世界崩壊憂懼危機(前編)

「視聴者の皆さん! ついに特集『歴史の塵』も最後となります。


 第三部は『世界崩壊憂懼危機せかいほうかいゆうくきき』に注目してお送りいたします。ルーカス・ミラーです。どうぞ最後までお付き合いください! そして、ラストを飾るゲストはアイシュワリヤ・パテルさんです!」


 スタジオが大きな拍手に満たされる。

 堂々とした足取りで姿を現したのはダークグレーの髪色をしたストレートを鋭く切りそろえたボブヘアの女性だ。


 顔の中心にはシルバーの縁をした眼鏡を装着し、切長の目元が魅惑的な印象を与える。医療を思わせる白衣をベースにデザインした薄手のアウターを着ており、左の裾にはワインレッドに染まる天秤のロゴマークの主張が目を惹く。足元にはワントーン暗いボルドーカラーのヒールが艶めき、彼女の属する団体の統一感を思わせるものだった。

 

 パテルは自信に満ちた表情でミラーの元まで歩み寄り、握手と軽いハグを交わす。パテルの深い赤色のルージュが微笑んだ。


「素晴らしい瞬間に立ち会えたことを嬉しく思います。間違いなく私と皆さんにとって特別な時間となることでしょう」

「私もこの日、この時間を待ち焦がれていました。本日はよろしくお願いいたします!」


 スタジオの中心にはホテルのラウンジを思わせる高級感のあるソファとサイドテーブルのセットが整えられている。背景のスクリーンも気品あるシンプルな壁面を演出しており、細長くカットされて並べたような窓には大都市の夜景が広がっていた。


 ミラーはパテルに着席を促し、彼女が座ったのを見てから彼も着席した。そこにいつものスタッフがすかさずドリンクを提供する。グラスには氷が浮かび、淡い黄色い飲料と炭酸を思わせる小さな気泡が特徴的だ。


「今回ご用意しましたのは、パテルさんオススメのハニーレモンビネガーを炭酸水で割ったドリンクです。お馴染み、研究医療団体サナバリティアの人気商品ですね。とても飲みやすくて、私のお気に入りの一つです」


「ありがとうございます。宣伝のようになってしまうのですが、私もこのビネガーは定期購入しています。甘みと酸味が程よく、仕事につきっきりになっている時には特に重宝していますね」


「スッキリしていて飲みやすいですよね。ハニーは特に貴重な食材の一つです。高品質なハニーを手軽に楽しむことができます。さて、早速ですがアイシュワリヤ・パテルさんの紹介をさせてください。パテルさんは研究医療団体サナバリティアの広報部の方です」


 研究医療団体サナバリティアは、今やなくてはならない鉱物資源のエルオウとバルクの研究を主に行っている。社会貢献としては研究で培われた技術や知識を医療に活かし、その技術と知識の伝達と活用のために日夜稼働している営利法人団体だ。各都市に拠点を置き、有事の際には迅速に動けるように常に備えている。


 また、サナバリティアの研究によって作られた医薬品やビネガーなどの健康食品も人気のサービスとなっており、一部の都市では飲食業界への本格的な進出を試みている。安全と安心、そして高品質。サナバリティアは数多くの受賞歴をもち、最も信頼される企業団体としても注目されている。


 ミラーは少し緊張した面持ちでパテルに話題を振った。


「第三部では『世界崩壊憂懼危機』についてなのですが、ここでサナバリティアの方に来て頂くことになったのは本当に驚きでした。以前の特集『未来に続くため』では健康に触れる話題がありましたが、あの時はサナバリティアさんの独壇場となっておりましたね」


「ええ、出演していたのは私の後輩でした。最低限伝えるべきことはお話できたと評価しています」

「ははは、素晴らしい知識量とわかりやすい説明でとても好評でしたよ」


「現代人の常識である『世界崩壊憂懼危機』は、多くの方々が誤解しておられます。あれは人類の過ちばかりで成り立っているものではありません。ぜひ、この部分の認識をわかりやすく広め直したいですね」


 ほんの一瞬だけ、ミラーは口をぎゅっと結んだ。無意識に発生する筋肉の痙攣のようなもので、彼自身は笑顔を維持しているつもりなのだ。彼をよく知る人、例えば彼の家族やマネージャーなどはミラーの今の心境を理解したことだろう。


 だが時間は誰にも止められない。番組は進行していく。

 背景のスクリーンが早速変化を見せ、子ども達の教育のために使われる写真がずらりと列挙された。

 やや色褪せたそれは、誰もが一度は見たことのある写真である。激しい戦場の跡地、瓦礫から煤だらけの顔を出した避難民、投げ捨てられた当時の銃火器。絨毯が窓から舌のように垂れ下がった一室。天井を失って風にはためくカーテンと火の粉の舞う街並み。


 人によってはうんざりする画像そのものであり、人によっては強い共感性によって吐き気や恐怖に怯える。

 パテルは繊細そうな指先を組んだ。爪は色を塗ってはいないものの、みずみずしいツヤで輝いている。


「埋没遺物がもたらした文明の発展は、人類の進化を加速させました。しかし同時にその速度に焦燥感を与える結果となったのです」

「文明の進化する速度に焦燥感を与える。それはどういうことでしょうか。年齢を重ねると新しいデバイスやシステムの操作に戸惑うような状況でしょうか?」


「似ていますが違います。当時は世界中がこぞって鉱物資源の研究に没頭し、競い合うようにして成果物を発表していました。

 通常、成果には対価が与えられるものですが、ここに差し込まれたのは過剰な闘争心と競争心、そして敵愾心てきがいしんでした。

 あとから開始した研究の方が先に成果を出していたり、元より軋轢あつれきのあった相手との比較を行い、満足度の低い成果については対価を出さない、罰を与えるなどをしたのです」


 背景のスクリーンが簡単なイラストを用いた図を映し出した。研究や開発の現場では、新しい成果や発見、そしてそれによる豊かさを競い合ったのである。たちまちスパイ行為が横行し、金銭による人員や知識、成果物の不当な取引が発生し始めると、今度は成果物や研究結果を公の場に発表することを躊躇ためらう者が現れた。


 パテルの解説が続く。


「そこにあったのは羨望や理想だったのかもしれません。当時から根付くフィクションで語られるような、空想の世界に近づくことができるかもしれなかったからです。

 莫大な金と時間が注ぎ込まれ、効率化や大量生産のために倫理や道徳というものは最初に排除されました。

 結果、武器や兵器の類が早い段階で製作されることに繋がっています。密かに使われたそれが表舞台に姿を現した時、自衛のために一般市民に普及するのにも時間を要しませんでした。


 記録によると、最も若くて十二歳の少年少女に持たせ、義務的な教育の一環として操作方法を伝えたとされています」


 鉱物資源によって豊かになる一方、いつでも安全は打ち壊される状況になって行ったのである。真っ先に狙われたのは有力者であった。優れた武器兵器を奪える可能性と経済力を奪えるからである。


 そう、奪うのだ。買えないならば、奪えば良い。盗む、強奪するという悪質な行為が横行し、一般住民たちが応戦する状況も珍しい光景ではなかった。そして簡単に命と経済力を奪うことができると認識した人類の変化は著しいものがあった。


 パテルの美しい横顔がフェードインするシーンが差し込まれる。

「鉱物資源由来の武器兵器の有無と、その性能と技術力が全ての優劣を決めました。

 経済力はそれを支える一つの柱に過ぎず、ここにどれだけ倫理的道徳的な対話を求めようとも、相手が機嫌を損ねたり都合が悪くなればすぐに銃口や刃物を向けられる状況にありました。

 盛者必衰とはまさにこのことです。人類はこの時、確実に文明退化したのです」


 戦闘状態がどこでも発生する時代の到来。これこそ『世界崩壊憂懼危機』の始まりであった。この言葉は当時の社会学者が提唱したものだったが、その真っ只中で発言することはできなかった。学者の地位は武力によって蹴落とされ、平和的解決を求める論説は特に嫌悪されたのである。


 きっかけは民族間の小競り合いだった争いだったと記録が残っているが定かではない。確実なのは戦火が不安を燃料にして世界各地に広がったということだ。それは背中を預ける味方の隊員すら敵と見紛うほど、そして味方であると誤認して敵部隊に接近してしまうほどの混乱状況にあった。


「そこにさらに『怪獣』と呼ばれる存在が出現しました」

 パテルの言葉にミラーは深刻な表情で頷く。


「現代でも問題視されている存在ですね。人々は常に怪獣による襲撃を警戒しながら生活を営むことを強いられています」


「ええその通りです。怪しい獣と当初は呼称されていましたが、いつしか怪獣と呼ばれるようになりました。

 『世界崩壊憂懼危機』を加速させる要因の一つです。いわゆる肉食動物のようでありながら、全く異なる新種生物でした。人間を目の敵であるかのように襲いかかり、食用とする恐ろしい存在です」


「はい。より詳しいお話を聞くために、ここで小休憩を挟みましょう。コマーシャルタイムです」

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