第200話 交差

 ―――ガウン・とある飲食店


 夜が更け他の客の姿も疎らとなってきた。サバトとゴマは一足先に城へ、アンジェも自分の宿へと帰っている。俺たちもそろそろ宿へと行くべきなんだろうけど……


「私がぁ~、ヒック! 優勝しゅるんだかりゃ、大船に乗った気でいればぁいいの~!」


 呂律の回らない口調をしたセラがタァンとテーブルにコップを置く。左手は俺の腕を放すまいと力強く握られ、メキメキという骨が軋む音と危険を知らせる察知スキルのアラートが脳内に雪崩れ込んで来た。


「ジェラール、お前……」

「いやいやいや! ワシの酒の匂いを少し嗅いだだけじゃよ!? 飲んではおらん!」

「しょうよぉ、私は飲んでぃなぁいんですぅ~!」


 事の始まりはジェラールが飲んでいた火酒の匂いをセラが吸ってしまってからだ。隣にジェラールがいたのは失敗だった。俺が飲む酒とは違い、ジェラールは日頃から度数が高くきつい酒を好んで飲んでいるのだ。酒に弱いセラにとっては、この匂いだけで酔いが限界を超えてしまったらしい。


「飲んでなくても酔うこともある、か。ジェラール、セラの周辺では酒飲むの禁止な」

「なんと!?」

「なぁによ~。私の酒が飲みゃないってゆ~の~?」


 最早会話が成立しているようでしていない。セラさんや、コップを壊さない力加減はできているのに、俺に対しては何で加減がないんでしょうか?


「ご主人様、リュカやシュトラ様が眠ってしまいましたので、私共はこの子達を連れて先に宿へ向かおうと思うのですが……」


 エリィがリュカをおんぶした状態で話し掛けてきた。その後ろではロザリアがシュトラを、フーバーがシュトラが持っていた熊のヌイグルミを抱えている。


「もうそんな時間か。了解、俺らはセラを落ち着かせてから行くから先に行っててくれ。場所は大丈夫か?」

「ええ、事前に確認しておりますので。メイド長、申し訳ありませんが……」

「こちらは問題ありませんから、ゆっくり休んでください」

「む、しかしこんな夜更けにレデーだけで歩くのは危険じゃな。どれ、ワシもリュカらと共に―――」

「ジェラールは待ちなさい。いくら俺が『剛力』で力の底上げしてるからってセラには敵わないんだよ。お前も責任持って手伝え。できれば俺の腕が千切れないうちに」

「ええっ!? じゃ、じゃが!」

「じゃがもじゃってもない」


 ジェラールがあからさまに嫌そうな声を上げるが、さっきから俺の腕はもう限界を通り越しているのだ。


「あ、あのご主人様、先ほどからバキバキと音が…… 本当に先に失礼してもよろしいのですか?」

「大丈夫、俺とメルの白魔法はS級だ。痛みさえ堪えれば、大丈夫……!」


 伊達にセラの恋人をやっている訳じゃないのだよ。


「えっと、それじゃ僕が代わりにエリィ達を警護するよ。ハクちゃんもおいでー」

「俺もッスか? どっちかつうと男手の俺はこっちを手伝った方がいいんじゃないスか?」

「ダハク、悪いことは言わないからリオンと一緒に行け。今のお前にはセラを引き剥がす大任は早過ぎる。下手すると死ぬぞ?」

「酔ったセラねえは加減を知らないからね。だからハクちゃん、ここはジェラじいやメルねえに任せようよ。生半可な力だと怪我じゃ済まないよ?」


 一様に引きつった笑顔でダハクを行かせようとする俺たち。


「何言ってんスか! それくらい俺にだってでき―――」

「……にぁによぉ、ダハクゥ、あんた私きゃらケルヴィンを奪おうってゆーの?」

「うおっ!?」


 呂律の回らない言葉とは裏腹にセラから発せられるどす黒い殺気は本物だ。俺の使っていたグラスが軋み、パキンと音を立てて破片が飛び散る。うっすらとではあるが、セラの瞳も赤みが増していた。


「あー、これ弁償だな…… な? 止めとけって」

「う、うッス…… 兄貴、頑張ってくだせぇ」


 流石のダハクも今ので危険を感じ取ったらしい。その後のダハクは素直なもので、先にリオンやエリィらと一緒に宿へ向かうことで話は纏まった。


「これ、セラよ! いい加減に王を放さんか!」

「いーやー! 今夜は私が一緒に寝ぇりゅのー!」

「それはなりません。今日の同室権はエフィルとリオンに決まったではないですか。約束は守りませんと」

「わーん!」

「ああっ、またご主人様の腕があらぬ方向に……! セラさん、自制してください」


 しかしこちらはまだまだ収まりそうにない。この感じ、メルフィーナとの死の鍛錬を思い出すな。主に痛み的な意味で。ふふふ、やばいぞ。頼りになる『胆力』スキル先輩によるポーカーフェイスもそろそろ剥がれそうになっている。


「それじゃケルにい、おやすみ~」

「おやすみ。気をつけて行くんだぞ?」

「あはは…… ケルにいこそ早く脱出してね?」

「努力はしている」


 リオンらは挨拶を済ますと店から出て行った。さて、ここからは俺の正念場か。獣王祭を前に重症で欠場は避けたいものである。


 ―――バキボキバギ!


 ……避けたいものである。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ―――ガウン・大通り


 夜も深い時刻となったが、獣王祭間近のガウンは今だかなりの人々で賑わっている。宿への道のりを先導するエリィに続きながら、トライセンの姫君であるシュトラを護衛するロザリアとフーバーが周囲を警戒していた。このような時間に綺麗所のメイドが4人も揃えば目立つのである。更には黒髪金髪の美少女が2人加わるとなれば効果は何倍にも膨れ上がる。中にはナンパをしようと近寄ろうとする者もいたが、巨漢強面のダハクの姿を見るなり回れ右をするのであった。


「それにしてもご主人様、あんな調子だといつか死んでしまうんじゃないでしょうか?」

「うん? 昔からセラねえとはあんな感じだから大丈夫だと思うよ。えへへ、フーちゃんは心配性だなぁ」

「いや、お嬢…… あれは誰でも心配するって、腕が逆に曲がってたって!」

「怪我した傍から魔法で完治させていましたからね。あれはあれで拷問のようなものだとは思いますが」

「んー……」


 ロザリア達が雑談をしていると、その声で起きてしまったのかシュトラが眠そうに低く声を発した。


「あっ、シュトラ様。申し訳ありません、起こしてしまいましたか。待っていてくださいね。今宿へ向かっていますから」

「宿……? ここは、大通り? うー、近道しましょうよー……」


 早く温かいベッドに入りたいのか、シュトラは近道を提案する。しかし宿への道を知っているエリィにとってもガウンは見知らぬ街なのだ。分かるのは予め調べていた間違えないであろう道のりのみ、近道となる抜け道なんて知る由もない。


「シュトラ様、度々申し訳ないのですが、この大通りに沿った道順しか知らないものでして―――」

「あっち……」


 エリィがロザリアの背中にいるシュトラに謝ろうとすると、眠たげな様子でとある路地の方向を指差した。どうやらそちらへ行けと意思表示しているようである。


「ええっと、シュトラ様?」

「あっちが近道…… 昨日リオンちゃんに街の地図、見せてもらったから……」

「確かに見せたけど…… えっ、もしかして覚えてるの!?」

「んー……」


 旅行前日、リオンはシュトラと共に観光用の、それなりに小路まで記載されたガウンの地図を見ていた。しかし「ここに行こう、あれ食べよう」と言った計画立てを10分ほど歓談しただけだ。この街はガウンの首都だけあってパーズ以上に広大。シュトラの言葉を信じるのならば、その10分の間にその全ての道を覚えたことになる。


「改めて思ったけど、やっぱりシュトラちゃんって天才なんだね……」

「他のご兄弟分の知力がシュトラ様に集中してしまったのでは、なんて噂話も聞いたことありますよ」

「フーバー、滅多な事を言ってはなりませんよ。否定はしませんが。まあ噂話は兎も角、デラミスの巫女と張り合う程ですからね。確かシュトラ様がまだ幼い頃に西大陸の学園に留学した際、通常は5年かかる課程を1年で卒業してしまいましたから。巫女ともその時からの付き合いの筈ですよ」

「飛び級ってやつ? 僕にはとてもじゃないけど無理だなー。でもちょっと行ってみたいかも」


 生前のリオンは病弱だった為に『学校に行く』という行為が満足にできなかった。学園という言葉に憧れを持つのも無理もない。


「そいじゃ、嬢ちゃんを信じて近道するとすっか!」

「眠いー……」


 一同はシュトラの導きに従い、歩を進め始めた。



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 ―――ガウン・宿前


「マジで着いたな」

「本当に直ぐ着いちゃったね」


 大通りよりシュトラの指示で路地を通ること5分、無事宿へ到着。本来は20分はかかるであろう道のりが大幅短縮されてしまった。


「むにゃ……」

「眠ってしまわれましたね」

「なら、早く宿に入ろうぜ。 ―――っと!」


 ―――ドンッ!


 ダハクがリオンらの方を向きながら歩み出すと、その前方で誰かにぶつかってしまった。リオン程の背丈のその者はダハクに押され僅かに後退するも、ゆっくりと体勢を立て直してダハクを睨み付ける。見れば秀麗な顔立ちをした少女で、睨むツリ目もとても可愛らしい。


「……ちょっと、どこを見て歩いているのよ? その無駄に鋭い目は節穴なの?」

「ああん? お前こそどこ見て歩い―――」

「ちょっと、ハクちゃん! 悪いのは僕らの方だよ! えっと、急にごめんなさい!」


 売り言葉に買い言葉で返そうとしたダハクを遮り、リオンが謝罪する。空気を察してか、エリィをはじめとした背後のメイド達も深く頭を下げた。


「ふん、次からは気をつけなさいよ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、炎のように長い赤髪を揺らしながら少女はさっさと路地へと入ってしまい、その姿を消してしまう。


「ったく、あいつ何だったんスかねぇ。失礼な奴もいたもんだ! いくら超絶可愛くても、ああいうのは俺嫌ッスね!」

「ハクちゃん、だから失礼なのはこっちだって。でも、あの子―――」

「何スか?」

「……ううん、何でもない。さ、早く宿へ入ろっか。シュトラちゃんも限界だし」


 皆が宿に入る中で、リオンはもう一度少女が消えた路地の方を振り向く。当然ながら少女はもうそこにはいない。だが、リオンは感じていたのだ。


(あの子、凄く強いな。止めなきゃハクちゃん危なかったかも……)


 ―――圧倒的強者が放つ空気を。

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