第204話 虎狼流の恐怖

 ―――ガウン・総合闘技場控え室


 Aブロックの試合が開始され、観客達の声援、歓声は常に闘技場で渦巻いていた。時折、一気に音量が高まり、闘技場内部の控え室にまでその叫びが届くこともある。思わぬ番狂わせが起きたのか、試合に決着が付いたのか――― どちらにせよ、獣王祭が大いに盛り上がっていたのは確かだろう。


「……凄い歓声ですね。試合が終わったんでしょうか?」

「終わったのなら俺を呼ぶアナウンスがあるだろうよ。ないってこたぁ、まだ試合は続いている」

「そ、そうですね。師範、失礼しました……」


 右胸に『虎狼流』と漢字で記された道着を着た、5人の獣人の内の1人が直立しながら謝罪する。獣人達の視線の先には鞘に納めた得物を肩に抱き、壁を背中にして床に座る髷結いの獣人。ケルヴィンの対戦相手、虎狼流の師範ロウマである。闘技場側が用意した防具の中で最も軽量な衣服を装備し、自らの得物としてトラージ産の刀を選択している。見るからにスピード志向の装備だ。


「お前ら、さっきから何を焦っている? いや、怯えている、か?」

「すみません。師範の試合相手を考えると、つい……」


 5人は虎狼流の門下生だ。獣王祭出場が決定して以来、自分たちの剣の師であるロウマの活躍を間近で見ようと、今日と言う日をまだかまだかと楽しみにしていた。 ……トーナメントの組み合わせが決定し、対戦相手の名前を聞くまでは。


「……ケルヴィンか?」

「ええ、今最も話題になっている新鋭のS級冒険者です。昨年の獣王祭はゴルディアーナが優勝、獣王様が僅差で準優勝と言う結果で終わりました。そのどちらもがケルヴィンと同じS級冒険者の肩書きを持っています。恐らく、ケルヴィンも同様の力を持っているのではないかと……」

「先の魔王討伐では大々的に知名度を上げ、数々の功績を残しています。昇格式の模擬試合ではシルヴィアに勝利したと聞きますし、相当な使い手なのでは……」


 門下生らはケルヴィンの噂を話し出す。彼らは不安なのだ。これまで信じて歩んできたこの道が、本当に正しかったのか。その教えの体現者であるロウマが、真の強者に通用するのかが。


「っふ、お前らは獣王祭に出場すればそれで満足する口なのか? 我らの目標は1回戦2回戦の突破、その程度か?」

「そ、それはっ……」

「では改めて聞こう。我らが目指す場所はどこか?」

「……獣王祭の優勝、ただ1つです!」


 門下生の1人が前に言い放つ。それは正に、魂の叫び。


「S級冒険者がどうした。聞けば奴は召喚士だと言うではないか。魔法を使うならいざ知らず、この獣王祭においてはケルヴィンの召喚術は機能しない。信じられるのは己の肉体と技量のみ。逆に考えろ、この状況下で奴と戦えるのはチャンスなのだと。S級冒険者を倒したとなれば虎狼流の名は天にまで轟くことになるのだ。何を怯える必要がある!」

「そうだ…… その通りだっ!」


 希望はやがて勇気となり、次々と伝播する。この中にケルヴィンを恐れる者は今やいない。


「我ら虎狼流の真骨頂は最速で相手の懐に至り、最大の攻撃で仕留める必殺の剣だ。短期決戦にこそ活路はある。そこに小細工を仕込む余地はない。お前らはただ、俺の勝利を信じればいいんだ」


 ロウマは刀を携え、立ち上がる。その瞬間に一際大きな歓声が闘技場に鳴り響いた。


「Aブロック第3試合! 放浪のエルフ、ディッシュ選手の勝利です! いやー、鮮やかな弓さばきでしたね、解説のキルト様!」

「弓矢を使っての1対1の戦いにおいて、常に一定の距離を保ち続けることは難しいのですが、堅実な試合運びで危なげなくやり遂げましたね。2回戦も期待できそうです」

「ありがとうございます! それでは次の試合に移りましょう! Aブロック第4試合、ロウマ選手とケルヴィン選手は舞台へおいでください!」


 呼び出しのアナウンス。皆が放送に耳を傾ける中、ロウマは門下生らの間をすり抜け、控え室の出口へと向かう。あたかもこれを予期していたかのように……


「どうやら出番が回ってきたようだな。じゃ、行って来らぁ。応援頼むぞ」

「はいっ!」

「ご武運をっ!」


 門下生らの目には確かに映っていた。戦いの場に赴く侍の姿が―――



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ―――ガウン・総合闘技場試合舞台


「ところでキルト様は獣王祭には出場されないのですか? ご兄弟のジェレオル様やユージール様は昨年に引き続き、今年も参加されているようですが」

「僕は兄さん達のように肉体派じゃないですからね。魔法が使えない今大会のルールじゃ出ても勝ち目がないです」


 第4試合の選手の登場を待つ間、実況のロノウェと解説のキルト・ガウンはトークに花を咲かせていた。


「その理屈でいけば、次の試合でケルヴィン選手は苦戦を強いられそうですね。S級冒険者と言えど、彼は魔法を主体に戦闘を行うタイプですから」

「ええ、ですから同じ魔導を志す者として僕はこの試合を注目しています。おや? 選手が来たようですね」


 キルトの声にロノウェが、観客達が選手入場口である両端の通路に注目する。やがて西口より現れる人影、通路より出てきたのは虎狼流剣術師範のロウマであった。


「おうおう、お天道様が眩しいぜ」


 刀を肩に担ぎ、ロウマは闘技場の舞台へと歩み出す。


「さあ、先に戦いの舞台へと上がったのはロウマ選手です! 手に持つ得物はやはり刀! 予選で見せた圧倒的な剣速をまた見せてくれるのか!?」


 観客がヒートアップするのも束の間、今度は東口よりケルヴィンが現れる。ロウマと同様に軽装な黒衣を纏っている。色彩は似ているが、普段着ているローブとはまた異なる趣きである。だが、今注目すべきは防具ではない。その手に持つケルヴィンの得物だ。


「これはっ……!」

「け、剣! ケルヴィン選手、まさかの剣で虎狼流に対抗だぁ! あんた召喚士だったんじゃないのか!」

「別に召喚士が剣使ってもいいだろ……」


 拡声器から鳴り響くロノウェの音声にケルヴィンはボソリと呟き返す。ケルヴィンが選択した武器はオーソドックスな長剣だ。世間の印象ではケルヴィンは緑魔導士、または召喚士で通っている。これまでケルヴィンが剣術を使えるなどと言う情報はなく、思い掛けない展開に会場を取巻く声援は過熱さを増していった。


 円形のコロシアムは中心に戦いの場となる舞台を据え、その周囲を取り囲む形で高所に観客席が設置されている。舞台と観客席の間には芝が敷かれ、ここには大会関係者及び出場者しか立ち入ることができない。


「ケルヴィーン! 一撃よ、一撃ー!」

「ケルにい、ガンバー!」


 言うならば、出場者にとっては間近で見ることのできる特別席である。セラとリオンはケルヴィン側に立ってエールを送っていた。しかしエールを送れば送るほど観客の男共が敵に回る嫉妬の連鎖、何とも居心地の悪いこの空間を穏便に止める手立てはケルヴィンにはなく、苦笑いを返すことしかできなかった。


「あれは『女帝』に『黒流星』の……! どうやら出場者でもある2人がケルヴィン選手のセコンドにつくようです。両手に花、とはこのことですね。女の私も羨ましい限り! ケルヴィン選手、会場の男共の熱い視線を一身に浴びています!」

「リオンちゃん、可愛いですよね。ゴマには敵いませんが、素晴らしい妹だと思います」

「キルト様、別にそこは聞いてないです」


 キルトの妹談義をロノウェが封じ込めようとする中、ロウマがケルヴィンに2歩3歩と歩み寄る。


「おう、随分と黄色い声援だな。うちのむさ苦しい連中とは大違いだ」


 ロウマが自身が出てきた通路を指差す。薄暗い通路には5人の獣人がこちらの様子を窺うように目を光らせていた。出場者の連れは通路まで同行することはできるが、前述の理由で芝に足を踏み入れることはできない。虎狼流の門下生達は妥協案として通路からロウマを見守ることにしたのだ。


「いや、良い仲間じゃないか。あれは仲間の勝利を信じている目だよ」

「へえ、分かるんかい?」

「ああ、うちの仲間も同じ目をしているからな」

「……ほう」


 気障な台詞を言いつつも、ケルヴィンは心の隅っこでロウマの頭に注目していた。あ、この人髷だ、と。


「で、お前さん、剣も使えたのか?」

「ん? んー、まあ、そこそこ? これでもそれなりには使えるつもりだよ」


 ケルヴィンは両手で長剣を振りかぶり、軽く素振りをして見せる。


「……っふ、鴨が葱を背負ってやってきおったか。わざわざ我が剣の比較対象になってくれるとは」

「お、自信満々だな。ま、楽しい試合にしようよ」


 ニヤリと笑うロウマとにこやかな笑顔を返すケルヴィン。双方は笑い合い、試合開始位置へと移動する。


「両者が揃いましたので、そろそろ試合を開始致しましょう! 準備はよろしいですか!?」


 互いに剣を携える2人は頷き、開始の合図を催促する。


「それでは試合――― 開始っ!」


 ―――ズッ!


 試合開始の合図と同時にロウマはケルヴィンの懐へと一歩で至る。まだ刀は鞘に納まったままであるが、この型こそがロウマの最速最大の剣、抜刀術であった。ケルヴィンは中段に構えてから未だ剣先をも動かしていない状態、ロウマは勝利を確信する。


(受けるがいいS級冒険者! 虎狼流の真髄をっ!)


 放たれた居合いの剣はケルヴィンの胴を横断する。ここまでの展開をハッキリと認識できた者は会場内に極僅か。ましてや、ここからの展開を予想できた者はそれよりも少ない。


「か、ハッ……!?」


 抜刀の剣を振り切り、その直後に地に落ちたのはロウマだったのだから。頭から舞台に落ちた為か、白目をむいて体をビクつかせている。喧騒が反転し、闘技場が静寂に支配された瞬間であった。


 ロウマの刀の刀身は鍔の先から折られており、ロウマが倒れたすぐ側に転がっていた。これではいくらケルヴィンの胴体を通過したところで意味を成さない。


「まずまず、だな。調子は悪くない」


 剣を鞘に戻し、ケルヴィンは舞台の出口へと向かって行く。この時になって、大会の審判は初めて動き出した。


「駄目だ、完全に気絶してる……! た、担架持って来い!」

「し、師範ー!」


 舞台へと急行する救護班。通路から出ようとするも、ガウン兵に止められる門下生達。ロノウェは思いっきり息を吸い込み、言い放った。


「Aブロック第4試合! 『死神』、ケルヴィン選手の勝利ぃー!」


 喝采が轟くも、何が起こったのか理解できない者が殆どだ。先ほどケルヴィンを敵視していた男達も唖然とするばかりで言葉を失ってしまう。観客達は解説の言葉を待った。


「皆さん、今起こった出来事が理解できませんよね? 私もですっ! しかしこのまま「やべえ」で済ますことはできません! 解説のキルト様、何が起こったのでしょうか!?」

「……分かりません。ロウマ選手が抜刀するまでは理解できたのですが、そこから何が起こったのか、ケルヴィン選手が何をしたのか、僕には早過ぎて見えませんでした。一体何が……」

「……えっと、つまり「やべえ」としか分からないと?」

「ま、待ってください! この舞台には僕が開発した映像を記録するマジックアイテムが備わっていますので、それをスロー再生すればっ―――」


 このままでは獣王に何を言われるか分からないとばかりに、キルトは必死に挽回を図っている。一方でケルヴィンはリオンらに迎えられていた。

 

「1回戦突破、おっめでとー! ケルにい!」


 リオンがケルヴィンへと飛びつく。ケルヴィンはリュカにする要領で優しくキャッチし、そのままリオンを抱っこしてやる。


「うん、悪くないんじゃない? 相手が力量不足過ぎて準備運動にもならなかったのが気になったけど」

「刀身掴んで地面に叩き付けただけだしなー。剣使ってないし…… まあ、B級の『剣術』使いならあの程度か。刹那の抜刀術よりも数段劣っていたよ」

「あー、あの黒髪の…… 確かにねー」

「うん? その人誰なの?」

「そういやリオンは会ったことがなかったか。コレットが召喚した勇者なんだけどさ―――」


 闘技場が騒然とする中、ケルヴィンらは雑談しながらさっさと東口へと消えてしまった。

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