない。

 だからこそ、いくらでもターゲットは、生まれてくる。まるで、どこを切っても同じ顔しか出てこない、

「どこを切っても金太郎」

 ということにしかならないのだろう。

 バーナム効果というと、どうしても、詐欺のイメージが切り離せない。最近でも有名になった、

「政治家との繋がり」

 という問題が浮上した宗教団体が、そんな霊感商法であった。

「霊感商法に、詐欺、政治家との繋がりなどが絡んでくると、ロクなことはないのだ」

 ただ、それ以外でも、中には個人の詐欺師が、

「バーナム効果」

 を使って、二束三文のものを、高額で売りつけるというのは、普通に起こっている。

 そうなると、問題は、騙される側にもあるということになるが、それはあくまでも、

「被害者が悪い」

 というわけではない。

 被害者をそこまで追い込んだ社会というものに責任がないのだろうか?

 ということであるが、もっといえば、やはり被害者が弱いからと言えなくもない。

 しかし、そうなると、被害者を追い詰めたのが……、

 という話になり、結局、堂々巡りを繰り返してしまうというのだ。

 この場合は、同じところを繰り返しているというわけではない。真上から見ると、

「同じところを繰り返している」

 かのように見えるのだが、実際には、

「螺旋階段を滑り下りている」

 という感じに見えているのだった。

 これを、

「負のスパイラル」

 というのだろう。

 まるで、アリジゴクの砂の中に吸い込まれているかのようではないか。それを考えると、

「バーナム効果というのは、まるで、底なし沼に嵌りこんでしまっているように見える」

 といってもいいのではないだろうか?

 そもそも、バーナム効果というのは、

「その人が自覚しているところをついて、それを言い当てたことで、相手に、占いの信憑性と、自分の信頼を与えることから始まる」

 ということであった。

 相手は不安に思っているのだから、普通であれば、自分のことを言い当てられれば、

「気持ち悪い」

 と思い、不安に感じるのだろうが、そもそも、不安に感じているのだから、これ以上の不安はない。

 さらに深く抉ろうとすると、今度は、反発するところを押し込んでいるかのようで、その反発が逆の効果を生む。

 つまり、ズバリ言い当てることで、相手に自分のそばに寄り添ってくれるかのような錯覚を与え、それが安心感につながる、そうなると、普通の精神状態であれば、怪しんだりするものを一切、疑うことがなくなる。

 それだけ、最初のインパクトの強さが、

「バーナム効果のすべてだ」

 といってもいいのではないだろうか?

 つまりは、

「相手に不安を与えるか、それとも信頼関係を与えるかというのは、紙一重」

 というもので、それこそまるで、前述の、

「長所と短所」

 という、

「まったく正反対のもの」

 という理屈に照らし合わせて考えることが、

「バーナム効果というものを、最大限に生かせる」

 というものではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「人を洗脳するということから、すべては始まる」

 といってもいい。

 それは、政治であっても、戦争であっても、同じこと、だからこそ、最初に、

「諜報部隊」

 なるものが暗躍し、彼らが仕事を終えてから、表に出てきて、実際の戦をしたりするのではないだろうか?

 だから、実際に戦いを始めた時、

「すでに雌雄は決している」

 といってもいいだろう。

 大学時代に、そんな占い師のようなことをサークルでやっていると、最初はよかったのだが、鬱状態の時に、

「本当は他の人に掛けなければいけない、

「バーナム効果」

 と自分に掛けるような状態になってしまい、鬱状態がさらに悪化する形になった。

 それは、人に掛けているつもりのバーナム効果を、あたまも自分の性格で話をしてしまっていたのだ。

 だから、占いをしている相手にそれが伝わるわけでもなく、

「全然当たっていないじゃないか」

 といって、

「ウソつき占い師」

 とまでうわさされるようになった。

 もちろん、サークル内部でやっていることなので、お金を取っているわけではないので、大事になることはなかったのだが、精神的なショックは、本人だけではなく、部員にまで及んだ。

 さすがに部長もまずいと思ったのか、退部勧告が行われ、本人も、

「このままではいけない」

 と思い、素直にしたがった。

 それによって、順平は初めて、精神科医の扉を叩くことになったのだ。

 その時初めて、

「君は躁鬱症なだけではなく、自己暗示にかかりやすいので、鬱状態の時には、気を付けた方がいい。バーナム効果を使うなんて、もってのほか、まずは、落ち着いて、あまり余計なことを考えないようにしないといけないね」 

 と言われたのだった。

 順平の躁鬱症は、実は高校時代から自覚があったので、

「俺は、高校時代からおかしかったんだ」

 と思っていたが、それは、大学に入ってから高校時代を思い出した時に感じたことであって、実際には、錯覚だった。

 それを医者は話をし、

「躁鬱症には、後から、過去の自分を都合よく考えてしまうこともある場合が稀にあるあらね」

 というのだった。

 だから余計に、バーナム効果のような、人を洗脳するような行為をすると、人に掛けているつもりで、いつの間にか自分に掛けようとしてしまい、自己暗示にかかることで、余計に鬱状態がひどくなるというものだったのだ。

 つまり、

「君の躁鬱状態というのは、まわりに与える影響よりも、自分の中で消化できずに、それが、自己暗示にかかってしまうんだよ」

 と医者はいう。

「じゃあ、僕の躁鬱症は、閉鎖的という感じなんですか?」

 と聞くと、

「ええ、そうですね。普通の躁鬱症自体も閉鎖的なんですが、それが強い人は、表に吐き出せない分、余計な暗示を自分n掛けてしまう。それが危ないところに来てしまうんじゃないかということなんですね」

 と医者はいうのだった。

 そこで医者の治療として、睡眠治療というものを施してくれていた。

 そこには、まるで、手品師が行うような、一種の、

「ブービートラップ」

 のようなものが施されていた。

「君の場合は、自分から進んでかけてしまったバーナム効果を取り除くには、まわりから、都合のいい方法で、その自己暗示を解いてやる必要があります」

 ということで、医師は、さらに、

「いいですか? 私に委ねるんですよ」

 と、医者による洗脳が始まったのだ、

 医者にとっての、

「バーナム効果」

 のようなものが存在したのだろう。

 順平は、それ以上の鬱状態がひどくなるということもなかった。

 医者の話では、

「これ以上、バーナム効果であったり、自己暗示が強ければ、あなたの中の躁鬱のバランスが崩れて、ずっと鬱状態になり、あなたの精神を体力が支えることが困難になり、さらに、負のスパイラルが強くなっていく可能性があるので、何とか抑えなければいけない」

 ということだったのだ。

 何とか、医者がうまく抑えてくれたようで、今のところ、これ以上ひどくはならなかった。

「そもそも、躁鬱症は、抑えることはできるが、なかなか完治というのは、難しい場合がある。うまく付き合っていくということも考えていた方がいいかも知れない」

 と医者は言った。

 その時、医者が少し気になることを言ったのだが、順平自身が、

「それどころではなかった」

 ということと、医者の方も、必要以上に強く言わなかったのは、わざとであった。

「伝えておかなければならないが、強く意識させてはいけない。しかし、無意識の中の意識というものはさせなければいけないということで、どうしても、こういうやり方にしかならないのだった」

 と思っていた。

 実際に、順平のような人は、そんなにはいないが、それでも一定数の患者に現れる症状で、今までに何人にも同じことを施してきたということで、実績もあるのだった。

 医者が、順平に植え付けた、

「無意識の中の意識」

 というのは、

「自殺をしたくなるという菌が存在している」

 という思いだったのだ。


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