第3話「少女と幼女は似て非なるもの」前編
私立
先輩との出会いは、およそ一年前に遡る。
僕がまだこの学校に入学して間もない頃、僕は廊下の曲がり角に身をひそめ、すぐ側にある掲示板を眺めていた。
いや、正しくは掲示板を眺めている人を眺めていた、だ。
この学校は、何かしらの部活動に所属することが義務付けられている。
運動部でも文化部でも構わない。けれど、入部するからには何かしら実績を残さなければならず、この学校の生徒である僕も例外ではない。
実績なんて大層な言い方はともかくとして。
学校側が生徒に何か新しいことにチャレンジして欲しい、という意図で設けられた仕組みだろうことは理解できた。
とはいえ、中学三年間帰宅部だった僕が、高校から突然運動部に入るのはハードルが高い。
必然的に選択肢は文化部に絞られる。
比較的楽そうで、なおかつ僕の知識を少しは活かせそうな部活といえば、それはもう一つしかない。
なかば運命的に、僕は文芸部への入部を決意した。
――だが。
「……なんだあれ」
昇降口のそばにある、部活勧誘のポスターが所狭しと貼られた掲示板の前に、何やら和装の女子生徒の姿があった。
艶やかな和服を着こなしつつ、腰にはなぜか刀を差しており、両手には丸めたポスターを持っていた。
模造刀? というか、なんで和服? 茶道部なんてこの学校にあったっけ。
上履きの色から判断するに、上級生であることは間違いない。
真剣な眼差しで掲示板を見つめて、一体何をして……いや、何をするつもりなのだろうか。
「……よし、誰も見てないわね」
人目を気にしているのか、和服の生徒はキョロキョロと周囲を警戒するように視線を飛ばす。
誰も居ないことが確認できたのか、おもむろに持っていたポスターを掲示板へと貼り始めた。
「これでよしっと。あとは新入部員を待つだけね」
腰に手を当て自信満々にそう呟く彼女の背中越しに、ポスターの文字を目で追った。
そこには、鮮やかなグラデーションでデカデカと、『文芸部、部員募集中!』と書かれていた。
ポスターが大きすぎて、他の部のポスターを隠してしまっている。
犯行を終えた彼女は、いそいそとこの場から立ち去ろうとした。
その時偶然にも、彼女のことをこっそり観察していた僕とばっちり目が合ってしまった。
「………………」
「………………」
イマイチ状況が飲み込めない僕と、犯行現場を見られてしまってフリーズする謎の女子生徒。
僕らは沈黙したまま見つめ合った。
やがて彼女から口を開いた。
「……見てた?」
「えぇっと……まぁ、その……はい」
僕は誤魔化すことができず、ゆっくりと頷いた。
「――キミは何も見なかった! そういうことで。いい? いいわね⁉」
「えっ、は、はい……?」
「よし、言質取った! それじゃ、そういうことで! さよなら!」
有無を言わさぬ彼女の勢いに負けてしまって。
僕は一人廊下に立ち尽くし、廊下を走り去る彼女の後ろ姿を眺めていると――。
「あ、ちょわっ……ぶえっ!」
彼女は何もないところで、足をもつれさせて勝手に転んだ。
転んだ拍子に和服がはだけ、肩や胸元から肌の色がのぞいた。
はだけた格好のまま体を起こし、振り返って僕のことをじろりとにらむ。
唇をわなわなと震わせて、恥ずかしさのあまり涙を浮かべる女子生徒。
そんな彼女の羞恥に悶える姿を見て、僕は恋に落ちてしまったのだった――。
†
「――って、なんですか今の最後の一文は。まるっきり捏造じゃないですか。先輩が勝手にコケて突然泣き出したせいで、あの後僕がどれだけ大変だったか……」
「ひ、ひどい……こんなかわいい先輩を辱めておいてそんな言い草……オタクくんのキ・チ・ク♡」
「はいはい。鬼畜でいいですから、さっさと部誌書いてください」
「えー。正吾くん書いといてよ」
「僕の担当分はもう終わってます。文句ばっかり言ってないで、ちゃきちゃき手を動かしてください」
「ぶーぶー。正吾くんのケチー。いけずー。鬼畜メガネ―」
ぶーたれる早乙女先輩に鞭打って、キーボードを叩かせる。
たかだか二千文字程度のエッセイを書くだけで、何をそんなに頭を悩ませているのやら。
「今月のテーマを『非日常』にしようって決めたのは先輩ですからね。言い出しっぺが“やっぱなし”は許されません」
「だって、『非日常』なんてどこにあるのって話じゃない?」
「ついこの間、魔法陣で召喚したビキニアーマーを着てた人が何言ってるんですか」
部室の真ん中、安っぽい絨毯の下に隠された魔法陣をちらりと見て、僕はため息をついた。
一週間経った今でも信じられないが、例の魔法陣は今でもそこに在る。
あれ以来、何かが突然現れたりはしていないので、やっぱり先輩の行動がキーになったのではないか、と僕は推測している。
何も起きないなら、それに越したことはない。
不要不急のアクシデントなんて、早乙女先輩の思い付き発言だけで十分なのだ。
「……ところで、いつまでそうしてるつもりなの、静夏」
「はにゃ?」
先輩がじろりとにらんだのは、僕の膝の上に座ってる小柄な女子生徒だ。
彼女の名前は
この学校の現生徒会長であり、早乙女先輩の同じクラスの友人。
ついでに、僕の幼なじみでもある。
「いつまでも何も、わたしが満足するまでに決まってるじゃない。あ、もしかしてアヤちゃんもやって欲しいとか? ――あ、こらタク! 誰が手を止めていいって言った?」
「
「だーめ。わたしが満足するまでって言ったでしょ。ほら、もうちょっと」
ちょっとって、そんなの静姉のさじ加減次第じゃないか。
僕は生徒会長さまの指示に従って、彼女の頭をなで続ける。
……待って、膝の上に乗ったまま足をバタバタさせないで欲しい。痛い痛い、かかとで脛を蹴るんじゃないっ。
「あーもうっ! あなたたち、幼なじみだからって距離感バグってるんじゃないの⁉ 付き合ってもないのになんでそんな平然と、さも当たり前のように膝の上に座ってるのよ!」
「そう言われましても」
「これくらい普通だよね、タク」
いや、普通ではないと思う……が、ここで反論するとあとが怖いのが静姉だ。
体の小さい彼女が、こうして僕の膝の上に乗りたがる理由は定かではないが、本当に昔からのことなので違和感がないというか、すっかり慣れてしまった。
僕の感覚もマヒしているのかもしれない。
ひとまず僕は沈黙したまま視線を逸らし、肯定も否定もしなかった。
これが賢い立ち回りだ。早乙女先輩と静姉の板挟みのこの状況に、正しい回答なんて存在しないのだ。
「彼女でもない女の子を膝の上に乗せて頭を撫でる行為のどこが普通なのよ! ここが部室じゃなかったら、今頃SNSで拡散されて大炎上してるところよ。わかってる正吾くん⁉」
「それ絶対僕のせいじゃないですよね?」
ぎゃあぎゃあと早口に文句を垂れ流す早乙女先輩。
うるさいなあ、と思いつつ、静姉は核心を突いた一言を先輩に叩きつける。
「もしかしてアヤちゃん、自分が頭なでてもらいたいだけなんじゃないのー?」
「は、はぁ⁉ な、ななっ、なんで私がそんなハ、ハレンチなこと?!」
顔を真っ赤に染めて慌てふためく早乙女先輩。
傍から見ればただ恥ずかしがっているだけのようにも見えるが、僕には先輩が今、何を考えているのかが手に取るようにわかる。
……また自爆してる。この間のことは忘れましょうって何回も言ったのに……。
ビキニアーマー事件の接触事故は先輩の提案により、今後話題にあげない協定が結ばれたのだが、当の本人が何かあるとすぐに思い出してはあんな風に恥ずかしがるので、僕のほうも忘れられずにいる。
いや、たとえ先輩がいつも通りだったとしても、忘れられるわけがない。
忘れてたまるか、あの極上の感触を。
「ねえタク。今なんだかえっちなこと考えてなかった?」
「……っ、いや? そんなことないけど?」
こっわ。
バレたら物理的に記憶が消されかねない。
多少無茶だが、ここは知らぬ存ぜぬを貫こう。
「怪しい……。アヤちゃんもこの間から変だし、絶対なにかあったでしょ?」
「何もないって。ですよね、先輩?」
「そ、そうよ。まま、魔法陣からビキニアーマーが出てきたとか、そそそ、そんなことあるわけないじゃない」
「先輩⁉」
語るに落ちる、とはこのことか。
静姉は僕の膝の上からぴょんと飛び降りると、早乙女先輩へにじり寄った。
先輩は自らの発言を顧みて、あまりの羞恥心に耐えきれず、自分で掘った墓穴に隠れようとしている。
もちろん部室にそんな穴はないので、何もないところでうずくまっているだけなのだが。
「へ~、そうなんだ〜。あの早乙女家のお嬢様が、まさかそんな卑猥なコスプレでわたしの大切な子分……弟分を
誰が子分だ、誰が。昔からよく世話を焼いていたのは僕のほうだろうに。
「篭絡なんてしてないわよ! だいたい、この程度で篭絡できるなら苦労してな――」
「……なんて?」
「――な、なんでもないってば!」
「はーいダウト。アヤちゃんって、ウソつくとき絶対一回右斜め下を見るよね」
「え、うそ⁉ 私そんなとこ見てな……あ」
「うん、ウソだよ♪ アヤちゃんはわかりやすくてかわいいね~」
……おっかない。あれが友人に対してすることか?
早乙女先輩が涙目で怯えている。
どだい静姉にウソをつこうとするほうが無理な話なのだ。
あの人はとにかく、人を見る目がすごい。
相手の仕草や声色、表情の微妙な変化を読み取って、心の中まで見透かしてしまう……そんなとんでもない観察眼を持っている。
昔、人のウソをなんでも見抜く静姉にまるで千里眼みたいだね、と言ったことがあった。
その時、彼女は笑ってこう答えたのだ。
――このくらい誰でもわかるでしょ?
あれは本気の目だった。
以来、僕は静姉にだけは逆らわないと決めた。
僕の代わりに早乙女先輩が尋問されてしまうのは非常に心苦しいことではあるのだが……。
「アヤちゃん、正直になってもいいんだよ。タクともっと仲良くしたんだよね?」
「ち、ちが……正吾くんとは別にそんなんじゃ……! 私はほら、文芸部の先輩として――」
「先輩として、もっとタクに構って欲しいんだよね? アヤちゃんって意外と寂しがりやだもんね」
「だからちが……んっ! ちょっと静夏、どこ触って……あははっ、やめっ……!」
正直、この光景はかなり眼福である。
静姉が早乙女先輩のあごをなでたり、脇腹をつついたり、耳に息を吹きかけたりして遊んでいる。
これはタダで視聴しても問題ないのだろうか。
僕はそっとスマホを取り出して、二人の前で堂々と撮影を始めた。
もちろん動画である。
寄ってみたり、アングルを変えてみたり……うーん、際どい。これはこれでアリだ。
「正吾くんっ、見てないで助けて……!」
「すみません先輩。僕は静姉には逆らえないので」
「だったらせめて撮るなッ!!」
「グッジョブよ、タク。あとで動画ちょうだい」
「イエス、マム」
「あ、あんたたちねぇ~~~っっ!!」
顔に怒りをにじませる早乙女先輩。でも本気で怒っているわけではない。
そもそも先輩が本気で嫌がっていたら、静姉なんて簡単に跳ね飛ばせる。
つまり、先輩もまんざらではないのだ。
僕は楽しそうな二人の思い出を記録するため、無心でカメラを回し続けた。
無心だよ、無心。下心なんてあるワケないじゃないか。
「おっと、手が滑った」
「どこ撮ってるのよ⁉ ちょっと見えちゃう、見えちゃうからー!」
手が滑った勢いで、カメラは先輩の下半身へと迫った。
ローアングルで撮影される見事な絶景。
我々調査隊はついに、謎に包まれた乙女のスカートの内側へと足を踏み入れようとしている……!
「悪ふざけもいい加減にしないと本当に怒るわよ⁉」
「それじゃあ、あとで一緒に怒られようね、タク」
「静姉がそう言うなら仕方ない。大人しく怒られるとするよ」
「怒られる前にやめるっていう選択肢はないワケ⁉」
どうせここでやめたところで怒られることに変わりはない。
ならば、僕はこの道を突き進むのみだ。
綺麗な美脚を舐めまわすようにねっとりと撮影する。
すると、早乙女先輩の羞恥心が限界を突破して。
涙目で誰かに訴えかけるように大声を出す。
「だ、誰か助けてぇーーーーーー!」
その時、あの魔法陣が再び輝きだした。
一週間前のあの日と、同じように――。
「え、なに⁉ 何なの、この光⁉」
絨毯すら貫通する強い輝きに困惑する静姉。
あの日の再現だ。
真っ白な光が文芸部の部室を埋め尽くし、やがて静かにおさまる。
次に目を開いた時には、絨毯の下で何かがぞもぞと動いていた。
「……う、動いてる?」
「オタクくん、ここは任せた」
「え、なんで僕なんですか。こういうのは先輩が嬉々としてやることじゃ……」
「いいからやりなさいタク」
「ハイッ」
問答無用である。
僕はろくなことにならないとわかっていながらも、絨毯をめくった。
「ニコォー――!」
「うわぁ⁉」
瞬間、何かが絨毯の下から飛び出して、部室の窓際へと移動した。
聞き覚えのない不思議な鳴き声に、なんとなく見覚えのあるシルエット。
どう見ても馬のような動物だが、決定的に馬とは異なる要素を持った存在。
――角だ。
綺麗な一本角を生やした、白い馬。
それは、物語の中でのみ語られる、空想上の生き物によく似ていた。
「ゆ、ユニコーン……?」
「ニコー!」
人間の言葉がわかるのか、早乙女先輩の震えた声に反応して、ユニコーンらしき生き物が鼻を鳴らした。
ほ、本物? 本当にあのユニコーンなのか? というか鳴き声それなんだ……。
僕は撮影していたスマホの録画を停止し、まじまじとユニコーンを見つめた。
そこでようやく気付いた。
「いや、ちっっっっさ……」
目の前のユニコーンの全長は、およそ30センチ。
チワワみたいな大きさだった。
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