第3話

 十二月二十日の朝、隆之介にらら子さんからメールが入った。無事、品川から東海道線に乗ったという。

 メールには、ののかをよろしくお願いしますと書かれていた。

「楽しんで」とスタンプを返すと、ふたたびよろしくおねがいします、ありがとうございますと返信。つくづく生真面目な人だ。

 宿泊するホテルは、山下公園前にあるホテルニューグランドらしい。みなとみらいのホテルも候補だったらしいが、老舗を選んだところはらら子さんらしい。

 

 らら子さんからのメールを受け取ったあと、隆之介はほとんど姉妹のことを忘れて過ごした。患者が立て込んでいたし、その上、急遽辞めることになったスタッフの西田さんが今日最後だったために、何かと用が多かったのだ。

 西田さんはベテランの整体師で、学生時代は柔道部という屈強な身体とさっぱりした性格がお客さんに人気があり、正直辞められるのは痛かったが、仙台でひとり暮らしをする母親が倒れたとあっては仕方ない。引き継ぐ患者さんたちとの日程をやり繰りするためパソコンを睨んでいると、電話が入った。らら子さんからだった。

 おそらくののかの様子を聞きたいのだろうと思いながら電話を取ると、電話の向こうから呻き声が響いてきた。


「だ、だいじょうぶですか!」

 思わず立ち上がって叫ぶと、またしても、

「ぐぐぐっ」

と呻き声が続き、それから大きなため息が聞こえた。

「ごめんなさい、苦しくて」

「何かあったんですか」

「なんでもないんです、ただ、ちょっと食べ過ぎてしまって」

「食べ過ぎ? 何を食べたんですか」

 普段食べ慣れないものを食べて、食あたりでも起こしたのだろうか。中華街で変わった食材を口にしたとか? 旅先ではよくあることだが。

 

 いや、らら子さんはもともと少食だし、変わった食べ物を食べてみるという好奇心はないはずだ。

「スイーツです。ラングドシャやクッキーなんかを食べ過ぎてしまって、苦しくて……」

 はあ~と、脱力してしまった。

「まさか、ののかのお土産の試食を?」

「そうです。だって、食べてみないとわからないから」

「いくつぐらい食べたんですか」

「一種類に一個じゃよくわからなくて、三個ずつくらい食べてたら、お腹が」

「痛くなったんですか」

「痛いというより、胸焼けがひどくて」

「病院へ行ったほうがいいんじゃないですか」

「そんな。そこまでしなくてもだいじょうぶです。一応、胃薬も飲みましたから」

 呻き声をあげてしまうほどだ。市販の胃薬なんかで治るものだろうか。

「残念ですけど、東京に戻ってきたほうがいいんじゃないですか」

 体調を崩したんじゃ仕方がない。


「それは、嫌です」

 きっぱりとした声が返ってきた。

「ののかに約束したんですから。なんとしてでも希望のお土産を買って帰らなくちゃーー、ぐふっ」

 大きなゲップが響いてきて、隆之介は眉をしかめた。

 この姉妹ときたら……。

 姉と妹で何もかも違う姉妹だが、似ているところが一点だけある。


 頑固なんだよな。


 隆之介は壁にかかった時計を見た。午後、二時十五分を過ぎたところ。

「ちょっと待っててください」

 らら子さんに告げると、隆之介はそのまま隣の施術室で次の患者の準備をしているスタッフの島森さんに声をかけた。

「島森さん、四時に入っている新規の患者さんなんだけど、変わってもらうこと、可能かな?」

「はい?」

と顔を上げた島森さんは、丸い目を大きく開いて、

「四時にわたしの予約はありませんから、やれますけど、でも」

 新規の患者は、隆之介が受けることになっている。どういった身体の問題、悩みがあるのか隆之介が判断して、それからそのまま隆之介が受け持つ場合もあるし、スタッフの誰かに引き継ぐこともある。

「急用ができて、出かけなきゃならなくなって。お願いできれば助かるんだけど」

「わかりました」

 手にしていたブランケットをさっと畳むと、島森さんは受付にシフト表を書き換えに行った。


「あのーー」

 一連の会話を聞いていたのだろう。らら子さんが、遠慮がちに言った。

「お忙しいところすみません」

「いや、それより」

 隆之介はスマホを持ち替えた。

「今、ホテルの部屋ですよね?」

「そうですけど」

「これから向かいます」

「え」

「具合によっては、病院へ行くべきかもしれないし」

「い、いいです。お電話したのはそういうことじゃなくて」

 慌てたらら子さんの声が裏返って、おかしかった。

「すぐ出ますから、一時間後にはホテルに着けます」

「ちょっ、ちょっと待ってください」

「寝ててくださいよ、いいですね」

 そのまま電話を切り、隆之介は受付へ向かった。受付では、島森さんが患者を迎えているところだった。

「すみません、今日は戻れません。閉め業務を、お願いします」

 わかりましたと、安心できる声音が返ってきた。

 

 建物を出ると、クリスマスセール用のチラシを配っている青年とぶつかりそうになった。

 すみませんと謝って、そのまま地下鉄の麻布十番まで小走りで向かった。

 


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