第262話 教皇

 ―――デラミス宮殿


「ふぅん。アイリスがねぇ……」

「そうなんです。これは一大事ですよ、教皇!」

「今はお父様で良いってば。別にここなら体裁を気にする必要もないだろ? 誰もいないんだし」

「メルフィーナ様がいらっしゃいますから!」


 あははと楽しそうに笑いながら早々にコレットからお叱りを受けるこの少年。おかしいな。あそこにいるのはデラミスで一番の権力者である教皇の筈なんだけど、どう見ても悪戯をした弟を怒る姉の図でしかない。


『あなた様。そう思われるのは無理もないのですが、あの少年が正真正銘のフィリップ教皇です』

『やっぱり?』


 良かった。俺の目が腐った訳じゃなかったんだ。今日は自分の観点を疑う場面が多過ぎる。


「フィリップ、コレット。親子の親睦もその辺にしておきなさい」

「も、申し訳ありません! メルフィーナ様!」

「うんうん、そうだよね。不出来な娘でごめんね、メルフィーナ様」


 ペコペコと過剰に謝るコレットと対照的に、フィリップ教皇はあっけらかんとした様子だ。こうも正反対な反応をされると、こちらも対応に困ってしまう。


「それじゃあ、改めて自己紹介しようかな。僕の名前はフィリップ・デラミリウス。こんななりでもデラミスで教皇をやってるんだ。あ、この姿のことは秘密だからね」


 立てた人差し指を口元に当てる教皇。何だろうな、非常にあざとさを感じる。教皇は枢機卿と同系統の祭服を着ており、肩に掛けるストールは銀色に輝いていた。美少年ってのもあるが、その輝きの為か見た目の容姿以上に神々しい印象を受けてしまう。まあそれはさて置き、本当に彼がコレットの父親だとすれば、考えられる可能性は限られる。例えば―――


「失礼。もしや、と思った程度の話なのですが、教皇は人間から何らかの種族に進化しているのですか?」

「……鋭いねぇ」


 お、一発で正解を引いたようだ。『鑑定眼』を使ってもS級の『隠蔽』で隠されているのか、ステータスが読み取れなかったからな。アンジェから聞いた『偽装』によるステータスの捏造工作もあるし、このレベルになると鑑定眼の情報もあまり当てにならなくなるな。


「そうだな。まずは僕の立場から単刀直入に言おうか。 ……アイリスは僕の妹なんだ」

「「「「「……え?」」」」」


 メルフィーナを除く俺たちの全員が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまった。待てよ、待て待て。使徒を統括するアイリスが妹って言ったのか? 詰まりはアイリスの兄ってことだよな? そしてそのアイリスが現存していた時代は大昔も大昔。セラの父親である魔王グスタフ・バアルが勇者セルジュ・フロアと戦った頃の話だぞ。東大陸で大乱が起こっていた頃よりも昔だ。年齢で言えば、そうだな…… 悪魔であるビクトールと同じくらいになるのか? あいつが600だが700くらいだったような気がするから――― おおう。


「教皇、一体いくつなんですか……」

「いやー。あんまり長い間生きてるから、もう数えてないや」


 今すぐ自分のステータスを見てください。


「刀哉達の前の勇者、セルジュのことは知ってるかな? 知ってるよね? さっきの話だとセルジュもその神の使徒とやらの組織にいるらしいし。実はね、妹のアイリスがセルジュを召喚した時のデラミスの巫女で、僕はセルジュと行動を共にしたパーティの一員だったんだ。セルジュは綺麗な黒髪でさ、正直僕はぞっこんだったんだ。でもでも、セルジュが仲間にするパーティは美男美男子ばかりで参っちゃったよ。流浪のエルフとか亡国の王子とか僕とか聖騎士とか――― でも鈍感なセルジュは最後まで鈍感でさ。結局、誰とも関係は持たないで元の世界に帰っちゃったんだよねー」


 フィリップ教皇は勇者パーティの一員だった…… 運が良い。それなら、俺たちが必要とする情報も知っているかもしれないな。 ―――あと、何と言う逆ハーレム。これもセルジュの主人公補正による力か。ちゃっかりと自分を美男子に含めている辺り、この教皇の性格が透けて見えてしまう。


『………』

『セラ、分かってるとも思うが……』

『大丈夫。もう心で整理したことだし』

『そっか』


 一瞬、フィリップ教皇を睨むような素振りをセラが見せたので、念話で声を掛けておく。整理したのはメルフィーナとのことだけだろうに。まあセラについてはそれ程心配していない。ずっと行動を共にしてきたんだ。それくらい分かるさ。


「教皇、所々に必要のない内容が混じっています」

「お父様で良いってば。コレット、人生楽しく生きないと心が先に老いちゃう…… ってその点コレットは心配ないか。でもお父様はそんなコレットが子を残してくれるかが心配です」

「私にはメルフィーナ様とケルヴィン様とリオン様がいますから、良いのです!」

「そうだよねー。うん、分かって――― ううん?」

「2人とも、そろそろ軌道修正してください」


 再び親子の間にメルフィーナが割って入る。いらぬ誤解をされてしまっては堪らない。しかし、メルフィーナを突っ込みに専念させるなんて流石だな。


「ごめんごめん、コレットやサイ以外の人と話すのが久しくてさ。ついつい…… じゃ、話を戻そうか。ケルヴィン君の指摘通り、僕はセルジュと共に魔王グスタフを倒した際に、人間から聖人に進化したんだ。えっと、進化に伴う寿命の変化については知ってるかな?」

「ええ、獣王レオンハルトから伺いました」

「へぇ、あの獣王がねぇ。よっぽど気に入られたんだね、ケルヴィン君。まあそんな訳で聖人になってしまった僕は、その時の姿から大して成長もせずに今も生き長らえているって寸法さ」


 リオンと同じく、フィリップ教皇も聖人か。気になるのはセルジュの仲間だったエルフや王子の今だが……


「その時のお仲間も、今もどこかで?」

「残念だけど、その時に進化したのは全員って訳じゃなかったんだ。一番寿命が長い筈だったエルフは寿命で死んじゃったし、聖騎士はS級モンスターとの戦いで…… 人生、何もかも上手く進む訳じゃないんだよ」

「すみません。嫌なことを……」

「ううん、いいんだ。先人の教訓、君は気をつけてくれよ。それにさ、まだ彼がいることだし」

「彼?」


 教皇は得意気な態度でパンパンと手を叩き、何かの合図をする。すると、俺たちが入ってきた部屋の扉から誰かの気配が、ってこれは―――


「失礼致します」

「サイ枢機卿?」


 ついさっき別れたばかりのサイ枢機卿の姿がそこにあった。


「そ、サイ枢機卿もまた僕と同類でね。亡国の王子、セルジュの仲間だったひとりなんだ」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ―――デラミス宮殿・客室


「ふぅ……」

「あなた様、お疲れ様です」

「ああ、ありがとう」


 メルフィーナから水の入ったコップを手渡される。よく冷えていて気持ちが良い。


「今日は驚きっ放しだったな。メルは知っていたのか?」

「ええ、大体は。知っていることと、話せることは別になってしまいますが……」

「義体なんだから仕方ないさ」


 腰掛けたベッドの横にメルフィーナを招き入れる。街中では拝まれまくるし、教皇や枢機卿のひとりが先代の勇者の仲間だったしで疲れてしまった。今は宮殿の客室を何部屋か借りて各自休憩中だ。


「やっぱ、メルとエレアリスが神を交代したタイミングが鍵になっているみたいだな」


 交代した理由についてはまだ分かっていない。メルフィーナは義体の制限により話すことはできないし、フィリップ教皇も詳細までは知らず、神々の間で役職が変わる程度にしか捉えていなかったそうなのだ。しかし、その際のデラミスの巫女であったアイリスは違った。自分が信仰するのはエレアリスだけだと反対勢力を立ち上げ、リンネ教の情勢を真っ二つにしたそうなのだ。教皇はこう言っていた。


「僕が分からないのはセルジュがこの世界にまだいることと、アイリスが生きていることだね。元の世界に帰ったセルジュが再びこの世界に居ることも不思議だし、僕の記憶が正しければ、アイリスはセルジュが元の世界に帰還した後に死んだ筈なんだ。転生神の座がエレアリス様からメルフィーナ様へ代わられる際に、熱心な信者達と謀反を起こしてね」


 アイリス・デラミリウスは最終的には処刑された。その記録は今もこの国の機密事項として残されている。表面上はメルフィーナを信仰の対象とするリンネ教も、その実一枚岩ではなく、その時の残党が今も影で鳴りを潜めているとの噂もあるようだ。


「エレアリスは何がしたかったんだろうな。信頼するアイリスを利用してまで、さ」

「………」


 答えが返ってこないのは分かっている。それを知るにはメルの義体にかかっている制限を解除するか、直接エレアリスに聞くしかないだろう。


「少なくとも俺たちは、コレットに同じ道を歩ませないようにしないとな」

「……はいっ!」


 基本は良い娘なんだ。誤った方向には向かわせたくない。俺たちは決意を新たに―――


「ハァ、ハァ…… メル様とケルヴィン様の崇高なる香りが部屋中を満たして…… 鍵穴からも鮮明に嗅ぎ取れる芳しくも甘美なアロマが私の全身を揺さ振ります……! ああ、我慢に我慢を重ねて参りましたが既に私の制限回路は破損寸前…… 周囲の人払いの手配は済ませていることですし、ほんの少し、ほんの少し神気に肖らせて頂きます……! スゥ―――」


 進化してから細やかに音を聞き分けることができるようになった俺の耳は、聞かなくてもいいことも聞いてしまう。うん、基本は良い娘だけどやっぱり変態だった。

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