ロックナンバー:未知への挑戦(4/7)

「霧の話が出たのっていつ頃からですか?」


 ロックナンバーの質問に、ヒバルはやや苦々しそうな顔をしてこう答えた。

三月みつきほど前だな。お前がベルティナに来て少し経ったくらいの時期だ」


 形の見えないと思っていた恐怖と不安が、急に輪郭を浮かび上がらせた気がする。しかも想像したくもない形を作ろうとしているようだ。ロックナンバーの考えていることはおそらくサーディにも伝わっているが、彼女の認識はやや歪んでしまったかもしれない。


 サーディの思考を現実に引き戻し、かつヒバルが言いたいであろう話の核心を突く答え。ロックナンバーは見つけたのかもしれない。だがそれを言ってしまえば認めることになる。


「海の怪獣との関連を懸念してますか?」


 ヒバルの表情が固く、苦々しくなったのはそれが理由だろう。海に怪獣はいない。だがベルティナでは海には怪獣が潜んでいると迷信じみた語り口ながら受け入れられている。


 実際、小説家ダミアン・ラムラスの住まう『洋上賃貸』は襲撃されており、その様子は町に暮らす多くの人間が目にしている。『洋上賃貸』そのものは他に三棟あり、旅行者が借りて滞在拠点にしたり倉庫活用されていたりしているものの、襲われたのはラムラスのものだけだ。


 彼が以前の活動拠点である商業都市バスティドニアから船を使って港町ベルティナへ移動する中、海に向かってなにか声をかけていたことが目撃されている。ラムラスとその『洋上賃貸』が襲われたのはそれが要因なのではないかと、まことしやかに囁かれている。


 ロックナンバーの質問に対し、ヒバルは腕を組んで俯いた。彼の体つきは衣類に隠されてこそいるものの、太く筋肉質であるらしいことはその輪郭や衣類にできるシワなんとなく察しがつく。


「海の怪獣なんてのは、子供に聞かせるような話だと思ってたんだがな」

 目を閉じ、寸の間。再び目を開き、ロックナンバーとサーディにそれぞれ視線を配るとヒバルは続けた。


「ラムラスさんの『洋上賃貸』の一件以降、妙なことが続いている。厄介なのは目に見えてわかりやすい変化や異変ではないからか、誰もそれを重要視しない状況にあるということだ。この俺もな。どう考える?」


 自分の意見を口にする前に、ロックナンバーはサーディに目をやった。彼女は町民とのコミュニケーションを取る機会が多く、実際にラムラスとの接触を試みたことがある。酒を好む彼女にとってアルコールは情報取得のツールに過ぎないが、ラムラスは酒を飲まないため酒の場で会うことはなく、酩酊によって口が軽くなるということもなかったが、代わりに他の町民たちとの交流をすることができた。


 視線を受けてサーディは考えるために視線を落とす。オカルトじみた恐怖を少しずつ現実的に考えようとしてくれているようだ。


「妙なこと、というのはこの霧以外にどのようなことがありますか?」

「それは言えないな。サーディはロックナンバーよりも町にいる時間が長いだろ?」


 ヒバルの言葉にサーディは面食らった顔をして言葉に窮した。なぜそんなことを言われたのか、全く意味がわからなかった。


 確かに町の外に出る機会が多いのはロックナンバーの方だ。サーディは町にいることが多い。ロックナンバーは町の外れにある果樹園や搬入施設の対応や怪獣に対する設備の導入や提案の他、地上の周辺地域についての調査も行なっている。


 作業の割り振りはロックナンバーだけでなく、ヒバルや他の業種の長たちにも話して決まったことである。


「町に長くいることが理由で言えないのですか? そんなことを言ったら……」

「警戒はしておくに越したことねえよ。でもまあ、話ができないってのはその通りだな」

「誰かに聞かれている可能性があるということでしょうか」


 その可能性はゼロではない。この丘は港町ベルティナを一望できるが、茂みが多く人が隠れることができる場所は多い。この視認性の悪さについては、襲撃者たちの来襲時にロックナンバーも襲撃者側も互いに存在に気が付かなかったことからも窺える。


 なんとなくロックナンバーは辺りを見渡したのち、手近な茂みを探ろうとした。その後ろ姿にヒバルの笑い声が飛んでくる。


「聞かれているとして、そんなところにはいねえよ。俺が思う敵はもっと別にいる」

「すみませんが、先ほどから漠然としすぎていて、話が見えません。単刀直入に言っていただけませんか」


 サーディとしてはオカルトやホラーな話になりさえしなければいいのだ。もう少し現実的に考えることができるようにしたいのだろう。それはロックナンバーも同じである。知恵の輪を力づくで解決した実績のある彼にとって、小難しい謎かけは時間を費やすだけだ。結果も出ない。


 腕を組んでいたヒバルはそれを解き、右手のひらを見た。動きを確かめるように握ったり開いたりをして見せる。


「海の怪獣ってのは、バルクやエルオウよりも危険な奴かもしれない」

「その可能性は否定しません。これまでの怪獣たちと容姿も行動パターンも異なりますから」


 怪獣は人間を見たら一も二もなく襲いかかる。だがラムラスの『洋上賃貸』が襲われた際にはそれ以外に危害を加えることはなかった。目撃された姿は四つ足の獣でもなく、皮膜の翼や跳躍に向いた足を持つ獣でもない。明確に頭部や爪と分かるようなものもなかった。

 円筒型のあの建築は三階建だ。それを丸ごと抱き込むように巻き付くことができるほどの体躯。


 それだけだ。今のところ分かっている特徴は。

 ヒバルの言葉はそこに一つ要素を付け加えるものだった。


「海の怪獣は洗脳に似たなにかができるんじゃないか」

「え?」

「洗脳?」


 サーディの声に重なるようにしてロックナンバーも声を上げた。ロックナンバーはヒバルの言葉を二度、三度ほど頭の中で反芻はんすうしたのちに続ける。


「そんな憂懼ゆうく時代の非人道ナンチャラみたいなことが?」

「ないと言えるのか? この目で見た海の怪獣はバルク系統でもエルオウ系統でもないんだ。姿形はもちろん、色もな。それに……」


 苛立ちを表すかのようにガリガリと頭を掻き、眉を怒らせてヒバルは言葉を続ける

「この話題はなぜか町にいると誰にもできないんだ。言わないといけないと思っているのに、言えないんだよ。怪しい奴はいるんだ。だがそいつのことを思い出そうとすると姿が曖昧になって何も出てこなくなる」


「怪しい奴? 海の怪獣を『洋上賃貸』以外で見たのですか?」


「かっ……」


 ヒバルはそれ以上を口にしなかった。口を開けてはいるが舌が動かせないらしく、なにかに驚きおののくように動かなくなった。その切迫した様子は演技ではない。ロックナンバーもサーディも同様に言葉を失った。町中には「海の怪獣なんていなかったのだ」などと言い出す人間が出始めているのに、これはそれを真っ向から否定する現象であると思えたのだ。


 ヒバルはやがて苦しげに口を閉じて首を振る。

「町を出ても言えないようだな。話題に触れてるだけマシだが」


「だ、大丈夫ですか? なんかさっきの……」

「言えないだけで体調が悪いわけではねえんだよ。しかしお前たちには伝わったはずだな」


 応と答えるのに躊躇ってしまう。サーディは再びオカルトやホラーに対する恐怖を感じてしまったようだった。ロックナンバーは驚嘆した。

 平和な港町だと思っていたのだ。襲撃者に対する動きは結果を見れば分かる。この町は度重なる襲撃に耐えてきた歴史があり、実際に町民たちの動きは他の町や村と比べても優れている。


 だがそれは表向きに過ぎない。すでに海の怪獣はなんらかの形で町に接触している。しかもヒバルはその怪しい影をすでに目撃しているのだ。


「俺の部下も記憶が曖昧だったり自分でも理解できない動きをしたりしている。バルクやエルオウとは全く違う奴なのは間違いない。それならこの洗脳と思われる能力も否定はできないだろう。お前たちに任せたいのはここだ」


 難題だ。ロックナンバーは考えることが苦手なのだ。

 かまわずヒバルは続ける。


「海の怪獣の調査。コイツを徹底的にやってもらう。倒せるかどうかはその後だ。何か動きがあったら報告しろ。……指示ばかりで悪いがよろしく頼む」

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