怪談掃除の華子さん

灰色サレナ

1:夏休みの自由研究 開始

 俺は慎重しんちょうに廊下の窓を乗り越えて、学校の中に侵入しんにゅうを果たした。

 右を見る……誰もいない。

 左も確認した……誰もいない、と。

 背中に背負った父さんのリュックサック(大きい登山用のを勝手に借りちゃった)を降ろし、耳をませてしばらく待つ……。


 ……

 …………

 ………………よし、誰も歩いていない。


「良いぞ、カコ」


 動きやすいように水色のTシャツと青いハーフパンツ、野球帽を装備した俺は窓の外に向けて手招きをしながら声をかける。

 しゃがんだままでないと校庭から見えちゃうから、向こうからは俺の手首しか見えないだろうけど……これでわかるよな?


「い、今行くね」


 甲高かんだか幼馴染おさななじみの不安そうな返事が返ってきた……そんな声を出されるとなんだかこっちが不安になるよ。

 仕方ないので首だけを窓から出して見下ろせば、幼馴染は両腕で身体を支えたままこっちを見上げていた。

 ほら、早く来いよとあご催促さいそくしたけど……だんだん腕がプルプルし始めて……。


「ひにゃっ!?」


 そのまますとんと落ちていく。

 何してるんだか……。


 ぽすん、と軽い落下音を聞いて仕方なく俺は窓から身を乗り出して手を伸ばす。

 念のため窓のふちから校庭の方を確認してからな……まだ遊んでる連中がいないとも限らないし。

 

「助けてユウキぃ……」


 声を潜めて助けを求めるカコに目を向けると器用にお尻をこっちに向けてひっくり返っている。

 この6年変わらない安定のぱっつん前髪で腰まで伸びた黒髪があちこち地面に広がって……じだばたともがいてる。 


「なんでひっくり返ってるんだよ」

「足場の箱、踏み外したの……」


 仕方なく目一杯に手を伸ばしてカコに手を伸ばすと……なんとか頭に葉っぱをくっつけたカコが俺の手を取り、しっかりと握った。

 じんわりと汗ばんだ手がすっぽ抜けない様に力を込めてゆっくりと引く。


「ありがとう」

「腕時計を握るなよ、壊れたら困るから」


 俺の手助けで身を起こしたカコがとろんとした眼差しで笑う。

 せっかくの白いブラウスと赤いフレアスカートに追加の装飾品おちばを飾り立てているからなんか間抜けに見えるよな。

 それを見て俺はため息をつく……運動は得意なはずなのに……。

 

「ほら、ひっぱってやるから来いよ。あんまり時間ないんだから」

「そうだね。17時には学校の門閉まっちゃう」

「その前に調べなきゃいけないんだから……早く来いよ」

「うん」


 なぜかカコはえへへ、と……声を出して笑いながらなんとか窓枠を乗り越えて学校に入る。

 

「よいしょ……ありがとう」

「なんでついて来たんだよ……帰りもこの窓から出るのに」


 大丈夫なのかと不安になるんだけど、カコは笑顔のまま口を開いた。


「ユウキが引っ張ってくれれば出れるから大丈夫」

「……まったく、ほら靴脱げよ。証拠が残るだろ」

「さすがおまわりさんの息子だね」

「そもそも警察は学校に侵入しんにゅうしないよ……調子狂うなぁ」


 靴に着いた土を持ってきた雑巾で拭いて、カコと俺は靴を脱ぐ。

 日が傾いてきてオレンジ色に染まる廊下……普段は人が多いのに、俺達しかいないのってなんか新鮮しんせんだな。

 

「ユウキ、誰か来るよ?」


 そう言われて耳を澄ませると、かちこちと時計の音に混じってペタンペタンと足音が近づいてきていた。


「げ、静かに向こうに行こう。プールまで急がなきゃ」


 しっかりと床を拭いたのを確認して、俺はカコの手を引いて学校の北棟にある室内プールに向かう。

 幸い足音は反対側から聞こえてくるので速足なら追いつかれない。

 靴も脱いでいるから足音は小さいから向こうには聞こえないだろう。


「なんか悪い事しているみたい」

「バレたってちょっと怒られるだけだよ。それに」

「それに?」

「学校の不思議を調べられるのは今年までだろ? 1回くらい怒られたっていい記念だよ」


 この期に及んでのんきなカコに俺は強気に答えた。

 廊下の角を二つ曲がった辺りで足音は聞こえなくなる……多分別の方へ行ったんだと思う。

 一階は1年生と3年生の教室が並んでいて、教室の中は昨日の終礼の後に大掃除をしたから机の上に椅子がひっくり返って乗っている。 

 この光景が見れるのも、今年が最後だしな。


「俺らが卒業したらこの学校は廃校はいこうになるんだから」

「……そう、だね」


 肩を落として、しゅん……となったカコの頭のアホ毛がぺたんと下がる。

 今年の初め、全校集会でこの学校が他の小学校と一つになって無くなるという事を知った。


「落ち込むなよ、俺たち今年で卒業だし中学だってカコも同じだろ?」

「え? あ、ええと。うん」


 話を振られたカコが素っ頓狂すっとんきょうな声を上げる。

 おいぃぃ! 声が大きい!!

 思わず俺はカコの口を右手で塞いで、左手を口元に当てて静かにのサインを送った。

 こくこくとうなずいたのを確認してゆっくりと手を離す。


 ――誰かいるんですかぁ?


「「!!」」


 心臓が口から飛び出るかと思うくらいびっくりした!!

 さっき足音が遠ざかった方向から声が飛んでくる、しかも案外近い!?


「急ぐぞ」


 ひそひそと声を潜めて二人で先を急ぐ、口を両手で押さえたカコも一緒に廊下の突き当りを曲がり。

 まっすぐと室内プールの方へと進んでいく。

 夏休み初日だったら先生たちも一日ぐらい休んでいるかと思ったんだけど……どうやら違うみたいだ。

 だんだんと遠ざかる軽い足音と誰かを探す声に反比例して、俺の耳にはどっくんどっくんと胸の音が聞こえてくるぐらいあせる。


「ユウキ、行き過ぎ」


 焦っていたのが悪いのか、考え事をしていたのが悪いのか……先を急ぎ過ぎてプールの更衣室を通り過ぎてしまった俺をカコがシャツを引っ張って止めた。

 しかし、掃除したばかりでつるっつるの廊下の床で靴下の相性は最悪。

 俺はしりもちをつく様にお尻からいきおいよく転んでしまう。


「あ」


 カコのしまった、と言う顔が上下逆さに飛び込んできたけど痛烈つうれつな痛みのせいでその視界がにじむ。

 よく声を出さなかったと自分をほめたい……。

 じんじんと痛むお尻をさすりながら、後で覚えていろよとカコの顔を目を細めてにらんだ。

 さすがに言いたい事が分かったのか、笑いを堪えるように口の端をひくひくさせながら……カコが謝ってくる。


「ご、ごめん……ユウキ」

「……行くぞ」


 そうして俺らはこの夏休みで最初の目的地。


「ここが不思議の3番目、すすり泣くプールだ」

「うん」


 去年、父さんに買ってもらった黒いデジタル腕時計の表示は午後4時34分。

 後10分で今年最初の夏休みの自由研究が始まる。

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