第6話 大事にならなくて良かったという話②
「やはり、ゴブリンは雑魚だな」
反吐が出るような醜い戦いを終えたアリスは、長剣を頭蓋に埋めたゴブリンを見下ろした。
アリスはゴブリンの屍を脚で踏み潰して、長剣を頭蓋から引き抜いた。
脳漿がべったりと付着した長剣の刃からは、糸が引いていた。
アリスは気にした風もなく、肘で血を拭い、鞘に叩き込んだ。
そして、倒れ伏したクロウの元に急いで駆け寄った。
「おい!大丈夫か!」
「ぅ……ぐぅ……」
どうやら、まだ息はあるらしい。
その事が知れただけでも、アリスは胸を撫で下ろした。
「エレノア、祈禱を頼む!」
「わ、わかった!」
慌てて、けれど、転ばぬように慎重な足取りでエレノアは駆け寄る。
「う、あぁ……ッ!?」
アリスはクロウの肩に刺さった短剣を、強引に引き抜いた。
クロウの喘ぎを無視し、彼女は雑嚢から一つの瓶を取り出す。
「起こすぞ」
倒れ伏したクロウを無理矢理起こし、下水道の壁を背にして座らせる。
ひしゃげた鉄兜を取り外し、彼の素顔が顕になる。
黒い髪の青年。どこにでも居るような、平凡な青年であった。
幼くもあり、大人びていた。
まさに、年相応の顔立ちをしていた。
鉄兜のおかげか、棍棒で殴られても、ある程度防いでくれたから傷が少ない。
しかし、顔色が真っ青になっていた。
「毒か」
アリスは瓶の栓を開け、クロウに飲ませる。
こくり、こくりと喉を鳴らして、
────これで、ひとまず大丈夫だろう。
恐らく、解毒が間に合わなかったということはあるまい。
少なくとも、処置は済ませたし、助けるのも早かった。
「神殿に放り込むか」
「うん、傷口は治すけど、詳しくは神殿で診てもらおう」
お金掛かるけどね。彼女は苦笑いを浮かべた。
恐らく、今回稼いだ全ての額は神殿への寄進で全てが無くなる。
しかし、仲間を失うこととと比べれば、安いものであった。
「仕方ない」アリスはエレノアの肩に手を置いて呟いた。
「《全てを照らす太陽神よ、彼の者の傷を癒したまえ》」
《
彼女の嘆願を神は聞き届け、奇跡を賜ったのだ。
それによりクロウの傷口が塞がり、血の流れが止んだ。
「よし、見た限り此奴らが原因で良いだろう」
彼の傷が塞がったことを確認したアリスは、周囲に視線を巡らせて呟いた。
「戻る?」
「そうだな。クロウもこんな状態だし」
アリスは頷き、クロウの肩に手を回した。
そして彼を持ち上げて、帰路につく。
街の下にゴブリンがいた事やクロウの負傷具合。
全てにおいて、大事にならなくて良かった。
アリスはそう思う。
彼女達の帰路は、静かで穏やかなものであった。
それが下水道でなければ、きっと良い冒険と言えただろう。
◇
「お、お疲れ様……でした」
顔を顰めて、黒く短髪の受付事務員は労いの言葉を言う。
クロウを神殿に放り込んだ後、冒険者組合にやってきたアリス達を出迎えてくれたのはいつもは無表情の受付事務員である。
そんな彼女ですら、顔をしかめるには理由がある。
「そ、そんなに臭うか?」
「えぇ……それはそれは……もう……」
下水道に倒れたクロウを担ぎ、ゴブリンの返り血を浴びた時は気にとめなかった。
いや、気にする時間がなかった。
しかし、地上に戻ってくればどうだろうか。
道行く人や同業者、そして目の前にいる受付事務員が顔を顰める。
そこまで鈍感では無いアリスは、自分から漂う臭いが原因だと理解出来た。
「報告してから着替えてきていいだろうか?」
「いえ、今すぐ着替えて来てください」
キッパリと断られたアリスは肩を下げ、しょんぼりとして「わかった」と、頷いた。
それだけ
彼女とて女性だ。
臭いは気にするし、見栄えも気にする。
血と汚物で汚れているのでは、見栄えが悪い。
「直ぐに着替えて来よう!そして、報告終えたら水でも浴びて清めよ!」
太陽の如く明るい声が、落ち込むアリスに掛けられる。
聖なる衣も汚物などで、多少なりとも汚れている。
エレノア自身も臭いは気にしているのだろう。
しかし、それを表情に表すこと無く、アリスに明るい声で話すのは彼女の人柄の良さだろう。
「そうだな」と、アリスは頷き、受付を後にした。
思えば、神殿の神官も顔を顰めていた。
────悪いことをした。
アリスは心中で謝罪をし、次に伺う時は何かしらを送るべきか思案を巡らせながら部屋に戻る。
冒険者組合の二階。
受付の真上とでも言うべきか、冒険者の宿泊施設が設けられている。
その一室に二人は向かった。
部屋を借りるにしても金銭的な問題もあるが、何より同性という事もあり、アリスとエレノアは同室であった。
部屋の左右に分かれて、自分の区画を決めて居座る。
右がアリスであり、左がエレノアであった。
右側が綺麗に整頓してあるのに対し、左側は物が散乱していた。
「あはは……」
エレノアは照れくさそうに、後頭部を搔いた。
時々彼女が神官なのか、怪しくなる時がある。
「手伝うよ」
「ありがとう!」
エレノアは両手を合わせて、アリスに笑顔を向けた。
明るい笑顔は、沈んだ心を持ち上げてくれる。
アリスは彼女を仲間に引き入れて良かったと思う。
とはいえ、だ。まずはやるべきことをしようと、アリスはエレノアに告げた。
「そうだね!着替えなきゃ……」
アリスは腰に下げた鉄兜を机に置き、革鎧を脱いだ。
革鎧に顔を近付けると、吐き気を催すような悪臭が鼻をつき、直ぐに顔を離した。
なるほど。確かにこの臭いなら、皆同じ表情をするのも納得だ。
どうやら、革鎧の下に着ていた服にも臭いが付着しているようだ。
つまるところ、全て洗わなければならない。
「はぁ……」
考えただけでも、嫌になってくる。
アリスは極力考えないようにしながら、服を脱ぎ捨て、棚から平服を取り出して頭から被った。
上着とスカートが組み合わさった服で、何処かの貴族令嬢を彷彿とさせる。
腰のところにある紐を縛り、豊満な胸部で膨らんだ丈を整える。
「いつ見ても、アリスって綺麗だよね」
アリスは「そうか?」と、視線だけエレノアへ向ける。
そこには聖なる衣ではなく、質素な麻の服を纏っているエレノアの姿があった。
華奢な身体の彼女が着る服は、農村から出た村娘のような衣装であった。
「そうだよ。私と比べると……いや、比べられないくらい」
「何処かの御令嬢さんだったりする?」と、エレノアは言葉を付け足した。
アリスは押し黙った。面と向かって、そう言われると、なんて返答して良いのか困る。
────小貴族とはいえ、一応貴族だけど気を遣わせるのもなぁ…………。
アリスは考えをまとめて、首を横に振って否定する。
「令嬢なんて、そんな大それたものでは無いよ。私は平民だし、エレノアと変わらない」
「そうは言っても、綺麗だし……」
「エレノアも綺麗さ」
アリスはエレノアに近寄り、茶色い
そして頭に生える耳を触った。
「ふにゃ!?」
エレノアはビクッと身体を跳ねらせて、後退する。
エレノアの顔が赤く染まり、今にも頭から湯気がでそうな程であった。
逃がすまいと、アリスはエレノアに近寄る。
「わ、にゃあ!」
散乱した足場に置いてある物に脚を取られ、寝台に倒れた。
その上にアリスが乗った。
まるで、押し倒したかのような形であった。
白く長い髪が、エレノア横顔に掛かる。
「し、心臓に悪いよぉ……」
細々とした声で、顔を真っ赤に染めたエレノアは呟いた。
「ふ」と、アリスは笑みを浮かべた。
「すまない。意地悪だったな」
アリスは身体を起こして、エレノアから離れた。
「さて」アリスは白い髪を一本に束ねた。「報告しに向かうか」
「もう……お嫁に行けないよぉ……」
彼女は顔を手で覆って、赤面した顔を隠すのであった。
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