二十二話 依存
彼はいつものように神社で父や祖父の手伝いをしていた。父である碧仁から、そろそろ休憩を取ろうと言われ、爽玖は休憩がてらおにぎりを食べる。
そんな時、ふと気になった。彼の視線の先にあるのは、闇戸が祀られている祠。
「あそこがどうかしたんか?」
「……」
碧仁に訊ねられても、爽玖は何も言わない。最後の一口を頬張ると、ふらっと立ち上がり、滝の方へと向かった。
滝の所へ来たはいいが、何も変わったことは起きていなかった。しかし、爽玖は黙ったまま、滝の方をじっと見つめる。
「……爽玖?」
様子がおかしいと思い、自身の子供の名前を呼ぶが、応答は無い。
すると、爽玖は少しずつ歩み始める。水の近くまで行くと、今度はしゃがみ込んだ。
「……おる」
「?」
「なんかがおる」
碧仁は爽玖の言っている意味が理解できず、ずっと怪訝そうな表情で見ている。
日々の鍛錬で気がおかしくなったのか、そんな心配が頭をよぎる。だが、そこまで負荷を与えるようなことはしていないはず。
そんなことを考えていると、爽玖は小さな手を水に突っ込んだ。
「––––世のため人のため、我に力を」
爽玖が小さく呟くと、水が大きな音を立てて、宙に舞い上がっていく。それは次第に龍の形をかたどっていった。
日の光が龍を突き抜け、辺りを美しく輝かせる。
しかし、龍が出てきたことに関しては、爽玖本人も驚いていた。
「さ、爽玖、どうやったんや……!?」
「わからへん。なんか、ここが気になって来てみたら、口がかってにうごいたん……」
「勝手にって……」
もう一度、龍の方を見る。
しっかりとした龍の形。どこも崩れておらず、その姿は綺麗であった。
ただ、水の龍は何も話さない。話すことはできないようだ。そんなのは当たり前。全て水で出来ていて、声帯などありはしないのだから。
「きれいやな……! なあ、おれと友だちになろ!」
爽玖は目を輝かせて言った。碧仁は当然、慌てて止める。
「何を考えとんねん!?」
「なんで止めんねん」
「当たり前や。これは龗ノ龍の疑似体やぞ!?」
「なに言うとるん」
彼には龗ノ龍のことも教えたはずなのだが、どうやら本人は何も覚えていないらしい。
「なあ、なろ!」
目を輝かせたまま、まだ誰も守れぬような小さな手を差し伸べた。しかし、水の龍は何も反応しない。
ただじっと、爽玖のことを見つめるだけ。その目はまるで、なぜ友にならなければいけないのだという、疑念を抱いているようだった。
「あれ、なんでなってくれへんの? 友だちなったら楽しいやん。おれ、もっと強くなって、お父さんとお母さんのことも守りたいん。もちろん、おじいちゃんもおばあちゃんも!」
言うと、歯を見せてニッコリ笑った。子ども特有のキラキラした笑顔が眩しい。
水の龍はこれを聞き、ゆっくりと顔を近づける。爽玖が怪我をしないように、ゆっくりと。
龍の口元が爽玖の鼻に触れ、ぴちょんと小さく優しい音を立てた。
自分の鼻に触れられると、爽玖は嬉しそうに笑った。碧仁は息子の規格から外れた行動に、開いた口が塞がらなかった。
「今日からよろしくな!」
爽玖がニッコリ笑うと、龍の表情も僅かに緩む。
龍は爽玖の周りをぐるぐると周り、空へ上がって行った。その際、水滴がいくつも舞い、太陽に照らされた。
完全に爽玖から離れると、龍は頭から姿を消していった。
「……波乱やぞ、これ」
碧仁は目を見開いたまま呟く。しかし、爽玖には彼の言葉の意味がわからず、彼の方を見ながらにっこりと笑うだけだった。
◇
「ってな感じやった」
爽玖の話に、望緒は唖然としていた。彼が凄い人物だと理解してはいたものの、あまりのレベルの違いに、何も言えなかった。
––––最強系主人公じゃん……!
ただ、彼は霊力量が多いというだけで、技量はまだ未熟なので、最強とは呼びがたいが。
「……あれ?」
「? どうしたの?」
「いや……闇戸は人間嫌いなはずなのに、なんでわざわざ疑似体を……?」
『……』
望緒の疑問に、一度闇戸は黙る。そして、ゆっくりと話し始める。
『八下が言ったのだ』
「……また八下?」
望緒は小さく呟くが、闇戸には聞こえていない様子。
『もしも、我の疑似体を従えられる程の霊力の持ち主が現れたのなら、力を貸してやれ、と』
「つまり、貴方の意思で力を貸したわけではないと」
『ああ。まあ、もし今この場に八下がいて、我自身が力を貸せと言ったのなら、貸さんことも––––』
「ねえ、うるさい」
闇戸の話を遮り、望緒は苛立ちを帯びた声で言い放つ。
「何? ずっと八下八下って。闇戸の頭の中には八下しかいないわけ? 現世にいないんなら人間もどうでもいいの? バッカみたい」
『バッ……何なんだ、一体』
「み、望緒? 一回落ち着こ?」
「私は至って冷静です」
言われると、飛希は何も言えなくなった。
大声でもなく、甲高い声でもなく、ただただ落ち着いた声。怒り狂っている時より、こういった時のほうが言い返せない。
闇戸も何も言い返せず、黙りこくっている。静寂の中、滝の音だけが響き渡る。
「……ねえ、昔はそんなんじゃなかったんでしょ? 八下がいたから? 違うよね?」
––––多分、多分だけど、八下の反応的に、昔から今みたいな態度ではなかったはず。なにか理由があるはず。でも、今はいないからと、何もしないのはどうなんだろう。
「依存しないでよ……」
か細い声で言う。言いながら、数ヶ月前までの自分を思い出していた。
親に見てもらおうと必死だった、あの頃を。いくら諦めようと思っても、結局は心のどこかで見てくれるんじゃないかと、そんな淡い期待を抱いてしまっていた自分を。
期待している自分が気持ち悪いと、惨めだとわかっていても、諦めきれなかった。そんな自分が、望緒は未だに嫌いだ。
『––––確かに、千年ほど前はここまで嫌いではなかったな』
「ではなぜ……?」
『八下が、一人の人間によって封じられたからだ』
それを聞き、三人は驚く。神が人間に封じられるなど、今までは考えられなかった。
「なんで? 神が人間にとか、ありえるん?」
「どういうことですか?」
『我の口から言えるのは、ここまでだ。残りは本人に聞くといい』
「本人にって……」
不可能だ、と言いたくなるが、実際できてしまう。望緒は精神世界でも、現実世界でも、八下と話せる。それは、飛希たちには知られていないが。
「それで、人間が嫌いになったん?」
『ああ』
「……」
これには、望緒も何も言えなかった。何を言えばいいのかもわからなかった。
『だが、そうだな』
「?」
『爽玖だったか』
「うん」
『貴様、
「え……」
急な質問に、爽玖は思わず黙ってしまう。だけど、すぐに答えた。
「“大事な”妹だから」
『……そうか。ならば、協力しよう』
「……え!?」
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