二十六話 今なお諦めることなく

「俺、お前のこと大っ嫌いやもん」


 言うと、千夏から動揺の色が見られた。ナニカはそれを見て、ニイと笑う。


 ––––ああ、やっぱ人間って単純。慕っている奴の姿でちょっと心揺らぐこと言えば、簡単に壊れてくれるんだから。


 あと一歩、何かを言ってやろうと口を開いたその瞬間、ナニカの視界は反転した。


「……は?」


 何が起こったかわからず、声が出る。が、すぐさま自分の首と胴が切り離されたことに気がついた。


 血は流れない。それが、ナニカが人間ではないことを明確に示している。


「アホくさいわ」


 千夏は普段では考えられぬ低さの声で、そう呟いた。ナニカを見下す目は、氷のように冷たく、ナニカは思わずたじろいだ。


「お兄ちゃんは、“弱い”とか言ったりするけど、間違えても“嫌い”なんて言わへんねん」


 冷たく言い放つ。普段から接している兄妹だからこそ、相手のこともよく理解している。

 使う言葉、些細な仕草、癖。全てを理解している。


「オレの解像度が悪かったって言いたいわけ!?」


「そうやよ、そう。それ以外に何があんの」


 言われ、ナニカは悔しそうに歯ぎしりをした。


「一生過去ゆめだけ見てたら、何も考えずに済むんだよ!? それなのになんで!」


「うん、確かに、昔に戻りたいって思うことはあるけど……」


「だったら……!」


「でも、なんだかんだ言って、私は今のお兄ちゃんも好きなん。口滑って余計なこと言うし、うるさいし。でも、いつも私のこと思ってくれとる。そういうとこが大好き」


 言い終えた彼女の顔は、穏やかで、嬉しそうで、それでいて少し照れくさそうだった。本人に言ったら、どれだけ喜ぶことだろう。


「ふざっけんなよ!」


「それはこっちのセリフや。二度とこの世に現れんといて」


 千夏はそう言って手をかざす。手のひらから徐々に水が出てくる。


「ま、待っ––––」


 ナニカが言い終えるより先に、彼女は水の刃で胴の心臓辺りを切り裂いた。その部分からヒビ割れ、ナニカは消えていった。


「……はよ戻らな」



『!?』


 “念”は後ろに飛び跳ねたあと、またも違和感を感じた。


 ––––どういうことだ。まさか、失敗した? この私が……!?


 悔しそうに自分の腹の方を見つめる。想定外の出来事に、動揺を隠しきれない。


 ––––いや、落ち着け。そもそも、失敗したところで私が倒されなければ出てこられない。そうだ。こいつらをさっさと殺してしまえばいい。


 しかし、依然身体は動かない。前肢を前に出そうとしても、身体が硬直して進まない。


 爽玖が血に染まる視界の中、空にいる闇戸を見上げた。未だに雨を降らせ続けている。


「何考えとんねん……」


 自分たちはもう動けないというのに、なぜ今も出水に優位な状況を作るのか。爽玖はそれがわからなかった。


 彼の心は既に諦める方を向いている。身体が重くて持ち上がらない。全身が痛い。


 ––––結局、なんの役にも立たん。最低やな……。


 自分が闇戸に協力してほしいと頼んだのに、結局何もできなかった。倒すことは叶わなかった。

 きっと、闇戸も失望していることだろう、そう思う。


「あれ、でも……」


 爽玖はふとここに来る前、闇戸が言っていた言葉を思い出す。


『我はまたここに戻ってくることになる』


 闇戸はまだ戻っていない。あの性格だ、本当に呆れたならば、有無を言わさず帰るだろう。だが、いる。これはつまり––––


「はは、鬼かよ」


 爽玖は鉛のように重たい身体を持ち上げる。上半身を起こすだけで精一杯だが、そんなことを言っている暇などない。片膝をつき、立ち上がった。


『……まだ立つというのか』


「当たり前やん。妹を……家族を助けなあかんねん」


 彼の瞳は曇ってなどいない。まるで太陽が燦々さんさんと照っている空のような瞳であった。


 闇戸はそれを見て目を細める。


 ––––でも、こっからどうすっかな。千夏の霊力が微かに感じる。体内なかで何かあったことは明白。


 それに、先程から“念”は一歩も動いていない。爽玖はそれをと判断した。


 ならば、自分ができる範囲でやることはただ一つ。


「『水格子』」


 唱えると、地面から棒状の水がいくつも生えてくる。それは次第に繋がっていき、檻の形を造った。


 爽玖は上を見上げ、闇戸と目を合わせる。


 ––––もう、ええぞ。


 闇戸は目を伏せ、天を仰ぐ。すると、雨は止み、雨雲もまたどこかへ消えた。青空が顔を見せる。


 爽玖はまた、別の者に視線を向ける。彼の視界の先は、飛希と徳彦。彼らは爽玖が言わんとしていることを察し、遠方から炎を生成する。


 徳彦の炎は“念”の周りに、飛希は炎の矢を矧ぐ。飛希が矢を放つと、徳彦は矢が“念”に当たる直前に、一気に炎を解き放った。


 それらは全て“念”に当たり、全身が炎に包まれた。叫び声が聞こえる。


『おのれええぇぇ!』


 悔しさと憎しみに満ちた声だった。しかし、そんなもの、爽玖たちにとってはどうでもいいものであった。


 “念”の身体は、炎と共にサラサラと消えていった。

 消えると同時に、千夏が現れ、フラッと倒れる。爽玖は大慌てでそれを受け止めた。


「千夏……!」


「……お兄、ちゃん?」


 千夏は微かに目を開け、か細い声でそう呟いた。


「二人はそこで千夏ちゃんたちを見てて。僕は二人を連れていくから。すぐ戻る」


 徳彦は碧仁を抱えながら出水の当主に手をかざし、瞬間移動をした。行先は恐らく、出水の神社であろう。


「二人とも……!」


 飛希は爽玖と千夏に駆け寄り、爽玖の背中を支えた。彼は全身血だらけで、見ているだけで痛々しい。


「ごめんな、千夏。俺、兄ちゃん失格やな」


 暗い表情で小さく言う。しばらく沈黙が続くなか、千夏がそれを切った。


「何言うとん。あんなん、いつものことやんか」


 苦笑を浮かべながら言う彼女は、軽く爽玖の頬を手の甲で叩いた。それをきっかけに、爽玖が今まで堪えていた涙が、一気に溢れ出す。


 ボロボロと大粒の涙が流れ、千夏の頬に落ちる。彼女はその様子を見て、困ったように笑った。


 その後すぐ徳彦が戻り、三人を出水の神社まで連れて行った。爽玖は当たり前に治療室送り。千夏もパッと見の怪我はないが、何があるかわからないため、同じく治療室送りになった。


「当主と碧仁さんも、何とか一命を取り留めたってさ。血だらけだった」


「……うん」


 小さく頷くだけの飛希の顔を覗き見る。彼の顔は、悔しそうな悲しそうな表情だった。

 望緒は心配になると同時に、彼の表情の原因が一つだけ思い浮かんだ。


「––––何もできなかったから悔しい?」


「……うん。もっと、何かしてやれたと思うんだ」


「でも、それは闇戸が雨を降らせていたからで、飛希は別に悪くないよ」


 そう言うが、飛希の顔は全く晴れない。


 当たり前だろう。目の前で友人やその家族が血みどろになりながら戦っている中、自分と父は能力も十分に使えず、傍観するしかなかったのだから。


 ずっと下を向いている飛希にどういう言葉をかけたら良いかわからず、望緒は彼の袖をキュッと握ることしかできなかった。


「––––今日はいっぱい寝て、明日さっくんたちに会おう」


 彼女が優しく問いかけると、飛希は黙ったまま頷いた。

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