十九話 体内
「……っ、やっぱ無理」
千夏は差し出していた右手を引っ込めた。
「お兄ちゃんと仲直りしやな……」
『そうか、それは残念だ』
黒い生き物がそう言った途端、辺りの雰囲気がガラッと変わる。何か、圧を感じる。その場から逃げ出したくなるほどの、強い圧。
『ならば、力ずくで見せるまでさ』
ニヤリと笑い、千夏にジリジリと近づいていく。
「いやや……来やんといて……。お兄ちゃん…………」
◇
「まったくお前は。言うにしてももう少し言い方があるだろう」
「ごめん」
「謝るのは
当主に怒鳴られると、爽玖はバツが悪そうに目を逸らした。いや、もはや顔ごと逸らした。
「爽玖はバカだね。昔もこんなことなかった?」
「え、あったの?」
「うん、爽玖が千夏のことを煽って、それで怒っちゃって。止めるの大変だったよ」
そんなことを言って、飛希は懐かしげに笑った。
「しかし、一体どこに行ったんだろう」
「じきに日も暮れる。探しに行くぞ」
空を見上げると、日が傾き、薄紫色に染まっていた。
このままでは夜になってしまう。そうなる前に、飛希たちはどこかへ行ってしまった千夏を探しに、村へ行った。
女性陣は危険ということで、神社のほうで待ってもらっている。
村へ行ったものの、子どもたちももう帰る時間のため、外に出ている者は少なかった。
「あ、すみません」
碧仁は道を歩いていた女性に話しかけた。
「はい、どうかしましたか?」
「千夏を見かけませんでしたか?」
「千夏様ですか? いえ、見かけてないですね……」
女性に言われると、碧仁はそうですかと力なく答え、礼を言った。
その後も何人かに行方を聞いたが、誰も見かけたと言う者はいなかった。
「村には来ていないのかな」
「まずい、さっきより日も沈んどる。はよ探さな……」
大人たちが焦っている中、一人終始無言な者がいた。爽玖だ。
ずっと下を向いて、暗い表情をしている。
「……爽玖」
「……千夏ってさ、怒ると冷静になろうと一人になるんよ」
「…………この辺りで一人になれる場所は、森か?」
当主が呟くと、皆の視線が村の奥にある森へと移された。その森は木々が生い茂っていて、昼でも薄暗いような場所。
ただ、今は日がほぼ落ちきっているような状態。そんな森は、足元も見えぬほど暗いだろう。
「そんなこと言っとる場合ちゃうな……」
◇
森は予想通り真っ暗で、前も後ろもほとんどわからない。だが、幸いにも今は石火矢がいる。
徳彦に手のひらサイズの炎を出してもらい、辺りを照らしてもらう。
「千夏ー」
全員で呼びかけるが、返事はない。
「もっと奥に言っちゃったのかな……」
それでも何度も呼びかけるが、やはり返答はない。と、そんな時、茂みがガサガサと言う音を立てた。
その方へ炎を向けると、そこには狼のような生き物がいた。しかし、ただの狼ではなく、どこか異様な雰囲気を纏っていた。
「……“念”か」
「今は相手してる暇はない。でも……」
村人に被害が行ってしまうかもしれない。そう思ったら、素通りもできない。
何もできないでいると、爽玖が少し前に出てきて、ゆっくりと口を開いた。
「……なあ、お前の
彼の発言に、誰しもが驚いた。
「まさか、誰かが喰われたとでも……!?」
「……喰う、とはまたなんかちゃうよな。お前、何したん?」
爽玖が睨みつけても、狼の“念”は何もしないし何も言わない。ただ、互いに睨み合うだけ。
『……ふっ、あはははは!』
突然、“念”が大きな口を開けて、声高らかに笑い始めた。
『ふむ、まさか気づかれるとはな』
「……!」
『そうだ、私の中にはたしかに人間がいる。それも、
「……はあ?」
“念”の言葉に、爽玖は怒りの表情を見せた。しかし、それは爽玖だけではない。この場にいる出水の人間全員である。
「ならば、今ここでどうにかせねばな」
『良い、存分にやろう。そして貴様らにも私の養分となってもらおうか』
まず、先陣を切ったのは出水家当主。“念”の周りに
しかし、“念”はそれを軽々と避け、後ろ脚に力を込め、一瞬で当主との間合いを詰めた。彼はそれをすんでのところで避け、爽玖と目を合わせる。
「龗ノ龍……」
爽玖が呟くと、水が現れ始める。龍が形成されるまでの数瞬の間、碧仁と徳彦がそれぞれの能力の球のようなものを“念”にぶつけた。
しかし、それは大した攻撃にはならなかった。飛希も牽制するが、ほとんど効果はない。
龗ノ龍が形成され、爽玖は人差し指を上から下へ動かす。
「『昇り龍・落』」
龍は天高く昇り、ある程度行くと下へ向かって急降下した。そのまま大口を開け、“念”を食らう。しかし……
『ぬるいなあ』
“念”が呟くと同時に、龗ノ龍は内側から弾けた。
「……は?」
全員が目を見開いたまま固まった。あの龍が、得体も知れぬ存在によって、壊されたのだ。全身に鳥肌がたつ。
––––駄目だ、これとこれ以上戦っては、駄目だ……!
「撤退するぞ!」
「はあ!?」
「爽玖! はやく行くぞ!」
碧仁が慌てて爽玖の腕を引っ張る。しかし、爽玖はその場を離れようとしない。
「でも千夏が!」
「あれと戦えばお前も死ぬぞ! 早くしろ!」
当主の命令で、全員がその場を走って離れた。
『……ふむ、逃げてしまったか。まあ良い。また来るだろう』
◇
その後、神社にいた望緒たちに事の
飛希の横で、爽玖は何も言わずにそれを見ていた。
◇
「……さっくん、風邪ひくよ」
望緒は水辺にずっと佇んでいる爽玖を見かねて、話しかけた。
「……」
しかし、爽玖は何も答えない。
「……誰も、さっくんのこと責めてないからね。こんなことになるなんて、誰も––––」
「なあ」
彼女が話す途中で、爽玖は話を遮った。
「望緒はなんでよくここに来とったん?」
彼の発言に、望緒はビクッと反応する。なんでと聞かれるとはまったく思っていなかった。その上、彼の異様な雰囲気で言葉が出ない。
「え、なんでって……」
「そもそも、なんで霊力あんの?」
振り向いた爽玖の目は、恐ろしかった。月明かりに照らされた逆光の中、青い瞳が光っていた。
「……え?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます