第4話 下水道の調査
近頃、下水道から異臭が漂っているという。
鼻をつんざく程の異臭が、近隣住民を不快な思いにさせているらしい。
原因は不明。
我慢の限界に達した近隣住民は、皆で依頼金を集めて冒険者組合に依頼を提出した。
異臭の原因を調査して欲しいという依頼。
しかし何時になっても、この依頼書だけが掲示板の片隅で密かに貼られたままであった。
この依頼が残り続ける理由は幾つかある。
熟練冒険者はもちろんのこと、中堅どころも引き受けたがらない。
両者とももっと危険で、心躍る冒険を望み、そちらへ赴くからだ。
あとは金だ。
そして最もの理由として、新米冒険者が行きたがらないからである。
下水道と聞いただけで不穏な顔をし、首を横に振る。
汚れる、不衛生、臭いが嫌だ、エトセトラ。
嫌がる理由は数多くある────が、キリがないので全てを語る必要はあるまい。
このように身なりを気にし、赴かない事が多い。
冒険者組合側も冒険者に強制は出来ない。
あくまで個人が仕事を自由に選んで受けるのであって、組合が何かを言える立場では無いのだ。
組合は依頼を冒険者に斡旋するのであって、結局のところその依頼を受ける受けないの選択は、彼ら冒険者に委ねられている。
依頼人に催促されるも、何も言えない状態が続き、組合側も頭を悩ませていたと聞く。
そこに一筋の光が射し込むように、アリス達がこの依頼を引き受けた事が悩みの解決に至ったらしい。
「まぁ……気持ちはわからなくもないな……」
仄暗い下水道の中で、平坦な声が響いた。
汚水が溝を流れている。
下水道の気分が悪くなる悪臭は、鼻栓をしたとしても無意味だろう。
溝より数段高くなっている足場はぬめり、滑り易い。
そんな中、各々の装備を身に付けた三人組が進んでいた。
冒険者である。
声の主は先頭を歩き、警戒する騎士風の娘、アリスである。
革鎧に身を包み、組合では装備していなかった鉄兜を被っている。
腰には長剣を吊るし、左腕には
文字通り、完全装備である。
「……それはどっちの?」
応じたのはいつもの軽快な声は何処へやら、籠った声であった。
隊列の一番後方にいる────聖職者の白い衣に身を包む、猫人のエレノアである。
エレノアは猫のように尖った鼻に栓をして、口から鼻まで布で覆っていた。
「どちらも……だ」
アリスは淡々とした口調で返した。
なにせ、外まで漂う異臭となれば誰も行きたがる訳が無い。
「では、何故受けたんだ?」
隊列の真ん中にいる外套を羽織った戦士。
松明を掲げながら、クロウは先頭を歩くアリスの背中に問うた。
「そんなの決まっているだろう?」
アリスは立ち止まり、振り返った。
「騎士道と言うやつさ」
鉄兜で顔を覆ってなければ、きっと彼女は口端を吊り上げて笑ったに違いない。
その言葉の意味をクロウは理解出来なかった。
それ故に「そうか」と、返した言葉は、酷く淡々としたものであった。
それよりもクロウは、目先のことの方が気になった。
先は闇が広がっており、何があるのかさっぱり分からない。
松明の灯りは乏しく、これほどまでしか照らさないのかと実感する。
そしてなにより下水道の変わらぬ風景は、まるで迷路のようで、先程通った場所なのではないかと錯覚させられる。
それに加え鼻を刺激する悪臭、不衛生極まりないその臭いが集中力を減少させている。
昼に胃の中に収めた食事が、込み上げてきそうだ。
────これなら摂るべきでは無かった。
クロウは心中そう思う。
苦い液体が口の中に溢れる。
思わず息を止めて、限界に達してから再び吸ってを繰り返す。
それで臭いがマシになれば良いのだが、そんな都合のいい話はない。
「呼吸を意識しろ」
「時期に慣れる」それを見兼ねたアリスは付け足して言う。
彼女の言うことは、まるで熟練冒険者のようだ。
経験の差というものだろうか?
クロウは言われた通り、意識して呼吸をする。
すると、どうだろうか。
鼻を突く臭いが多少軽減されたでは無いか。
「何でも知ってるんだな」
「そうなんだよ!アリスは物知りなの!凄いよね!」
感心するように呟いたクロウに便乗し、後方からエレノアの軽快な声が響いた。
「物知りじゃないさ」
「ただ……」アリスは懐かしむように、柔らかい口調で言う。「父から教わっただけだ」
なるほど、どうやら先人の知恵を受けていたようだ。
教わった事が身に付いているというのは、それだけ研鑽を行ってきた証拠だろう。
クロウは素直に感心する。
自分が知らない世界が広がっている。
これも冒険だろうと、クロウは思う。
「とはいえ、冒険者になってから日は浅いがな」
アリスは自嘲するように呟いた。
「待って……何か、聞こえる」
エレノアは耳を揺らし、いつもの軽快な声とは裏腹に、緊張を多分に含んだ声色であった。
それを聞いたアリスは、腰に吊るした長剣を鞘から引き抜く。
「武器を握っておけ」
「何故だ?」
「……一応だ」
彼女自身半信半疑の様子であった。
腰に吊るす真新しい────当然だ────手斧を言われた通り手に握る。
「む……」
クロウは低く唸る。
彼は左手に松明を握った状態なのだ。
その状態から手斧を持つとなると、両手が塞がってしまう。
────
燈會は腰に吊るすだけで良いのだ。
恐らくきっと、そちらの方が手が空くだろう。
とはいえ、そんなお金を今は持ち合わせていない。
気付きが多いことは良い事だと、クロウは思う。
試行錯誤し、最適に動けるように工夫が出来る。
「むッ!来るぞ!」
思考に深けていたクロウは、アリスの緊張した声で我に返る。
その声と数分遅れてドタドタと地を這う音が響いた。
仄暗い闇の中から、飛び出したのは巨大な鼠であった。
突進する勢いで────まさにその通りだ────巨大な鼠が一直線に向かってきた。
「ぬぅ……ッ!」
それを迎え撃ったのは、アリスであった。
突進の衝撃が全身に伝わったのが見て取れた。
アリスも踏ん張って耐えているが、果たしていつまで保つか。
その影に隠れていたのか、或いは鼠の上に元からいたのか子供のような影が飛び出した。
「GYAAAAAAA!!」
「ゴブリン!?」
その姿を認めたアリスは驚愕し、声をはりあげた。
粗末な剣を握って、下卑た笑みを浮かべるゴブリンは鼠の背中から飛び出し、アリスに襲いかかった。
「アリス……ッ!」
後方で錫杖を両手で握ったエレノアは、悲鳴のような声をはりあげた。
果たして、ゴブリンの剣はアリスに届かなかった。
クロウが突き出した松明が、ゴブリンの顔面を焼く。
濁った悲鳴。肉が焼ける嫌な臭い。
ゴブリンは仰け反って、鼠の背中に落ちた。
しかし、ゴブリンを襲った不運は、それだけに留まらない。
反乱狂になったゴブリンは、不安定な背中から転げ落ちた。
仮にそれがぬめる足場ならまだしも、ゴブリンが落ちたのは汚水だった。
泳ぎを知らないゴブリンは無謀に暴れ、身体がどんどん沈む。
汚水に流され、次第にゴブリンの濁った悲鳴は聞こえなくなった。
「ふん」
すかさずクロウは、巨大な鼠の横へ行き、薪を鉈で割るように手斧を叩きつけた。
悲鳴と同時に、血飛沫が舞う。
頭蓋に手斧を埋め、鼠は目を反転させてその場に倒れた。
ビクビクと痙攣する鼠の頭部から流れ落ちる黒ずんだ液体が、足場にじわじわと広がる。
「大丈夫か?」
靴が濡れる事を気にした風もなく、クロウは仲間であるアリスに無事を聞いた。
「あ、あぁ……」アリスは息を吐き出す。「大丈夫だ」
「二人とも、怪我は無い?」
ととと、と駆け寄ってきたエレノアは、心配そうな表情を浮かべながら、二人の仲間を見る。
そう問われた二人は、身体を検め怪我を確認する。
「ない」
「大丈夫、すまんな」
短い返事を返すクロウとは違い、アリスは心配掛けたことを謝罪する。
アリスは視線を巡らせ、屍と成り果てた鼠を見る。
「しかし……なぜ、こんなところにゴブリンが?」
「街の真下だよね?」
アリスはこくりと頷いた。
生活している真下に、怪物が潜んでいるなど考えたくもない。
ましてはそれが、悪意の根源たる怪物であるならば尚更だ。
「進むしかあるまい」
アリスはそう結論付けた。
この先何があるのか、この先に何が待ち受けているのか。
進んだ者にしか分からない。
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