第6話

 すうすうと、らら子さんの静かな寝息がする。


 おだやかな寝顔を見つめながら、あらためて隆之介は思った。


 なんで、おれ、こんなところにいるんだ?


 らら子さんの身体の具合が心配でやって来てしまったが、どう考えてもこの状況は普通じゃない。

 ホテルのベッドで眠る女性の横で座っている自分の立ち位置はなんなんだ?


 らら子さんは、患者の姉。ただそれだけの関係のはずなのに。


 もしや、らら子さんに好意を抱いている?


 いやいやそれはない。

 献身的に妹の介護をするひとりの女性に、尊敬と同情を持っているだけだ。

 断固として、そうだ。

 そう思わなければ、身体の具合が心配だと言って、ホテルの部屋に押しかけてきたこの状況を正当化できない。

 

 親切心を装って、らら子さんと親密になろうとしている?


 違う!

 おれは、断じて、そんな卑怯な男じゃない!


 様々な言い訳を胸のうちで繰り返していると、

「う、ううん」

 とらら子さんが呻き、目を開けた。


「あ、先生」

「かなりお疲れのようですね」

「あたし、眠って?……」

 頷くと、らら子さんは、こちらが恥ずかしくなるくらい顔を赤らめた。

 ガバと起き上がる。

「すみません、わざわざ来ていただいたのに」

「寝ててください」

「いえ、もうだいじょうぶです」


 起き上がったらら子さんは、実際、もう調子を取り戻したようだった。さっと洗面所へ行くと、顔を洗ったのか、数滴水しぶきを頬につけて戻ってきた。


「ほんとにすみません。どれを買って帰ればののかが満足するのか途方に暮れてしまって、挙句、先生にお電話してしまって」

「ほんとに、具合はよくなったんですか」

「だいじょうぶです。今夜の夕食は食べられそうにありませんけど」

 それかららら子さんは、お茶を淹れますと、ベッドのサイドテーブルの上にあるケトルを手に取った。動作に不自然さはないから、ほんとうに調子が戻ったのだろう。


 と、ケトルを抱いて洗面所に向かおうとしたとき、身体が隆之介とぶつかった。狭いシングルの部屋だ。


「ご、ごめんなさい」

 こちらが戸惑ってしまうほど、らら子さんは恐縮した。その途端、二人の間に、微妙な空気が流れる。

 傍らには乱れたベッド。暮れかかった窓。

 ふたたびらら子さんの首筋が紅く染まって、隆之介まで動揺し始める。

「あ、あのーー」

 すぐ手の届くところに、らら子さんがいる。ほんの少し腕を伸ばせば、らら子さんの身体に触れてしまう。


 意を決して、隆之介は言った。

「お茶は外で飲みましょう。横浜の街を観光しましょう。街を散策して、それからお土産を決めましょう」


「は、はい」

 見開いた目でこちらを見返したらら子さんの顔には、驚きと安堵と、そしてちょっぴり落胆があったような気がしたが、それはこちらの思い過ごしだ。

 隆之介は自分に言い聞かせて、先にホテルの部屋を出た。


         夕暮れの山下公園


 ボーッ


 どこからか船の汽笛が響いてきた。目の前の観光用に停泊している氷川丸からだろうか?

 いや、この船は観光用で汽笛は鳴らさないはずだ。


 沖に目を向けると、色とりどりのコンテナを詰んだ巨大な船が見えた。

「きっと、あの船からです」

 らら子さんを振り返ると、顔色も戻り、いつもの落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 


 


 

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