第257話 続・修羅場

 ―――パーズ冒険者ギルド・受付カウンター


 場所は冒険者ギルドへと移り変わり、シュトラとフーバーの模擬試合開始時より時を一時間ほど遡る。ギルドの中は異様な雰囲気を醸し出していた。片や、ギルドに勤める同僚職員の女子達に囲まれながら祝福の言葉を投げ掛けられるアンジェ。片や、B級以下と言えど外見は屈強そのものな同業者に囲まれ威圧されるケルヴィン。幸せの絶頂と苦境の極地が相交わっているのだ。今この時にギルドに入って来た者がいれば、何事かと後ずさりしてしまうだろう。そしてどちらかの仲間に加わることだろう。


「旦那ぁ…… これは一体、どういうことですかい!?」

「いや、その…… なあ?」

「なあ、じゃなく!」


 殺気立つ集団の先頭に立った男が受付カウンターを指差す。その先には幸せそうなアンジェの姿がある訳で――― 言うならば、ケルヴィンが覚悟していたアンジェファンクラブとの修羅場の真っ最中なのだ。


 この時に備え、ケルヴィンはアンジェとの綿密な打ち合わせをしてきた。奴隷になったという素性は隠し、オブラートに、相手を極力刺激しないようにと再三確認してきたのだ。


 やることはやった。後は最悪、俺が殴られるだけだ! と、啖呵を切って報告しに来たまでは良かったのだが、直後にアンジェはギルド内の女性陣に連れ去られ、悉く情報を曝け出されてしまう。女性に恋愛話が絡むと何が起こるか分からない。そのような教訓を得たケルヴィンであったが、時既に遅し。飛躍してしまった結婚情報は一瞬にしてギルド中に出回り、現在の状況が構築される。それでも、アンジェが最後まで奴隷に関わることを話さなかったのは不幸中の幸いだった。


「あらあら、まあまあ」


 助けを新ギルド長のミストに求めようと一瞬考えるも、瞬時に却下される。今の彼女は単なる色恋沙汰に興味津々な近所のご婦人だ。職員と一緒になってアンジェを質問責めにしている。


「ううっ…… アンジェちゃんの想い人は知っていたけど、知っていたけど!」

「エフィルちゃんだけでは飽き足らず、我らの女神にまで手を出すとは……!」

「ま、まさか、妹にまで……!?」


 ケルヴィンが予想外だったことは他にもある。パーズに所属する独身冒険者の殆どがアンジェの信者ファンであったことだ。四方八方に敵がいると思っていい。先頭に立つ男など、ウルドが率いるマッチョなB級冒険者パーティの一員である。尤も、そのパーティでの妻帯者はウルドのみであるから、別段おかしなことではない。後ろの方に残りの2人がいてもおかしなことではないのだ。ないのだ……


「だからさ、俺たちは健全なお付き合いをだな―――」

「健全!? 健全ですかい!?」

「旦那ぁ、知ってるんですぜ? ここ暫くの間、旦那とアンジェちゃんが一緒に! ……旅行してたってことを」

「くっそぉ……! それのどこが健全なんだぁ! 絶対に一線越えてるじゃねぇか!」

「………」


 ケルヴィンが頭を抱え始める。一体その情報をどこから仕入れているのか、半分ストーカー紛いじゃないのかと。加えて、確かにケルヴィンはアンジェと一緒に寝ることはある。しかし、それはまだ添い寝程度のもので、信者ファンが考えているような桃色な出来事など起こっていないのだ。


「ねえねえ、実際どこまで行ったのよ? どうやって落としたの?」

「ま、まだ何にもしてないよ! 普通に告白しただけ!(1回首を落としはしたけど)」

「えー、嘘でしょ?」

「本当に!」


 ―――といった恋バナに花を咲かせる会話が隣で成されているのだが、情緒不安定な男達の耳には届いていないようだ。例え届いていたとしても、変に勘ぐって余計拗れてしまうのだろうが。


「なぜかアンジェちゃんに対してだけは朴念仁だったから、もしかしたらチャンスがあると思っていたのに……」

「………」


 朴念仁ではない。ちょっと勘違いしていただけだ。と言い返したいケルヴィンであったが、ぐっと我慢し口を閉じる。なぜなら、ケルヴィンとアンジェの馴れ初めを素直に説明したとしても、とてもではないが彼らが理解することのできない範疇にあるからだ。何せ意中の首が欲しかった恋する暗殺者と、その素質を見出し全力で戦いたかった戦闘狂の混迷した恋愛感情である。常人には手が出せないし、出すべきではないのだ。


 この状況下で今できるのは余計な言い訳などせず、アンジェを大切にすると真摯に伝えること。それで殴られ蹴られ、信頼が地に落ちたとしても、腹をくくる。アンジェを娶るとはそういうことだ。そう自分に言い聞かせ、ケルヴィンは意を決して想いを発しようとした。


「―――だからよぉ、旦那。アンジェちゃんを、よろしく頼むぜ?」

「えっ?」


 突然のことにケルヴィンは呆気に取られる。


「ハァ、そうだな…… 俺らの願いはアンジェちゃんに幸せになってもらうことだ。例えそれを叶えるのが誰であっても最後は恨みっこなし! ……それが暗黙のルールだったな」

「ああ、言いたいことも粗方言ったし、スッキリしたってもんだ!」

「そうだな。これで未練もない――― あれ、変だな。勝手に涙が出やがる……」

「だぁ! お前って奴はまったく!」

「ケルヴィンの旦那なら、俺たちの誰よりも安心してアンジェちゃんを任せられる。これ以上のことはねぇよ」


 それを皮切りにして次々と意見が反転していく。肩に手を置かれ、時には背を叩かれ、握手をされ、やり方は人それぞれであったが、兎も角そうなったのだ。男達は一様に憑き物が落ちたような、気分が晴れ渡った表情だ。


「皆……」


 柄にもなくケルヴィンも胸にくるものがあったようだ。幾度かの交渉の末、娘との婚約が許された際の彼氏と相手の父親のような心境に近いものがある。ここまで来れば、後は自分の気持ちを曝け出すしかない。


「俺、絶対にアンジェを幸せに―――」


 世の中とはよく出来ているものである。この瞬間のタイミングなど完璧であった。


「あれっ? アンジェ、そのスカーフも贈り物?」

「わぁ、これとっても高価なものなんじゃ……」

「あ、それに触っちゃ―――」


 ハラリと落ちるアンジェの首に巻かれていたスカーフ。次いで露になったのは、奴隷であることを示す従属の首輪。咄嗟にアンジェが大きな声を上げた為に、ギルド中から注目の的となってしまった。


「アンジェ、それって……」

「え、えへへ。私、ケルヴィンの奴隷になっちゃった。あ、でも私は幸せだからね! 勘違いしないでよね!」


 また何とも形容しがたい台詞である。申し訳なさそうにケルヴィンに視線を送るアンジェ。しかしその視線は男共にも届いている訳で。誤解だよ、誤解なんだよーとケルヴィンが振り向く。チラリと見えたギルドの外。先ほどまでの晴れ渡った天気は見えず、どんよりとした雲がかかって局地的な悪天候になろうとしていた。


「……おい」

「ケルヴィン、裏で詳しく話を聞こうか」

「一発殴らせろ」

「悪い、俺の愛剣を持ってきてくれるか?」


 これより一時間後、屋敷の庭園にて仕事に励んでいたダハクは妙に落ち込んだ様子のケルヴィンを見たという。世の中とは本当に上手く出来ているものだ。

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