邂逅

 冬の夜に怖い話をするのは、なかなか趣があって楽しい。



 今は十二月の中頃、コートなしではいられないほどに寒い時期だ。なんだか人恋しくなって友人に「今晩一緒に飲まないか」と連絡してみたものの、みな仕事に忙殺されているらしく、申し訳なさそうな返事ばかりが返ってきた。

 私はといえば、あまり仕事のできない部類の人間で、すでに出世コースから外れた、いわゆる窓際族である。会社から必要とされていない人間に、繁忙期などないのだ。

 仕方なしに、最近引っ越しの関係で知り合った、友人と呼んで良いのか微妙な関係の東雲さんに連絡をした。彼女は賃貸の仲介会社で働いており、現在住んでいる家は彼女に紹介してもらったものだ。彼女の仕事ぶりは大変丁寧で、そして何となしに「お互い東のつく苗字ですね」なんて話が盛り上がり、つい勢いで連絡先を交換したのだ。

 そうして彼女に連絡すると、快い返事が返ってきたので、近くにある行きつけの美味しい居酒屋に来たというわけだ。ここは居酒屋ではあるが、大衆向けのがやがやした店ではなく、半個室で落ち着いた雰囲気であるのが気に入っていた。

 そうして酒盛りをしつつ、お互いの身の上なんかを語っていれば、彼女は唐突に「怖い話をしてもよいか」と尋ねてきた。大学の時になんとなくオカルトサークルに入っていたくらいには怖いもの見たさのある私は、ぜひ聞きたいと頷いた。

 彼女の話は面白かった。酒のつまみにぴったりで、今度はどうにも大学生の頃のノリが恋しくなってくる。彼女と二時間ほど飲んで解散したのち、オカルトサークルの部員、もとい部長であった菅野に連絡した。

 彼は根っからのオカルト好きだ。こんな話を聞いたよ、と言えば必ず知っていると返ってくる。なんなら、追加情報や考察なんかもついてくる。そういう人だった。長らく連絡していなかったが、彼は未だにオカルト好きを拗らせているらしい。すぐに快諾してくれた。


「いやぁ、あそこ。もう一度行ってみたかったんだよなぁ。あの時さ、村岡がなんか見たからもう行かないって言い始めて、そこから頑なにサークルに来なくなったろ?俺、気になって気になって」

 菅野が住んでいるという埼玉まで車を走らせ、助手席に乗せるなり、彼は捲し立てた。今から行こうとしているところは、大学時代にサークルの面々総勢5名ほどで行った、心霊スポットである。

 心霊スポットといえば、だいたい墓地やら古戦場やらトンネルやら、相場が決まっているが、中には「え?そんなところが?」と思うような場所もある。今、車を走らせる先は東京。要するに、東京から埼玉、そしてまた東京ととんぼ返りしているようなものなのだが、今日のメインはそこにある。

 台東区の、小さな公園だ。何の変哲もない公園。日中は幼い子どもたちが走り回っている、寂れも廃れもしていない、綺麗な公園である。多分隣に座るこの男の嗅覚がなければ、一生知ることのなかった心霊スポットだ。

 私もここに何があるのか分からない。菅野について回って色んなところへ行ってみたけれど、結局ただの一度もそれらしいものに出会ったことはなかった。菅野は違うようだが。

「ねえ、あの公園ってどこが心霊スポットなの?正直、あいつがサークルに来なくなったのも、そういうフリ?っていうか、来ないための口実に感じてたんだよね。ほら、なんか彼、もともとワイワイ系だったし」

 私は学生時代にやったような、いかにもな場所を巡ることを夢見て誘ったのに、行き場所が公園だなんて。もしや、菅野はデートのつもりでいるのか?と勘繰ってしまうほど。

「まあ、それは否定できないけど。でも何かがあるから、俺の耳に入ったんだよ」

 その耳とやらは、人づての人づてくらいで聞いたとかなんとか言っていた気がする。要するに、信憑性どころか曰くがあるかどうかすら怪しい場所なのだ。

 ハァ、とため息をつき、今度は大学卒業後からの人生を熱く語り始めた菅野に相槌をうち、ひたすらアクセルを踏み続けるのだった。


 静かに車を止めたのは、アパートの建ち並ぶ道の一箇所、例の公園である。時刻は深夜一時。明日も仕事かと思うと憂鬱だが、外に出てみれば夜の公園も意外と悪くない。びゅう、と冷たい風が吹く。前と違うのは、季節と私の年齢くらいだろうか。公園自体は、さほど変わらないように見えた。

「おお、懐かしいな。ここ、ここ!」

 まるで子どものように駆け回る菅野を保護者のような気持ちで、いや呆れ果てた気持ちで見つめ、私もぐるりと見渡す。相変わらず狭い公園だ。あるのはブランコとベンチと、今時珍しいグローブジャングルジム。最近は「危ないから」と撤去されているようで、滅多に見なくなったのに。

 隅々まで虫眼鏡まで持って観察するオタクは放っておき、私はまじまじとジャングルジムを見つめる。ちら、と周囲を見渡すも誰もいない。菅野はブランコの底を見ている。よし。

 キイ、と軽く回してみて、そのまま飛び乗って足で地面を蹴る。遊具には、大抵体重制限がある。大の大人がやっていいわけがないのだが、どうにも子ども心が疼いた。蹴って蹴って、どんどん回す。

 ああ、なんて愉快なんだろう。大人になれば、上に登らずとも視界がよく、足で蹴り続けることができる。楽しい。そういえば、あの時も結局みんなでちょっとだけ遊んで返ったんだっけ。近くのコンビニでお酒を買って、酔っ払いながら、げらげら笑って、よく通報されなかったものだ。残念ながら、彼だけは楽しめなかったようだったけれど。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 どんどんスピードが上がる。世界が横にスライドしていくのが楽しくてたまらない。子どものころ、自分を中心に世界が回るのが面白くて仕方なかった。ひょっとしたら、車を走らせることが趣味の大人が多いのも、そういうことなんだろうか。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 景色が段々とただの線に変わってゆく。無機質な建物のグレーと、時折見える灯りのオレンジ、遊具の赤。ブレてしまった写真のように、視界が変わってゆく。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 横線だらけの中に、何かが特別見えた気がして目を凝らす。ギィギィと悲鳴をあげる音などにかまけていられない。何かを確かめるまで、辞めるなんて選択肢はない。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 首をまっすぐ向けた先、私の顔が見えた気がした。すごい、残像まで出てくるほどのスピードになった。もしかすると、さっきのは私の残像のかけらだったのかもしれない。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 もっと私の姿が鮮明になっていく。私の全身が見えるまで、これを続けたい。私のすべてを、私の目で見てみたい。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 必死に右足を動かして、やっと私と対面できた。にっこりと笑うその顔に、思わず笑い返す。やっと会えた。前髪を横にながして、カーキのジャケットに黒のスキニー。紛れもなく、私だ。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 頑張ったら、さらに私がよく見える。足がちぎれそうな程力強く地面を蹴る。話しかけようにも、言葉が出てこない。そんな私を見兼ねて、向こうの私が手を振っている。そうだ、やっと見えたのに、こんなところでやめちゃいけない。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 向こうの私は今度は両足を台に乗せて、口をぱくぱくさせている。何か言っている?


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 何と言っているのだろう。「あ」「あ」「い」「え」?分からない。もう一度言ってくれないと、分からない。お願いだから、もう一回。


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 もう一度彼女が口を動かしたあと、彼女は両手をばっと広げた。分かった。私は感覚のない右足をかろうじて台にのせ、彼女と同じく捕まっていた手を離し、両手を広げた。

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