2:すすり泣くプール 検証開始

「ここからどうするの? ユウキ」


 アホ毛を揺らしてカコが女子更衣室こういしつから顔を出す。

 ここに至るまで俺は忘れていた……更衣室は男女で2つある事を……。

 流石に男女どちらの更衣室に出るのか分からなかったから、カコが来てくれて助かった。


「誰もいないな?」


 こくり、と頷くカコに俺はリュックから取り出した一枚の紙を渡す。

 そこに書いてあるのは『25メートルをおよげるようになりたいです』。


「なんて書いてあるの?」


 受け取ったカコが目を細めた……失礼な。

 すごく頑張って丁寧ていねいに書いたのに。


「25メートルおよげるようになりたいですって書いたんだよ」

「……ユウキ、泳ぐの字が間違えてる……後、字が汚い。紙の予備はある? これじゃ私とユウキのお父さんしか読めないから私が書き直してあげる」

「読めない?」


 実は字が汚いとクラスメートだけじゃなく両親にまで言われ続けている俺、幼馴染のカコはいつもの事だと問答無用で心をえぐってくる。


「……頑張って書いたんだと思うけど。幽霊ゆうれいさんも読めないよこの字」

「はい……これ紙とサインペン」


 持ってきたリュックから予備のメモ帳とペンを取り出して、カコに手渡した。

 あんまりな事実だけど……読めないせいで調査ちょうさが失敗になる方が困る。


「ため息つかないでよユウキ、わかってた事じゃない」

「うん」


 きゅきゅっとカコはすごい速さで紙に文字を乗せていく。

 こんなに早く字を書くのにクラスで一番きれいな字を書くんだよな。

 書道コンテストは4年生からずっと金賞だし。


「はい、二枚とも書いたよ。これ……どこに貼ればいいんだろう」

「入り口から二番目のロッカーに貼るんだって。これセロハンテープ」


 そんなことをぼんやり考えながら、セロハンテープをカコに手渡す。

 小学校一年生の頃から何をするにしても一緒に行動していた、遊ぶことも、勉強も。

 一緒に居ないのはせいぜい家に帰って次の日登校するまで位だった。


「ユウキ? これ、修正テープじゃない?」

「へ? あ、わりぃ。こっちだった」


 よく見れば確かにセロハンテープより一回り小さいシルエット、ボーっとして取り間違えちゃった。


「うん、じゃあ貼ってくるね」


 おう、と返事をして俺は男子更衣室に入る。

 キレイに清掃された更衣室は床もびしゃびしゃで……うん?


「なんでれてるんだ?」

 

 昨日は終業式だったからプールの授業は無かったし、ここ数年は夏のプール開放もなかった。

 それなのに……床が濡れてその先をたどって進むとプールの入口へと続いている。


「……なんで?」


 ひゅるり……。


 念のためドアのノブを回すとしっかりとドアのカギはかかっていた。

 それなのにわずかな風が吹いてきて、俺の首筋をくすぐった……暑いこの時期なのになぜかひんやりしている気がする。

 良く分からないけど……急いだ方が良い気がした。

 一人で居る事が怖い訳じゃない、幽霊なんて少しも信じていないし……今回の自由研究は『幽霊なんていない』と証明するための検証けんしょうだ。


 この世の中で一番尊敬そんけいするお母さんとお父さんが口をそろえて教えてくれた。

 何かが無いと決めたければ、無い事の証拠しょうこを集めなければだめ。

 

「カコは終わったのかな?」


 時計を見ると後三分、4時44分までもう時間がない。

 急にカコの顔が見たくなる、三分もあれば合流できる。

 ひんやりとするドアノブから手を放し、俺は来た道を戻ろうとしたら……。


 ――きゃああああ!?


「カコ!?」

 

 まだすすり泣くプールの時間になってないのに、カコの悲鳴ひめいが聞こえた。

 俺はすぐに全力で男子更衣室のドアから出て、対面にある女子更衣室へ飛び込む。

 そこには……ぺたんとしりもちをつくカコと……仁王立ちしている一人の女の人……担任の先生がいた。

 三つ編みおさげを腰まで伸ばして、男の先生より高い身長。

 この一年どころか小学校生活の半分を俺とカコはこの先生にお世話になってる。


「だいじょう……ぶ、じゃないな。見回りしてたのユリちゃんせんせーかよ……逃げて損した」

 

 とはいえ、これから先の説教せっきょうのがれられないんだけどな?

 肩を落とす俺の頭を、振り返ったジャージ姿の先生がむんずとつかむ。


「相変わらずの生意気盛りね、勇樹君。華子ちゃんだけだったら忘れ物かと思ってたんだけど……」


 振り向いたユリちゃん先生はにっこりとほほ笑みながら俺を見下ろす。

 丁度、日も傾いて来たし少し薄暗うすぐらい更衣室のおかげで……すげぇ怖い顔になってた!?


「二人とも……何をしようとしていたのか。先生にちゃーーーんとお話してくれるわね?」

「「はいぃぃ!?」」


 体育教師であるユリちゃん先生は見た目の大人しさに反して、握力あくりょくがめちゃめちゃ強い。

 どれくらいかと言うとほんの冗談じょうだんのつもりで美術用のリンゴを……えいやっ! と可愛い掛け声で握りつぶすぐらいだ。


 それ以降、間違っても高学年男子の間でユリちゃん先生をからかい過ぎる事が無いように……お互い気を付ける習慣がついた。

 俺だってまだ頭をつぶされたくないから……大人しく白状するしかない。


「学校の不思議について調べてました……」

「ユウキに無理やりついてきて一緒に調べてました……」


 こういう時、カコは絶対に人のせいにしないんだよなぁ。

 俺が巻き込んだんだから俺のせいにしてもいいのに……とは言え、ややこしくなるからじとーっとカコをにらむにとどめる。


 当の本人は、俺と目が合うなり『ん?』と良く分かってない時の表情を返してきやがった。

 

「不思議って……ああ、ここ更衣室だもんね。でも、駄目じゃない……窓を割って入ってきちゃ」


 ……え?

 俺とカコ、こっそり昨日鍵を開けて置いた窓から入ったんだけど???

 流石にユリちゃんせんせーの言葉に俺とカコが顔を見合わせる。


「せ、先生。私とユウキ……一階の南棟の教室廊下の窓を開けて入って来たんですけど」

「そうだぜ! 昨日の終業式の後……ごめんなさい。窓の鍵こっそり開けました……」


 俺がやったことも褒められることじゃないのは分かってるから、尻すぼみになるけど……やってない事はやってない。

 まっすぐユリちゃん先生の顔を見て、カコと俺は無罪を主張する。

 そんな俺たちを戸惑とまどうような顔で交互に見た後……ユリちゃん先生は困ったような声で俺達に言った。


「……じゃあ、二階の窓を割ったのは誰なのかしら?」


 丁度その時……


 ――ぅぅぅう……


 風に乗ってすすり泣く声が俺たち三人の耳に届く。

 俺は右手に持ったままの時計を見ると……そこに表示されていた時間はちょうど午後4時44分だった。

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