第8話
「今頃、ののかはどうしているんだか」
タワーの展望台からは、遠く都心の立ち並ぶビル群が見える。
「頼んできた介護士さんは信用のおける人です。ベテランだし、ののかさんもきっと満足してると思いますよ」
そうは言ったものの、本心ではなかった。ののかが気に入る介護士なんて世界に存在しないと思う。
「わたしばかりこんなきれいな景色を見てていいんでしょうか」
らら子さんの瞳が濡れているように見えた。
「しあわせになれるお土産ってリクエストされながら、こんなことしてていいんでしょうか」
「らら子さん!」
隆之介は思わず声を荒げた。
「あなたがリラックスしなくてどうするんですか」
「でも」
「想像してみて下さい。もしあなたが介護される身だったら、イラついて暗い顔の人に世話をしてもらって嬉しいですか?」
「それは……」
うつむいたらら子さんが、唇を噛み締めた。
「わたし、イラついて暗い顔でののかの世話をしてたんですね」
「そうは言ってませんよ」
この人は、つくづく自己評価が低い。
「僕はたくさんの介護する人たちを見てきました。それでわかったことなんですが、介護する人に気持ちの余裕があると、世話をされるほうは要求を言い出し易いんです」
らら子さんの表情が和らぐ。
「要求がし易い」
「そうです。当たり前ですよね。いっぱいいっぱいの人に、誰だって言いたいことなんか言えない」
「はい」
「だから、今夜は楽しみましょう」
ふたたび、はいと頷いたらら子さんは、窓に顔を近づけて景色に見入った。
「雲が紫色……」
なんて、うっとりする。
隆之介は、
「ほんとだ」
などと話を合わせながら、今更ながらバクバクし始めた己の心臓に慌てた。
おれ、今、なんて言っちゃった?
――今夜は楽しみましょう。
たしかにそう言ってしまった。
どうしよう。らら子さんは思ったに違いない。
体の具合を心配してくれるフリをして、この人、下心があったんだわ。
「違うんですよ、らら子さん!」
らら子さんが、
「え、何がですか?」
と、こちらに顔を向けた。
「や、なんでもないんです」
まっすぐこちらに向けられた目。目の前にいる相手を信頼している目。
この信頼を裏切るつもりなんかないぞ。
竜之介は大きく息を吸って吐いて、それから、窓枠にある手すりを硬く
握る。
と、らら子さんが窓から離れた。
「そろそろ行きましょう。お土産を探さなくちゃ」
マリンタワーのお土産売り場は、二階の展望台入り口にある。
本来の目的がお土産探しなのだから、寄らないわけにはいかない。
お土産店は、休日でもないのに人で溢れていた。
「わあ、マリンタワーのロゴ入りのグッズだ」
隆之介は平台に置かれた、ロゴ入りのTシャツやマグカップを眺めた。なかなか洒落たデザインで、店に置くのにいいかもしれない。
「ヨコハマ・グッズ
らら子さんが言った。
「ヨコハマ・グッズ001?」
聞いたことがなかった。
「横浜振興協議会が認定した横浜地域ブランドの総称なんです」
また講釈が始まった。そう思ったが、興味が出てきて先が聞きたい。
「良質な横浜土産を開発するってコンセプトで始まって、もう、三十年になるんです」
「なるほど」
「安心できる横浜土産ってことです。二年に一度審査会があって合格しないと、ヨコハマ・グッズ001とは言えないんです」
相変わらず、情報をため込んでる。
「らら子さん、いつ調べたんですか」
ふいに、らら子さんの頬が赤くなった。
「電車に乗ってるときに、ざっと。だから、完璧な情報とは言えないかも」
頬を赤くしたのは、情報の曖昧さを恥じたようだ。
「どうせだったら、ヨコハマ・グッズ001の中から選んだほうがいいかもしれません」
「その上に、マリンタワーのロゴ入りならもっといいですよね」
らら子さんは一つ一つを手に取って眺め始めた。
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