第255話 屋敷の日常
―――ケルヴィン邸・庭園
「ふんふん、ふ~ん♪」
パーズへの帰還から1日が経過した。晴天に昇る太陽が丁度真上に来た頃、屋敷の庭園では暫くの間手入れできていなかった庭木をダハクが両手鋏で形を整えているところであった。鼻歌を口ずさみながらご機嫌な様子のダハク。今日が特に機嫌が良いという訳ではなく、基本的に土いじりや畑仕事をしている時はいつもこんなものなのだ。
「ハクちゃん、今日も精が出るね」
「あ、お嬢! うっす、好きでやってることなんで。アレックスはお嬢の影の中で?」
「うん。今はお昼寝中。ご飯食べ過ぎたみたい」
苦笑するリオンの背後から、ひょいっとシュトラが顔を覗かせて庭の様子を窺う。
「見掛けによらず手入れがとっても繊細よね。木々や花々も喜んでいるみたい」
「何だ、ちびっ子もいたのか」
「誰がちびっ子よ! リオンちゃんより少し小さいくらいだもん!」
強面のダハクに面と向かって文句を言うシュトラ。最初の頃はリオンの影に隠れるばかりの人見知りなところが目に付いたが、今ではすっかり慣れてしまったのかその頃の様子は微塵も見られない。もっとも、こんななりで子供に懐かれ易いダハクの体質も関係ないこともないのだが。
「リオンのお嬢は別格なんだよ、別格。ちんまくても懐の広さと深さが凄ぇんだよ」
「ち、ちんまい…… うん、そうだよね…… 最近はリュカちゃんにも越されちゃったもんね、胸……」
「そっちの話じゃないッスよ!?」
「え、何の話?」
リオンに追撃を仕掛ける意味ではないが、今でこそ体型的に同等のシュトラも、元の姿に戻ればかなりのスタイルに成長する。背丈も越される。日々の努力が報われない絶望感に苛まれるリオンは、ただただ自らの胸に手を当てるだけであった。
「そ、そうだ! 1週間後、今度はデラミスに行くらしいッスね! ギルドからアンジェと一緒に帰ってきた兄貴から聞きやしたよ」
触れてはいけない話題と空気を感じ取ったダハクは、直ぐ様に別話へのシフトを試みる。リオンが興味を持っていそうな話題で、ケルヴィンを話に絡めながら。
「あ、うん。そうらしいよ。リンネ教の本家なら、エレアリスや神の使徒について何か調べられるかも、ってケルにい言ってた」
「デラミスか~。コレットちゃん、いるかなぁ?」
「きっといるよ。向こうに着いたら一緒に遊ぼうね」
意図しないシュトラの援護もあり、どうやらリオンはいつもの調子に戻ったようだ。安堵したダハクはリオンらに見えない位置でグッと拳を握り締める。
「あ、そうだ。ケルにい帰って来たんだよね? 屋敷の中にいる?」
一緒に遊びたい。リオンの顔には分かりやすくそう書いてあるのだが、ダハクはまた困ってしまう。
「そうなんスけど、直ぐに地下の鍛冶部屋に行っちまいやしたよ。たぶん、セラ姐さんも一緒ッス」
「そっか。その分だと夕飯までは出てこないだろうなぁ……」
ケルヴィンは一度趣味に没頭すると満足するか、食事の時間になるまでは地下の趣味部屋から戻って来ない。リオンとしてもケルヴィンの時間を邪魔したくないので、鍛冶部屋などの施設に立ち入ることは殆どなかった。それをダハクも分かっていたのだ。
「そう言えば、今回作る武具はハクちゃんのもあるらしいね。竜形態になると人の姿の装備は使えないから、それ用のを作ってるんでしょ?」
「うっす! あの馬鹿でかいゴーレムから良い材料がいくらでも取れやすからね。俺やボガ達の装備にやっと取り掛かれると仰っていやした。ガウンで気付いたんスけどね、『格闘術』は竜の姿でも機能するんスよ! そこに加わるは兄貴自ら鍛え上げてくれる武器…… くぅ、感動ッスよ!」
「ハクちゃん、泣いてるの? ……よしよし」
木々の手入れ用にダハクが使っていた梯子をとてとてと登り、シュトラがダハクの頭を撫でる。
「違うっつうの! これは汗なの! 感動の汗っ! あと危ねえから降りろ」
「感動の汗ってどんなのさ…… でもそれなら仕方ないよね。うーん、じゃあ一緒に帰って来たアンねえは?」
「修練場でリュカに戦闘の手解きをしてるみたいッスよ。何でも、暗殺者として立派に育ててあげる! とか言ってやした。リュカのことも気に入ってるみたいッスね。リュカもやる気だったし、ありゃ師弟関係みたいなもんスよ」
「リュカちゃんの本業はメイドさんなんだけどなー……」
「護身術に磨きがかかると思えば良いよ、リオンちゃん」
暗殺術と護身術が果たしてイコールになるのか、少々疑問になってしまうリオン。しかし他ならぬシュトラの言なのでそう信じることに。それに修練場にいるのであれば、自分達も昨日の練習の続きをしてもいいかも――― とも思っていた。
「僕らも修練場に行こっか、シュトラちゃん」
「うん! じゃあね、ハクちゃん」
「急ぎ過ぎて転ばねぇでくださいよ? ……ってもういねぇし」
ダハクが屋敷の扉の方を向くと、丁度扉がバタンと閉まるところだった。
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―――ケルヴィン邸・地下修練場
「本当にやるんですか? 私、これでも国では結構強かったんですよ?」
「でないと意味がないの。私の力が通じるか試したいのよ」
地下の修練場では大きなリュックを背負ったシュトラと、メイド姿で
「シュトラちゃん、頑張ってー!」
「師匠、どっちが勝つの!?」
「甘いよリュカ君。真の玄人はどちらが勝っても対応できる用意をしておくものさ! さ、祝杯の準備準備!」
「………」
見学席では好き放題言ってくれてる方々に、なぜか冷たい笑顔のまま動こうとしないメイドのロザリアまで混ざっていた。またサボりましたね? と、笑顔の裏で鬼のように怒っていることが多少なり離れたここからでも容易に察せる。
(や、やり辛い…… しかも何でロザリアがここにいるんですか!? もうお仕置き決定じゃないですか!)
更に言えば、相手のシュトラもやり辛い要因である。いや、シュトラがと言うよりは、その背後に背負っているものが、だ。円らで小さな黒い瞳が2つ、フーバーを見詰めている。フーバーはそれをよく見たことがあった。なぜなら、いつもシュトラが持ち歩いているから。
(しかし何か、サイズがいつもより、こう…… 大きいような……?)
フーバーは背後のそれを凝視する。シュトラの背負うリュックから真ん丸の顔だけを出すもの。それはシュトラお気に入りの、熊さんのヌイグルミ。それも限定ものでプレミアが付いたレアな代物だ。だが、日常的に見ていたあのヌイグルミは小さなシュトラが片手で抱えられる、その程度の大きさだった。
(……やっぱり、どう見ても大きいですよね。リュックから覗かせている顔の部分だけでも、シュトラ様のお顔よりもひと回り以上大きいですし)
比較的大きなサイズに見えるリュックの体積よりも大きなクマの顔。リュックに納まる姿を想像すれば2頭身よりも体が小さく、アンバランスになってしまう。だとすれば、やはりオリジナルのヌイグルミとは異なるのか。そのように考えている最中も、円らな瞳とシュトラのやる気に満ちた愛くるしい瞳の視線がフーバーへ向かってくる。とてもやり辛い。
「僭越ながら、模擬試合の審判は私、ロザリアが務めさせて頂きます」
「うわっ!」
「……何です?」
「い、いえ、何でもないです、はい……」
意識を正面に集中し過ぎていたのか、フーバーはロザリアが近づいていることに気付かなかった。素っ頓狂な声を出してしまう程に驚く。そして怖い。
「シュトラ様が勝った場合、おやつにメイド長特製プティングをお出し致します。更にフーバーは清掃担当箇所を2倍に拡大。フーバーが勝った場合はフーバーの清掃担当箇所を2倍に拡大です。異存はありませんか?」
「わっ、特製プティング! リオンちゃんの分は?」
「勿論ございます」
「ちょ、ちょっと、流石にそれはおかしくないですか!?」
「……そうですね。失礼致しました。シュトラ様が勝利した場合、フーバーは清掃担当箇所を3倍に拡大致します!」
「ギャー!」
どちらに転んでも怒りは収まらず。フーバーの反論は迂闊であった。
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