【KAC20245】はなさないでね?

赤夜燈

そんな約束、守る奴はいない。



 ねえねえ、ここだけの話なんだけど。


 ……そう。誰にも


 三組の桃ちゃん、いるじゃん。あの子、実は――



 女子の「話さないでね」は「話してね」の意味だ。


 数少ない友人浜口はまぐち恵津子えつこも悪びれずにそう言っていたし、わたしこと朝倉あさくらももも同意見だ。


 机の上に書いてあるのは見るに耐えない罵詈雑言ばりぞうごん、主に『クソビッチ』『死ね』『パパ活女』などと書かれている。


 暇なものだ。


 女子高生なんて、普通は暇なものだと知っているからわたしは驚かない。汚れを落とすのも面倒なので、そのままにしておく。


 わたしは別に誰とも交際していないし、たまに男友達と話したりするだけだ。パパ活に関してはもう根拠がないどころか、おそらく母と離婚した父親との面会が原因だろう。そりゃパパ活じゃない、養育だ。


「……と、そろそろ時間か」


 そんなこんなで机をほったらかして、待ち合わせした喫茶店に向かう。


「で、桃はなんで報復しないの?」


 影が落ちるほど長い睫毛まつげを伏せてブレンドコーヒーを飲みながら、なんで髪の毛を切らないの、みたいな口調でけいは言う。


「女子って生き物はねえ、面倒なんだよ。男子はタイマンで決着がつくこともあるだろうけど、女子の場合はタイマンを持ち出した時点で袋叩きだよ」


「僕もタイマンはしたことないなあ。袋叩きならあるけど」


「する側? 見る側?」


「させて見てる側」


「だと思った」


 わたしたちはくすくすと笑いあう。そこに喫茶店の老マスターがタルトを運んできた。


「物騒な話は声を小さく、な?」


『はぁい、お祖父じいちゃん』


 揃って返事をしてから、わたしたちは声を小さくして話し始める。タルトは酸味のある苺を使ったもので、コーヒーによく合った。



 けいもも。わたしたちは、血の繋がらない同い年のきょうだいだ。


 父と母が結婚していたとき、わたしたちはお互いの連れ子だった。すぐに意気投合して、いろいろな遊びをした。それは両親が離婚したあとにも続いていて、毎日のようにこの喫茶店で会う。


 老マスターはこの駅前にある一等地の大地主であり、わたしたちの父方の祖父にあたる。わたしたちが飲む珈琲代など物の数にも入らない。だから、わたしたちは決まってここで勉強している。


 ……まあ、蛍が学年一モテる美少年だから、わたしがビッチだのと不名誉なことを言われる原因になっているのは否めないけれど。


「それじゃあさ、数を味方につければいいわけだろ?」


 あのアツコだかマツコだかいう女、桃を踏み台にして僕に近づこうとしててウザかったし。そう、蛍は言って――わたしに、耳打ちをした。


「はなさないで、って言えば話すんだろ? 簡単なことじゃないか。僕がだいたいなんとかするよ。桃は三日くらい学校サボっておけばいい」


 わたしは、なんとなく蛍がこれからなにをするか察したが、止める理由もないので黙っておくことにした。




 三日間たっぷり寝て、登校した朝。


 わたしの悪口を学年中に触れ回った浜口はまぐち恵津子えつこが、教室の真ん中でびしょ濡れになっていた。


 プールの汚水を使ったのだろうか、鼻が曲がるほど臭い。



「死ねよブス」「うざ」「身の程知らず」「ウチらのけーくんに近づくとかマジ死ね」「消えろ」


 などと陰口を叩かれているが、聞こえよがしに悪口を言うこいつらはこいつらで先日わたしに同じことをしていたのでなにも感じない。だいたい、蛍はこいつらなんかのものじゃない。


 恵津子はわたしを見ると、なにやらわめきながら飛びかかってきた。臭いからその場から二歩ずれる。


 ベチャ、とねばつく拳で殴られたのは――蛍だった。


 タイミングばっちり。打ち合わせ通りである。


「……痛いんだけど」



 その辺のゴミ以下の汚物を見る目で射られた恵津子が、みるみるうちに顔を真っ青にした。そのまま、屋上へ向かう階段へ走り出す。


「ちょっと、恵津子!」


「桃さん、俺も行くよ。――みんなはここで待ってて」


 恵津子の足は遅いが、わたしたちは特に急がずに屋上へ向かった。鍵は、開けてある。


 フェンスをがしゃんがしゃんと揺らしながら、恵津子は声にならない声で泣いていた。まるで動物だ。


 可哀想な気もしないでもないが、この事態を招いたのは恵津子である。わたしたちを、蛍を敵に回さなければ、こんなことにならなかったのに。


 屋上のフェンスには、細工がしてある。がしゃんがしゃん揺らせば、ほら。


「ぅぁ、あ――」


 身体が、宙に投げ出される。わたしは、その手を掴んだ。


「は、放さないで!! 放さないで、お願いします、お願い――」


 懇願こんがんする恵津子に、わたしは言う。


「女子の『はなさないで』は、『はなして』の意味だ――だったっけ?」


 恵津子の顔がみるみるうちに真っ青を通り越して白くなる。


「……冗談だよ。友達でしょ、わたしたち」


 ちょうどそのタイミングで教師たちがやってきて、わたしたちは恵津子を引っ張り上げた。


 泣きながら謝られたけれど、少し距離を置きたいとわたしは言った。恵津子は頷いた。



 全て終わって、帰りの道を歩く。


「帰りどうする? うち来る?」


「行く。お母さん、また新しい男連れ込んだから」


「似た者同士だね。父さんも愛人の家に行ってて帰ってこないよ。僕は、桃だけが大事。桃がいればそれでいい」


 くすくすと笑いあう。わたしたちはあんな親たちにはならない。唯一無二の絶対がいるからだ。


 そう。わたしは、蛍の唯一無二になった。なってしまった。


「わたしのこと、離さないでね。蛍」


「当たり前だよ。桃も僕のこと、離さないで」


 蛍は生まれながらの王様だ。逃れることはできないだろう。


 わたしたちは二十歳になったら、籍を入れる。


 幕

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