二十七話 ほんの少し

 翌日、出水家へ行くと、爽玖と千夏が目を覚ましたという報告が入った。


「爽玖!」


 飛希が勢いよく襖を開いた。爽玖は驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になる。


「飛希! 望緒!」


「おはよう、もう平気なの?」


「ああ、身体中痛えけどな」


 そう言った彼は、いつもと何ら変わらない屈託のない笑みを浮かべていた。


「碧仁さんは……?」


「まだ目、覚めとらんらしい。でも怪我はだいぶ良くなったって」


「そっか……」


 望緒はいいとは言えない返答に、暗い顔で下を向いた。


 そんな話をしていると、廊下からバタバタという足音が聞こえてきた。足音はこちらへ近づき、襖が勢いよく開かれた。


「わっ、どうしたん!」


 襖を開けたのは、一人の男性であった。恐らく、使用人だろう。


「あ、碧仁様がお目覚めに……!」


「!」


 報告を聞くなり、爽玖は布団から飛び出した。まだおぼつかない足取りで、碧仁が眠っているであろう部屋へ駆けていく。


 望緒たちは一瞬何が起きたのかわからず固まってしまっていたが、ハッとして爽玖を追いかけた。

 途中何回か倒れそうになったりする爽玖を支え、部屋まで送り届ける。


 部屋の前まで来ると、同じようになりながら千夏も来ていた。


 二人は顔を見合わせるが、何も言わない。ただ、同時に襖に手をかけ、開いた。


 部屋にいたのは、目覚めた碧仁と、彼に抱きつく爽玖たちの母親。二人は驚いた顔で爽玖たちの方を見た。


 それまで強ばっていた爽玖と千夏の顔が、ほころんでいく。目にいっぱいの涙を溜め、走って碧仁に抱きついた。


 碧仁はうっすら涙を浮かべ、爽玖と千夏はボロボロと声をあげて泣き出した。


「……」


 望緒は黙ってそれを見ている。彼が起きて、二人に良かったねと思いつつ、しかし、同時にそれが羨ましいとも思った。


 彼女は、どっちの立場にもなってみたかった。意識が回復して家族に喜ばれることも、家族が目覚めて喜ぶのも、どっちも羨ましかった。


 ––––不謹慎。こんなこと考えたらダメ。


 そう思うが、どうしても羨ましいという意識が頭の中にチラつく。


 次第に見ていられなくなり、彼女は下を向いてしまった。飛希や徳彦は彼女より前に出ていたので気づかなかったが、望緒のすぐ後ろに立っていた真澄は、それに気づいた。


 優しく望緒の頭に白い手を置き、髪が崩れないよう、流れに沿って撫でた。その手は温かい。


 思わず泣きそうになるのをグッと堪える。今、自分は泣くべきではない、泣いていいわけないと思ったから。


 望緒の顔が上がることはなかったが、真澄はそれでも頭を撫で続けてくれた。



「では、僕らはもう石火矢に戻ります」


 荷物をまとめ、鳥居の前に立つ。風宮からの返事が未だ無いため、一度帰ることになったのだ。


「苦労をかけたな」


「いえ、それが僕らの仕事ですので」


 徳彦が笑うと、出水家の当主も軽く微笑んだ。彼もまた、怪我を負っているため、身体中包帯だらけだった。


「またね、爽玖」


「またな。望緒も」


「うん。千夏もまたね」


 望緒が千夏に挨拶をすると、彼女は寂しそうな表情で笑った。


「次は、私がそっちに遊びに行くから」


 彼女が言うと、望緒は満面の笑みで返す。


「つっても、こっちも忙しいからあんま行けやんやろうけどな」


「余計なこと言わんでええやん」


 千夏がムスッとした顔で言うと、爽玖はケラケラと笑った。膨らんだ頬が更に大きくなる。それを見た皆は、爽玖と同じように笑った。


 転移のため、徳彦に三人がくっつく。最後にもう一度、大きく手を振り、四人は出水の地からいなくなった。


「……友達増えて良かったな」


「うん」


 そう言って笑う二人の背中は、やはりどこか寂しそうだった。



 石火矢の地に着くと、石火矢の当主や使用人たちが笑顔で出迎えてくれた。


 使用人たちには向こうで起きたことを聞かれたが、不安を掻き立てるようなことは言わないでおいた。

 ただし、徳彦は当主に別室で出水で起きたことを話した。


「大変だったな」


 その日の夜、望緒は部屋で布団の用意をしている最中、ポツリと呟いた。


 ––––八下にも、伝えておかないとな。


 そう思いながら、彼女は布団に入ってゆっくりと目を閉じた。



「ん〜……」


 彼女は涼しい何かが肌を撫でるのを感じ、目を覚ました。目の前に広がっていたのは、満天の星。向こうの空間では山でしか見られないような、美しい天の川が見える。


「……え、どこ?」


 上半身を起こして辺りを見渡す。望緒が寝ていた場所は、どうやら草原だった。終わりの見えない草原が、ずっと続いている。


「起きたか?」


 ボケっと辺りを見ていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。聞こえてきた方向を見ると、そこにいたのは八下だった。


「あれ、八下? いつもの白い空間は?」


「いつもあれだと飽きるだろ? たまにはこういうのもいいかと思ってさ」


 話を聞いたところ、精神世界の景色は基本真っ白で何も無い空間。だが、本人の気分次第でいくらでも変えることができるらしい。


「どういう仕様……」


 呆れ交じりにため息をつくと、八下はそんなこと気にせず歯を見せて笑った。


「でも、なんで夜なの?」


「星が好きだからだよ」


「ふーん?」


 夜空を眺める彼の端正な横顔は、どこか寂しそうに見えた。彼の瞳に天の川が映り込む。


「望緒は嫌いか? 星空」


「んー、別に好きでも嫌いでもないかな。そもそも、向こうじゃ対して星なんて見えなかったし」


 望緒がいた空間では、街灯の灯りで星の光はかき消されていた。


 都会とも田舎とも言いづらい場所に住んでいたが、それでも見えるのは三、四等星ぐらいまでだったのではないだろうか。


「なんか勿体ないなあ」


「そう? 別に見たところで何も変わんないよ」


 望緒がサラッと冷たい言葉を放つと、八下はムスッとした表情になった。


 ––––やば、良くないこと言っちゃったかも。


「ごめん、なこと言った」


 申し訳なさそうに謝ると、八下はぷっと吹き出し、大きな口を開けて笑いだした。


「な、なんで笑うの!?」


「いや、ごめんごめん。思ったより申し訳なさそうにするからさ。別に怒ってないよ。––––しんどいとさ、景色なんて見てる余裕ないよな」


「……」


 彼の言う通りだった。望緒は家に居場所なんてなかった。夜は家族の楽しそうな笑い声を聞かないように、すぐに布団にくるまって寝ていた。星なんて見ている時間も余裕もなかった。


「お前はどの星が好きとかあるか?」


「……ないよ、よくわかんないし」


「俺はあれが好き」


 そう言って彼が指さしたのは、北斗七星だった。おおぐま座の一部であり、北極星より少し上の位置にある。


「なんであれ?」


「何となく?」


 なぜ疑問形なのだと思いながらも、望緒はその星を眺めた。が、彼女には良さがわからなかった。


 ––––綺麗さで言ったら、天の川こっちの方が上な気がするんだけどな。


 しかし、八下にはそんなこと関係ないのだろう。ただ、微笑みながらその星を眺めていた。


「……あ、そうだ。出水であったこと、話したいんだけど」


「ああ、どうだった?」


 彼の表情は、一気に真剣なものへと変わった。望緒はそれを見て少し緊張したが、出水で起こったことを、ありのまま話した。


「––––なるほど。ありがとな、“念”を倒してくれて」


「別に、私は何もしてないし、できなかったよ」


 本当は、飛希たちのことを少しでも手伝いたいと思っていた。しかし、自分は何もできない。足でまといになることはわかっている。


「ま、そりゃお前は四家じゃないからなあ。でも、闇戸と出水の仲を取り持ってくれたんだろ? 十分だよ」


「……ありがとう」


 言われ、少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

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