第7話 彼の原動力となる言の葉

 木を打ち付ける音が、村に響き渡る。

 誰もがその音を聞いて、また懲りずにやっているのかと呆れる。

 そうしてまた、彼らは作業へ戻る。


 しかし、作業の手を止めて、ズカズカと無造作な足取りで、音が鳴り響く場所へと赴く一つの影があった。


「まだ懲りずやってんのか!」

「ぃだ……ッ!」


 まだ、幼い少年だったクロウの脳天に、拳が振り下ろされた。

 拳が直撃したクロウは、激痛のする頭を抑えてしゃがみ込んだ。

 涙を目尻からポロポロと流し、自分を殴った人物を睨んだ。


「親父、何すんだよ!」

「馬鹿野郎!手前なんざ、冒険者になれねぇんだから家の手伝えをしろ!」

「うるせぇ!俺は冒険者になるんだ!」


 クロウは父親に飛び掛った。

 けれど、彼の渾身の一撃である拳は虚無を殴っただけであった。

 次の瞬間、彼の頭にもう一度拳が振り下ろされて、地面に這いつくばった。

 あまりの激痛に、言葉にならない。

 ただの素手で殴られただけなのに、なぜこんなにも痛いのだろう。

 その疑問は、いつになっても分かることはなかった。


「お姉ちゃんを見習え、馬鹿者」


 地面に伏したクロウの頭上に投げ掛けられた言葉に憤りを感じるが、それ以上に情けない姿を晒したくないという思いが強かった。

 だから、彼は地に伏したまま、父親が遠くへ行くまでずっと動かずにいた。


 そこへ歩いてくる軽い足音が聞こえた。

 彼はその足音だけで、誰がやってくるのか分かった。

 父親では無い。

 それでも、彼は顔を上げられなかった。


「また、怒られたの?」


 心落ち着くような、柔らかい口調が彼に投げ掛けられた。

 その声にクロウは頷いて答えた。


「そっか」

「……うん」


 会話が途切れ、沈黙が流れる。

 風が木々を揺らし、地面に伏したクロウの頭を優しく撫でるように吹いた。


「俺は……冒険者になるんだ」


 沈黙を破って、彼はポツンと呟いた。


「そうだね」

「でも、誰も認めてくれない」

「私は認めてるよ」

「お姉ちゃんだけじゃん」


 声が震える。

 姉に認めてもらえるだけでも嬉しいのに、こんなにも情けない姿を見せてるのが悔しい。

 地面に突っ伏したまま、彼は唇を結んだ。


「それとも、私だけじゃ……不服?」


 クロウは首を横に振って、起き上がる。

 泥と涙で汚れた顔を拭って、クロウは目の前にいる姉を見てもう一度首を横に振る。

 艶のある黒くて長い髪が、風によってゆらゆらと揺れている。

 綺麗な空のような蒼い瞳が、こちらをじっと見詰めていた。


「俺はもっと……強くならなきゃいけないんだ」


 居心地悪げに彼は、顔を俯かせた。

「ねぇ……」と、姉は言った。


「誰の為に強くなるの?何のために強くなるの?何のために冒険者になるの?」

「お、俺は勇者のように誰かを救いたい!英雄のように誰かに頼られたい!」


 知見はないし、見識の狭い彼は声を張り上げた。


「貴方は物語に出るような勇者でもなければ、英雄でもないのよ?」


 わかっている。

 勇者のような力もなければ、英雄のような力もない。

 彼は使命を負った勇者では無い。

 彼は武勲を立てた英雄では無い。

 彼は才能もなく、能力も無い。ただの凡人。


 それは嫌という程、理解できる。

 クロウは俯いて、押し黙った。

「でも」と、姉は言葉を続けた。


「貴方は努力をしている」

「してても、強くならなければ意味が……」

「続ける事に意味があるんだよ」


 姉は泥で服が汚れる事を気にもとめず膝を着き、クロウの頬を両手で包んだ。

 彼女の蒼い瞳が、クロウの瞳を覗き込む。


「良い?貴方は勇者でも英雄でもない。だからこそ、誰よりも自由に外の世界を見れるの」


 彼は吸い込まれるような瞳から目を離せず、黙って彼女の言葉を聞いた。


「冒険者になりたい理由なんて些細なものでいいのよ」


 様々な景色を見たい。

 怪物を討伐して、社会に貢献したい。

 宝物を手に入れて、一攫千金を狙いたい。

 姉は虚空に指で描いて、理由を述べていく。


「なんだっていいのよ。才能がないから、能力がないからと諦めるのはただの『凡人』だよ」


 馬鹿にしている村の人や同年代も、結局自分には無理だからと諦めてるだけ。

 姉はそう、付け足した。


「貴方が決めればいい。やるやらないが全て」

「俺が……決めていい……?」


「うん」と、姉は頷いた。

 彼女は立ち上がり、服に付着した泥を手で払ってから、くるりと回って背中を向けた。


「もし……私が怪物に襲われたら、君が助けてね」


「立派な冒険者になって」彼女は青々とした空を見上げて、細々と呟いた。

 風に流されてしまいそうなほど、細く弱々しい声であった。

 それでも、クロウにとってその言葉は、まるで耳元で囁かれたように大きく聞こえた。

 その時、彼女はどんな顔をしていたのか。

 クロウには分からなかった。


「私は戻るね」


 彼女は振り返ること無く、そのままどこかへ歩いて行った。

 いつまでも彼女の背中を見詰め、その背中が消えたあとも彼はずっと見ていた。


「俺が決めていい……俺が冒険者になる理由も村を飛び出す理由も」


 彼は独りごちた。

 そこには誰もいない。

 周りには誰もいない。

 自分一人。

 ただ自分の言葉が聞こえるだけ。


「姉さんを守れるような戦士。害のある怪物を倒して、殺す為に冒険者になる」


 そのために何ができるか。

 彼は考えず、行動に移した。

 彼は近くに転がった木の枝を持った。

 何度も打ち付けた木を見て、想像を膨らませる。


 見たことがない怪物を投影し、彼は手に持った木の枝で殴った。

 それに何の意味があるのか分からない。

 けれど、やらないよりかはマシだ。

 才能がない。能力がない。だから、努力をする。


 彼は無我夢中に、木の枝を振り回した。

 そしてまた、父親に殴られ、彼の意識は闇に溶け落ちた。




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