5.人間は教わる
机に載っているのは三つのコーヒーカップと、ガラスのコップにシュガーポット。コーヒーカップからは湯気が昇っていた。暖かくなってきたとはいえ、まだ温かい飲み物が美味しい時期だ。
冷めないうちに一口。残念なことに豆の種類とかはわからないけど、飲みなれたインスタントの味ではないことは理解出来た。
「最初に魔法についての説明だ」
ガラガラとどこから持ってきたのかわからない、ホワイトボードを私たちの前まで引っ張ってくる。黒のマーカーを手に取り、ホワイトボードに何かを書き込んでいく。
「簡単に言えば、言葉に魔力を込めて形にするのが魔法だ。詠唱と呼ばれる部分と、呪文と呼ばれるふたつの部分で構成されている」
ホワイトボードにも図と文字を書き、混乱しないようにしてくれている。
「例えば、コップの水を凍らせる魔法を使う時。凍れという詠唱と、フリーズという呪文を組み合わせるのが一般的だ」
詠唱と呪文の文字の下に例文を書き、矢印を引く。その図は分かりやすく、なんとなく理解はできた。わからないのはそんなことをする理由だ。
「どうして、詠唱と呪文でふたつにわけるの?呪文だけじゃダメなの」
「詠唱は方向性を定める意味合いがある」
「方向性」
「魔力にわかりやすい方向性を与え、呪文の効果を高めるのが詠唱の役割だ。呪文だけでは魔法が弱いから、詠唱を組み合わせる。例を見せるか」
ユキは部屋をキョロキョロと探すように見回す。本棚に目を止め、そこから二冊冊の本を手に取った。
「これからこの同じサイズの二冊に、同程度の魔力で魔法を使ってみる。まずは詠唱ありの方だ。大きくなれ〈エマージ〉」
呪文に反応し、本は一瞬でソファと同じくらいの大きさになる。
「今度は呪文のみだ〈エマージ〉」
さっきは一瞬で大きくなった本。しかし呪文だけの場合は少しづつ、成長するように大きさが増していく。そしてそのサイズも三分の二程度。確かにこれはかなり差がある。
「この差は、魔法に慣れていない者ほど大きくなる。俺は魔法を扱い慣れているから、このぐらいの差しかでない」
「つまり、私がやった場合はもっと大きい違いになるってことなの」
ユキは肯定するように頷く。
「魔力で多少補えるが、無駄に魔力を使えばその後魔力不足になるかもしれないからな。そうしないように、詠唱と呪文を組み合わせるのが一般的だ」
これは、ノートとかに纏めておくべきだったかもしれない。家に帰ったら、話を思い出して書き出しておこうかな。使っていないノートも確かあったはず。表紙に赤文字で秘を丸で囲んだりしたらあからさますぎるかな。自習用ノートとでも書いておこうか。それなら風斗に見られても疑われないはず。
「魔法の使い方は魔力を込めて、詠唱をし、呪文を唱える。それだけだ。言うのは簡単だが、これを習得するのに、普通は一ヶ月程かかる」
「一ヶ月!?」
「悪魔は、の話しよ。天使は生まれた時から、当たり前に魔法を扱えるわ」
自慢げに笑って、炭酸飲料を飲むルナねぇ。次の瞬間、笑みは驚愕に変わり炭酸飲料を見つめた。もしかしたら初めて飲んだのかもしれない。
その反応をユキも見ていたようで、口角が上がっている。ルナねぇもそれに気づき、恥ずかしそうに顔を逸らした。
リク先輩はすでに飽きているのか、ホワイトボードに落書きをしていた。最近人気のキャラクターのイラストだ。すごく似ている。
「そこの天使二人は放っておく。話を続けるぞ」
「はーい」
「俺としては一ヶ月はかけたくない。そのためには練習あるのみだ。とにかく練習しろ」
「こう……猿でもできる、みたいなのはないの?」
「練習しろ」
美人の真顔は怖い。体が震えそうになり、諦めて「はい」と返事をした。
「練習の前段階まで終わらせたら、今日は解散だ」
「……さっきみたいに、今日また襲われたらどうするの」
「その可能性は低い」
「どうしてそう言えるの」
「人間の住む世界にいる、市原四織という女を連れてこい。それがお題だ。世界と簡単に言うが、この世界は魔界よりも広い。そう簡単にたどり着く悪魔は多くないだろう」
「魔界って狭いの?」
「この鐘ヶ崎町と同程度だな」
この町と同じくらい。この町も合併などの影響で、それなりの広さはあったと思う。でももっと大きい町は沢山あるはずだし、県という枠組みと比べれば全然小さい。意外だった。
「つまりさっきのデカイのとかアンタは、運は良かったってことね」
「……そうだな」
それなら多少の時間はありそうだ。ユキが一ヶ月もかけたくないと言っていたのを考えると、それくらいすれば見つける悪魔も出てくるということか。
「それで前段階って何をするの?」
仕切り直すためにも、尋ねてみる。ユキはホワイトボードに何かを書き出していった。
「魔力の感覚と属性を知る。そして練習用の詠唱と呪文を理解する。このふたつのことを行う」
「感覚に、属性?」
聞き返せば、さらに何かを追加で書き始めた。
「魔力とだけ言われても、それが何なのかは分かっていないだろう。それを認知する。そしてそれと同時に属性を調べる」
ユキは属性の種類を書いていく。その中から火、水、雷を赤いペンで囲んだ。
「属性はそれなりに種類があるが、主にこの三つが多い。俺は氷属性だ」
「水と氷って違うの?」
「親戚のようなものだ。変化させやすい関係にあるからな」
「変化?」
「その説明は魔法の基礎練習が終わったらする。……手を」
言葉の意味がわからず、首を傾げる。
「手を出せ……!魔力を流して、認知させるんだ」
なんで少し怒ったふうなのか。分からないけど手を出そうとして、腕が掴まれ止まる。リク先輩は、現在進行形でホワイトボードに落書きをしている。つまり犯人はもう片方の天使。
「何をする」
「私がやるわ。悪魔の魔力を流し込ませて、何かあったら嫌だもの」
じっと真剣な眼差しに射抜かれて、ユキは小さく「わかった」と答えた。こんなにあっさり引くということは、人間と悪魔の魔力は違うものなのかもしれない。
私はルナねぇの手を掴む。すぐに何かが流れてくる感覚があった。ぞわぞわして、落ち着かなくなる。でも確かにそれは、私の中に存在するようだ。それを頭だけでなく、体でも今知った。
「どうかしら。魔力の感覚掴めた?」
「うん。わかったよ」
「それじゃあ、属性を調べるから私に魔力を流してみて」
簡単には言うけれど、どうやったら流せるんだ。とりあえず魔力が何かはわかった。それを手を通して、ルナねぇの方に動かすイメージで。
「……やめろっ!」
声と同時にパッと手が離れた。ガタガタと震えるルナねぇ。何が起きたかわからず動けない私と、すぐに駆け寄るユキ。リク先輩もわたわたとしていた。
「落ち着け。しっかり呼吸をしろ」
少ししてからルナねぇは、徐々に落ち着きを取り戻す。理由がわからない私は、落ち着いてきてからユキに視線を向けた。
「今のは……?」
「魔力を流し込みすぎたんだろう」
続きを促すように見つめれば、ユキは溜息をつく。
「異なる属性の魔力を、微量に流すなら特に害はない。だが流しすぎると体が拒否反応を起こし、今のようなパニック状態になる。最悪の場合は死ぬこともある。もっともそいつは大丈夫だ。咄嗟に手を離し、途中で切断したからな」
「そうなるってわかったから止めようとしたの?」
「初心者に魔力を流させるのは危険だからな。全くできないならいいが、今みたいになることもある。……今日は解散だな」
案じるような声に私は頷く。
不思議な力。未知のものに私は調子に乗っていたのかもしれない。これは誰かを殺せる危険なもの。その意識をしっかり持たなければ。そう改めて心に刻んだ。
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