幕間・畏怖
東が死んだ。
何度も声をかけたのだ。やりすぎだ、と。彼女は一心不乱にグローブジャングルジムを回していた。
楽しいのだろう、と始めは思っていた。気持ちはよくわかる、自分だってついさっきまで、ブランコに乗ってみたりブランコの裏に何がないか探してみたり、怪異のありかを探していた。
それがどうだろう。少し目を離した隙に、彼女は驚くべきスピードで回っていた。ジャングルジムを回す彼女の右足はすでに地面を蹴ることなどできておらず、引きずっているようなものだった。なのに回る速度は一定を保ったまま、いや加速しているように見えた。少なくとも、常人には理解し難いことが起きているのだと悟った。
腐ってもオカルトサークル代表、引き際はきちんとつけなければと、大声で彼女を呼んだ。
「おい、東!やばいって!もう止まれよ!」
「おい!おい!おいってば!」
どれだけ叫んだか分からない。喉が乾燥して血が出てくるような感覚さえあった。なんとか呼び戻したかった。分かっていた。彼女はもう、止まれないのだと。
止めてやりたかった。だけど、きっとそれに触れたら手がちぎれてしまうと思った。いや、最悪巻き込まれて死んでしまうと。大学の学友を、命をかけてまで守ろうとはできなかった。
俺が必死に声をかけ続けていると、東は右足を持ち上げた。嫌な予感がした。
「分かった!」
彼女はそう叫んで、両手を広げた。タイタニック号に乗っているかのように、大きく。もう見ていられなかった。ぎゅう、と目を瞑り、顔を背けた。彼女がどうなったかなんて、耳から聞こえてきた音だけで知れた。
それからのことは、あまり考えたくはない。警察を呼んだことも、自分でも何を言っているか分からない説明をしたことも、容疑者として疑われ続けて数ヶ月間肝を冷やしたことも。全部全部、悪い夢だと思いたかった。
不意に村岡のことを思い出した。彼もあそこで何かを見た、と言っていた。なにも出来なかったせめてもの報いに、何があったのか知りたかった。
「……ごめんなさい。うちの息子は、去年亡くなったの」
「その……」
「……自殺だったの」
「……不躾にもお聞きして申し訳ありませんでした。ご愁傷様です」
「いいえ、連絡をくれてありがとう。息子も、気にかけてくれる友人がいてきっと嬉しいと思うから……」
大学時代の携帯番号に繋がらなかった時点で、少し予想はついていた。同じものに、きっと。本当はいけないことなのだろうが、コレクター気質な俺は、サークルメンバーの緊急連絡先の控えを持っていた。そこから、彼の実家にかけたら、これだ。
彼女も彼も多分、連れて行かれたのだ。あの公園に潜む、何かに。俺はオカルトを愛していたが、どこかで舐めてもいた。死人が出たことがある、とかそんなのは全て人づてに聞くものだったから、どこか遠い世界への憧れのような、そんな気持ちで向き合っていた。廃墟で実際に見たこともあった。声を聞いたこともあった。けれどそれらは決してこちらを害しては来なかった。
まさか、こんなことになるなんて。本当に、死んでしまうなんて。
初めて、自分の今までの関心を恥じた。あれらーー人ならざるもの、および説明し難い現象ーーに安易に関わってはならないのだ。興味本位で近づいて、無事でいられるのは運が良いだけだったのかもしれない。あれらはいつも、機を伺っているだけなのかもしれない。死人に口なしとはよく言う。彼女の提案に乗るなんてバカは、よせばよかった。
昔から、怖い話が好きだった。本当に、昔から。幼稚園児の頃からこわい絵本を買いたがり、お墓を見かけると行きたいと駄々をこねる、生粋のオカルトマニア。インターネットを手にしてからは、それがますます加速した。あらゆる情報を見ては自分だけのファイルを作って。その趣味が高じて大学でサークルを立ち上げた。
始めたての頃は、まったく人が集まらなかった。だが大学二年の夏、同じ講義に出ていた村岡と東に声をかけた。村岡は渋々、東は嬉々としてサークルに加入してくれた。その二人が、死んだ。多分、同じ理由で。
社会人になってから連絡など取っていなかったが、東から連絡が来た時は飛び跳ねるほど嬉しかった。東と会って話せるなら、心霊スポットじゃなくてもいいとすら思っていた。だから、あの公園にしたのに。
兎にも角にも、俺はもう、一切関わるのを辞める。これっきりだ。もうこんな思いをするのは、これっきり。あわよくば良いネタが入らないかと始めたジャーナリストの仕事からも足を洗おう。
洗面台の鏡に映る自分が泣きそうな顔で頬を下げていた。
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