第256話 操糸術
―――ケルヴィン邸・地下修練場
「よーし! いくよ、ゲオルギウス!」
ポン! とコミカルで軽い炸裂音が鳴り、白い煙と共にシュトラのリュックから何者かが飛び出した。何者かと言っても、十中八九リュックから顔が出ていた熊のヌイグルミだ。普段は単なるサボり魔なフーバーも、竜騎兵団副官を任されるだけの実力を備えている。先の動揺が嘘のように消え去り、瞬時に頭を冷やして冷静に状況を整理していく。
(それにしても、ゲオルギウスって……)
フーバーはおそらくは熊のものであろうその名に、ある意味で戦慄する。しかし、真に戦慄したのは次の瞬間であった。
―――ぽふっ、ぽふっ。
煙の中から聞こえてきたのはヌイグルミの足音。戦いとは無縁であるその音にフーバーはやや眉を顰めるが、直ぐに認識を改める事となる。煙から現れたヌイグルミ、名称ゲオルギウス。ヌイグルミ特有の円らな瞳は相も変わらず愛くるしく、万人受けする魅力的な表情をしている。そう、顔はいいのだ。リュックから見えていたそのままの面持ちなのだから。問題はその下だ。
「……で、でか過ぎじゃないですかね?」
思わず心の声が漏れてしまったフーバーの額から嫌な汗が流れる。ゲオルギウスの顔から下、所謂ボディに当たる部分。色合いは熊らしく栗毛色で統一されている。それはいい。しかしサイズが問題だ。有名テーマパークのキャラクターグッズ店で販売されている最大サイズよりも遥かに大きなそれは、下手をすれば凶暴凶悪な大型の熊型モンスターに匹敵し、フーバーが見上げる程に巨大。長く伸びた両腕の先には鋭利な漆黒の剛爪が施され、可愛らしい表情とのギャップが凄まじい。そしてその肩には満足気なシュトラが腰掛けている。
「可愛いでしょ? エフィルさんに作ってもらったのよ」
「は、はい。とても可愛い、ですね…… っていやいやいや、いくらなんでも自立するヌイグルミはやり過ぎでしょ! 霊の魂でも入ってるんですか!?」
「何いってるの? 別にこの子が自動で動いている訳じゃないわよ?」
「へ?」
キョトンとするシュトラに釣られ、フーバーもポカンとしてしまう。
「……やっぱりマイナーなスキルだから知らないのかしら? そうよね、ちょっとしたお芝居にしか使われてこなかったものだし……」
「あの、シュトラ様?」
ブツブツと自答自問をし始めたシュトラ。やや当てが外れたような様子だ。
「あ、ごめんなさい。詰まりね、こういうことなの」
手の甲を見せるようにして軽く腕を掲げるシュトラ。よくよく見ると、全ての指に何かが嵌められている。次いでシュトラが指を大袈裟に動かすと、ゲオルギウスが腕を振り上げた。
「……操り人形、ですか?」
「そ、正解よ。考えに考えたんだけど、私、スキルで『操糸術』を習得したの。非力な私でもこれならお兄ちゃんやリオンちゃんの役に立てると思うから」
体を左右に揺らしながら、機嫌良さそうに説明するシュトラ。どうやらこのゲオルギウスが相当お気に入りらしい。
「確かにインパクトはありましたが…… 実践はお試しになったのですか?」
「それを試す為の模擬試合って言ったでしょ。でもリオンちゃんのお墨付きよ。 ……そろそろ試していい?」
―――ズッ!
シュトラが聞くと同時に、フーバーは全力でゲオルギウスの懐に入り込んでいた。卑怯と言えばそれまでだが、一応は試合は始まっているのだ。恥も外聞もない。アズグラッドの下で厳しい鍛錬を積んで来た彼女だからこそ、先制を取らなければ不味いと感じたのかもしれない。既に
「油断大敵ですよ、シュトラ様!」
「貴女もね」
「―――!?」
咄嗟に距離を取ったのはフーバーだった。直前までにフーバーが立っていた床にはゲオルギウスの腕が沈み込み、周囲には激しい亀裂が走っている。ちなみにこの床、辺りの修練場と同じくアダマント鉱石製である。対してフーバーが放った槍によるダメージは皆無。ゲオルギウスは全くの無傷であった。
(死ぬっ、まともに受けたら死にますって! それに何ですか、あのヌイグルミの布! 水分で濡れてる筈なのに、槍の貫通を拒むように凄い伸びましたよ!?)
フーバー怒涛の愚痴。しかしそれも尤もな話だ。軽い気持ちで受けたお遊びが、生死を賭けた戦いに成り代わっているのだから。実を言えばフーバーやシュトラが本当にピンチになった場合、外野からアンジェが助けに入る手筈になっているのだが、今のところフーバーの耳には入っていない話である。
「師匠、あれはどう対処すればいいの?」
何気ないリュカの質問。刹那、フーバーは耳を大きくして盗み聞きに全力を注ぐ。この答えに活路を見出せるかもしれないのだ。
「うーん…… 取り合えず、首を斬り落とす?」
「えー、可哀想だよー」
「………」
しかし世の中とは無常なもので、フーバーに役立つ情報は毛頭なかった。それができれば苦労しない。胴を貫くこともできないのに、あんな高い位置にある首を斬り落とすとなれば、難度は更に跳ね上がる。
「リオンちゃんはあの熊さんを知ってるの?」
「えっとね、ゲオルギウスはシュトラちゃんのヌイグルミを参考に、エフィルねえに作ってもらった完全オーダーメイド熊なんだよ。一見ただの布製なその体もS級防具に匹敵する耐久性・耐水性を持ってるんだ。腕先にはケルにいが加工して強化した邪竜の爪を縫い付けて、攻撃力の向上を図ってたり」
「わ、ご主人様とメイド長の合作なんだ!」
「なるほどねー。そりゃ強いに決まってるよ」
「ケルにいにはまだ秘密にしてるんだけどね。でもシュトラちゃんと一緒にお願いしたら、直ぐ作ってくれたんだー」
えへへ、と顔を綻ばせるリオン。一方で聞けば聞くほどに勝利が遠ざかっているフーバーは―――
(何してくれてんですか、あのシスコンご主人っ! いえ、シュトラ様が喜ぶのは良いですけどっ!)
心の声が炸裂していた。最早シュトラは狙わないという枷を自身に課している場合ではない。気絶させる程度の威力で、遠距離からの攻撃で対応する。
「射抜け。
「やあ!」
可憐な叫びと共に真横に振るわれたシュトラの右手。何か来るか、そう考えてゲオルギウスを注視するも、ヌイグルミに動きは見られない。だが―――
「なあっ!?」
刹那、フーバーが放った水槍が一様に弾け飛び、幻であったかのように掻き消されてしまったのだ。
「それでね、シュトラちゃんが指に嵌めてる操り糸も特別製でね、メルねえにお願いして作ってもらったものなんだ。魔力で操り糸を生み出すマジックアイテムって言えばいいかな? 糸を切ろうとしても元が魔力だから断ち切れないし、操作範囲も自由自在。篭める魔力を増やせば、今みたいに自分の糸で攻撃することも可能なんだって」
「わあ、当家の作り手総出じゃない……!」
感嘆するアンジェとリュカ。リオンのありがたい解説によれば、今のはシュトラが操る糸を攻撃に転化させたものらしい。となればシュトラはヌイグルミを操りつつ、自分でも攻撃を仕掛けることが可能となる。しかも糸が見えない。
(清掃担当箇所、3倍かぁ…… 当分サボれないな……)
フーバーはある種の覚悟を決め、エフィルとの激戦を思い起こしながら特攻をかけるのであった。 ―――ここでの勝敗は記述しないが、その日のおやつもいつもながら絶品だったとされる。
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