第5話 大事にならなくて良かったという話 ①

「今、私は自分の目を疑っているのだが……」


 下水道の一本道。

 ただの直線ではなく、曲がった一本道である。

 その曲がり角から、その先を覗くアリスは呟いた。


「ほんとに街の真下なの?」


 疑問を代弁して、エレノアが問うた。

 彼女達が疑いたくなるのも無理は無い。

 角の先にはゴブリンが五匹おり、腐敗した肉塊を汚水へ投げ入れられていた。

 到底その肉塊が、元は何であったのか知る由もない。

 少なくとも、人では無いことだけは理解出来た。


 恐らく異臭の原因は、この腐敗した肉塊によるものだと言うこと。

 そしてそれを流すゴブリンが根源であるということ。

 しかしゴブリン共は、どのようにして下水道に迷い込んだのか、検討もつかなかった。


「よし、作戦を立てよう」


 角から屈んで様子を伺っていたアリスは、立ち上がって仲間に伝える。


「見た限り、五匹のゴブリンしかいない」

「突っ込むか?」

「え……」


 クロウの出した案に「嘘でしょ?」と、エレノアは怪訝な視線を向ける。

 そんな視線を気にした風もなく、クロウは腕を組む。


「無策に突っ込んでは、此方が不利になる」

「なら、どうするんだ?」


 アリスは胸の下で腕を組んで唸る。

 豊満な胸部が押し上げられ、革鎧に身を包んでいたとしても分かるほどであった。

 クロウは鉄兜の下でチラッと視線を向けたのち、直ぐに視線を外した。


「こういう時に遠距離を得意とする魔法使いか、弓手が欲しいんだ」


 アリスは溜め込んだものを吐き出すように呟いた。


「ごめんね?私……の奇跡が攻撃系じゃなくて」

「いや、気にしないでくれ。怪我をした時は頼りにしているからさ」

「うん……ありがとう」


 エレノアは錫杖を握って、こくんと頷いた。

 自分の手を服で拭って、アリスはエレノアの頭を撫でて慰める。

 彼女は気持ちよさそうに目を細め、喉をゴロゴロと鳴らす。


「あるものでやるしかない」

「うむ」

「私なりに作戦を考えてみたんだが……」

「あぁ……」

「やはり、突っ込むしかないと思うんだ」

「そうだな」


「にゃ!?」極楽から地獄へ落ちたように、エレノアが驚愕する。「不利になるって言ったじゃん」


「か、考えた結果だ」


 エレノアに痛いところを突かれ、誤魔化すようにアリスは見栄を張る。

 しかし、その声は弱々しい口調であった。

 結局のところ、良い案が思い付かなかっただけである。


「脳筋なんだから……」


 呆れた様子でやれやれと、エレノアは首を左右に振った。

 仕方ない、と。結局許してしまうのだから。

「甘いなぁ」と、エレノアはボソッと呟いた。


「でも、ちゃんと護ってね!」

「もちろんだ」


 前衛を任せられるほど、彼女は頼もしい存在なのは間違いなかった。




 ◇




「行くぞ!」


 アリスの掛け声と共に、冒険者一行は角から飛び出した。

 アリスが先陣を切って、前に出る。

 その後ろをクロウが走り、更にその後ろをエレノアが走った。

 怪物を殺し、宝物────あるか分からないけれど────を奪う。

 殲滅ハックアンド略奪スラッシュである。


「GYA!?」


 突如として現れた冒険者に、ゴブリン共は驚愕する。

 作業していた手を止め、硬直する。

 不意を突かれた。

 逃げた鼠を追って、間抜けなゴブリンが一匹、殺された事など知る由もない。


 そのため、一番手前にいるゴブリンが長剣による鋭い一突きに、眼窩がんかを貫かれて死んだ。

 眼窩から脳を貫かれたゴブリンは、ビクビクと痙攣し、身体が弛緩して倒れる。

 それを蹴り倒しながら、アリスは長剣を引き抜いた。


「次!」


 凛とした掛け声に、四匹のゴブリンは我に返った。

 仲間が殺された憎悪を膨らませ、声にならない悲鳴を上げて押し寄せる。

 ゴブリンは四匹に対し、アリス達は三人。

 数では圧倒的不利である。


 アリスの横をすり抜けて、前に出たのはクロウであった。

 彼女の影からぬっと現れたその冒険者に、ゴブリンは驚いた。

 しかしけれど、走った勢いを直ぐに止められる訳がない。

 振り下ろされた手斧を頭蓋に埋め、ゴブリンは死んだ。

 今度も上手くいった。上手く殺せた。

 自信が溢れてくる。


「む……?」


 ゴブリンの頭蓋に埋まった手斧が思った以上に深く刺さり、抜けない。

 手斧の持ち手が返り血によって滑る。


「GBROOO!!」


 例え同胞を失ったとはいえ、それだけで連中の動きを止めることは出来ない。

 手斧が抜けずにいるクロウに、一匹のゴブリンが飛びかかる。


「ぐ……ぁ……ッ!」


 ゴブリンの手に持った粗末な短剣が、クロウの左肩に突き刺さった。

 革鎧で身を包んでいるとはいえ、その下はただの服だ。

 楔帷子を纏っているのならばともかく、そうでないならば結局のところ、装甲は革鎧だけである。

 しかし刺された場所は不運にも、鎧のつなぎ目。

 緩んだ左手から松明が落ちる。


「クロウ……ッ!?」


 悲鳴に近い声を、アリスははりあげた。

 しかし、アリスの方にもゴブリンは押し寄せていた。


 ────助けないと!


 仲間が死んでしまう。

 頭の中を巡る不安が、彼女の動きを鈍らせた。


「アリス、前……ッ!」

「……っ!」


 間近に迫ったゴブリンの一撃を、アリスは許してしまった。

 距離を見誤ったゴブリンの短剣が、アリスの膝当てに衝突するだけに留まったのは、幸運と言えよう。

 そして直ぐに反応できたのは、エレノアの呼び声があったおかげだろう。


「邪魔、だ……ッ!」


 アリスがゴブリンの股ぐらを蹴り上げる。

 蹴り上げた足先に、何かが潰れる嫌な感覚が襲う。

 崩れ落ちた所に長剣を突き刺さして終わった。


 それっきりそのゴブリンから視線を外し、アリスはクロウへ向けた。

 先程まで立っていた彼は、ゴブリン二匹に押し倒されていた。


 ゴブリンを始末している間に、一体何があったのか。

 それを理解する前に、彼女は走り出していた。

 仲間を失うのは頭目として、決してあってはならなかった。

 彼女が冒険者になって、最初の仲間を得た時にそう心に誓ったもの。


「私の、仲間に、手を、出すなぁ……ッ!!」


 渾身の一撃とも言える横薙ぎは、弄んでいたゴブリンを一撃で屠った。

 首が切断され、血飛沫を上げて崩れ落ちた。

 彼女の長剣ロングソードは業物では無い。

 けれど、父からの贈り物であり、相棒である。

 故に致命的一撃クリティカル・ヒットは、彼女の技量と幸運によるものであった。


 だがしかし、屠ったのは一匹のみ。

 クロウに短剣を突き刺したゴブリンだ。

 つまり、もう一匹のゴブリンは生きていた。


 ゴブリンどもに仲間意識があるのか分からないが、顔を険しくさせて、憎悪を剥き出しにする。

 孕み袋にするなどとは、考えていないのだろう。

 ただ殺す。残虐に。非道に。残酷に。


「GYAAAA!!」


 爛々と燃える黄色の瞳をアリスに向け、威嚇するように声を上げた。

 ゴブリンは怒りを表すようにクロウの鉄兜を蹴り、アリスへ向かった。

 しかし彼の棍棒が届く前に、頭蓋に長剣を埋めて崩れ落ちた。

 それで戦闘は終わりだった。

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