第2話

 隆之介が手配の手配によって、ヘルパーさんはすぐに見つかり日程が組まれた。

 ヘルパーさんは三人。一日のうちで交代しながらののかの世話に当たる段取りだ。


「この日程でだいじょうぶですか」

 介護業者と取り決めをすませ連絡をすると、そのたびらら子さんからは曖昧な応えが返ってきた。なかなか踏ん切りがつかないようで、行く先は決まらない。


 そうするうち、十二月も半ばを過ぎて、街はクリスマス一色に飾り付けられた。姉妹の所有するマンションの玄関にも、小ぶりながら緑色と赤のリースが掲げられた。


 このままでは何も変わらない。

 それなら強引に出発日を決めてしまおうと隆之介が決心した日、らら子さんから電話がかかってきた。

 電話の向こうのらら子さんは、沈んだ声だった。


「十二月十七日にしようと思います」

「よかった。やっと決心がついたんですね」

 ちょうど施術を終えた患者が帰ったところで、隆之介は事務室でパソコンを開いて年末調整を始めようと座ったところだった。

「でも、ののかが」

 らら子さんの声がさらに、沈んだ。

「しあわせになれるお土産を買ってこいって」

「しあわせになれる?」

 条件に合ったお土産を買ってくれば旅行に出てもいいとののかは言っていた。それが、しあわせになれるお土産を買ってこいだとは。


 むちゃぶりをしたようでいて、ののかの本心が覗いた気がして、龍之介はののかに同情しそうになった。


 ののかは辛いのだ。


 だが、同情されるのを、ののかがいちばん嫌っているのはわかっている。


「なんだ、簡単じゃないですか」

 隆之介は返した。

「観光地にはいろんな名物がありますよ。その中でおいしいものがすぐに見つかるだろうからーー」

「簡単だとは思えません!」

 らら子さんが怒鳴った。


「しあわせになれるって、たやすいことじゃないと思うんです。そりゃ、おいしいものやめずらしいものを食べればしあわせな気分にはなるでしょう。観光地であれば、そういうものがたくさんあると想像できます。でも、ほんとうにしあわせにしてくれる食べ物なんて、そんなもの、あるのかどうか……」

 生真面目ならら子さんのことだ。問題を難しく考えすぎている。


 妹の世話に専念する前、らら子さんは図書館で司書をしていた。その仕事ぶりと、ほんの少し隆之介は聞いた覚えがある。丁寧な本の扱い方、自分が担当する分野へのこだわりと責任感。そこまで几帳面にやらなくてもと、そう思った記憶がある。

 

 ののかにしてみれば、姉を困らせよう、煩わせようとして言っているだけなのに。


「だいじょうぶですよ。人気のあるお菓子でも買って帰れば、ののかさんは満足しますよ」

「だめ。そんなんじゃ、ののかはきっと納得しない」

 う~んと、隆之介は唸った。

「じゃあ、その土地のおいしいものを、全部らら子さんが食べてみればいいんですよ。それで、実際にしあわせな気持ちになれたら、それを買って帰れば」

「わたし、自信ないです。膨大な種類があると思うんです。」

 そういえば、甘いもの好きのののかとと違って、らら子さんからスウィーツの話を聞いた記憶がない。隆之介が甘いものは苦手だから、耳に入ってこなかっただけかもしれないが。


 ともかく、らら子さんの中でも、旅行に出ると決まったみたいだ。ここで迷わせてはいけない。


「だいじょうぶ、だいじょうぶですよ。素直に名物を食べて、いちばんおいしかったものを買って帰ればいいんです」

 納得したようではなかったが、らら子さんはそれ以上意義を唱えなかった。


 それからしばらく連絡がなかった。手配したヘルパー派遣会社から日程の決定の催促の連絡を貰い、らら子さんに電話をしようとした矢先、連絡が入った。

 

 旅行に出かける日は、十二月の二十日にしたいという。

「もし、ヘルパーさんとの都合が合えばですけど」

 控えめで、それでいて、喉の奥に嬉しさをためているのが伝わってきた。決まれば、やっぱりらら子さんも心躍るのだろう。

「だいじょうぶですよ。なんとでもなります」

「よかった」


「で、どこへ行くと決めたんですか」

「はい。横浜に」

「横浜?」

 あまりの近さに、呆れた。

 横浜なんて、都心からの通勤範囲だ。旅行に出ると言えるような場所じゃない。

「日帰りするつもりなんですか」

 もしかしたら、ののかに何か言われたのかもしれない。日帰りじゃないとだめだとか、いや、横浜でないとだめだとか。そんな意地悪を、今のののかなら言いかねない。


「泊まってくるつもりです」

「でも、近すぎるでしょ」

「遠くへ行くのは心配で」

「だいじょうぶですよ。ヘルパーさんの手配は万全なんですよ」

「それはわかってます。でも」

 これ以上らら子さんを責めても仕方ないと思った。まずは、ここからだ。少しずつ休暇を取りながら介護を続ける方法に変わっていけばいい。


「それで、ちょっとお願いがあるんですけど」

 らら子さんは、言いにくそうに続けた。

「なんでしょう」

「一泊してくるとは決めたんですが、もしかしたら二泊になるかも」

「だいじょうぶでしょう。そう段取りをつけましょう」

「よかった」

 心底ほっとしたような息が漏れる。


「ののかに言われたお土産。一日で見つけられるか心配で」

 あんなこと。

 隆之介は思わずにはいられなかった。ののかの出した、「しあわせになれるお土産」というのは、単にののかが姉を困らせるために思いついただけだ。

 それを正直に受け止めているなんて、つくづくらら子さんは真面目な人だと思う。


「とりあえず、二泊三日にしたらどうですか。お土産が初日に見つかったら、あとはのんびり観光するということで」

 横浜に二泊目まで歩き回る場所なんかあるだろうかと思いながらも、それは口に出さなかった。観光なんかしなくても、横浜の海をぼんやり見て過ごすだけでもいい。 本来、休暇というのはそういうもんなんだし。

 

 短い、しかも近場への旅行だから、準備など何もしないだろうと思っていたが、何やらそれからのらら子さんは忙しそうだった。

 

 日付を決めてから二日後、いつものののかの施術に二人の暮らすマンションを訪れると、施術をする前にらら子さんに呼び止められた。

「あの、施術が終わってからちょっとご相談が」

「あ、はい」

 らら子さんは深刻な表情だった。

 またののかが無理難題を押し付けたのだろうかと思いながら、施術を済ませらら子さんに声をかけると、いつものティカップといっしょに、大学ノートを手渡された。薄い、ごく普通の罫線が入っているタイプのもの。


「なんですか、これ」

「見てください」

 ティカップを置いて、隆之介はノートを開いた。

 

 ずらりと名前が書かれていた。


 土産物の名前だ。

 お菓子ばかり。数えてみると、十二個。


「横浜で有名なお菓子なんです」

 らら子さんが、ノートを覗き込みながら言った。

「わかります」

 有名どころばかりだった。隆之介が聞いたことのある名前もいくつかある。

 横浜・かをりのレーズンサンド、えの木てい本店、・ジュエリーBOXクッキー、横浜モンテローザ・横浜三塔物語スティックケーキ。

 ほかにも、お洒落でおいしそうな名前が並んでいる。


「行ってから探すようじゃまごついちゃうと思って」

「で、予習したってわけですか」

 らら子さんは深く頷く。


 それにしても。


 つくづく真面目な人なんだなと感心してしまった。お菓子の名前の横には、売っているお店がメモされ、行き方まで添えられている。


 こんなにまで調べなくても。


 スマホのアプリで、適当においしい横浜土産とでも検索し、それを見ながらお店へ行けばいいものを。

 

 これじゃ、がんじがらめになってしまう。休暇を取るのが目的なのに、これじゃゆっくりのんびりできないじゃないか。


「どれがおいしいんでしょう。ネットのサイトで口コミを見てみたんですが、それもおいしいって書いてあるんです」

 ほんとうにどれもおいしいんだろう。だから有名になっているんだから。

「そうだなあ」

 返答に困る隆之介に、らら子さんが畳み掛けてきた。

「しかも、しあわせになれるって……。どの口コミにも、そんなことは書かれてなくて」

 

 当たり前だ。


 しあわせになれるお土産があったら、大評判になっているはず。


 そもそも、そんなものは存在しないのだ。隆之介は思っている。「しあわせになる」という注文は、ののかの嫌がらせであって、現実にそんなスイーツなんか存在するはずない。

 隆之介はぱたりとノートを閉じた。


「難しく考えちゃだめですよ」

 ティカップを手に取り、隆之介は口に含んだ。一息で飲んでから、らら子さんに笑顔を向ける。

「らら子さんがおいしいと思ったもの。それを買ってくればいいんですよ」

 戸惑った目が向けられる。

「たとえば」

 ポケットからスマホを取り出して、隆之介は横浜土産を検索した。


 出てくる、出てくる。らら子さんのノートに挙げられた以外にもたくさんある。

 こんなにスイーツが売られているとは。横浜はスイーツの街なのではないかと思えてくる。

 

 数が多いからかえって選ぶのは大変かもしれないが、適当に見繕って買ってくればののかを満足させられるだろう。

「迷っちゃいます、きっと」

「だいじょうぶ」

 

 不安げな表情のらら子さんを置いて、隆之介は診療所へ戻った。年末は患者が多い。らら子さんたち姉妹のことは気にかけているが、ほかにも心配な患者は何人もいる。

 

 街に出ると、冷たい北風に吹かれた。

 本格的な冬が始まろうとしている。



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