Ep.18 逃げるなよ

「その勝負――わらわは受けて立つぞ」


 Zainと真っ向から対峙した朔夜が言った。

 握りしめた左の拳は、わずかに震えている。


「ほぉ? そいつァ嬉しいな」


 Zainはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

 朔夜の見せた覚悟に、少し驚いたように。

 

 だが俺は、そこで口を挟まずにはいられなかった。


「待て……朔夜、ダメだ」


 隣にいる彼女の目を見て、軽く目眩がした。


「俺たちが負けたら、お前は……っ」


 言う前から、わかっていた。

 その瞳を見て、悟ってしまった。


「そんなこと、最初からわかっておるわ」


 今のこいつは、俺の言葉なんかじゃ動かないと。

 こいつの覚悟は、もう、――


「それに、お主もわらわも、心配することは何もないだろう?」

 

「ほォ……嬢ちゃん、そいつァどうしてだ?」


 Zainは試すように、朔夜に問うた。

 そして朔夜は間髪入れず、人差し指をZainに向けて、



「わらわたちが、勝つからだ!

 わらわとカナタが、必ずお前を倒す――!!」

 


 朔夜の宣言に、俺はハッとした。

 

 店内にいた全員の視線が、気づけば朔夜に集まっていた。コレットとモニカは驚いて顔を見合わせているが、店長だけはひとり黙って腕を組み、誇らしげな笑みを浮かべていた。


 すると、少し間をおいてZainは笑い出した。


「ッ……ハハハハッ! そうかそうか、こいつァおもしれェ!!」

 

 店内に響き渡る、豪快な笑い声だった。

 しばらくして、笑い疲れたように俺を見て、


「……だそうだが? オマエはどうすんだ? Boyボーイ!?」


 今度は俺を試すように、たずねてきた。

 サングラスの奥の両目を、何かを期待するように細めて。


 ふと、隣にいた朔夜の顔を覗きこむ。

 かといって、今さらくこともなかったのだが。


 ――答えはひとつだろう?


 その朱の瞳に、言われた気がした。


「……わかったよ。受けてやる」


 俺の躊躇は、いつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。

 もっとも、相棒がこう言っているのだ。そんなもの邪魔なだけだ。


 俺の言うべきことは――“答え”は、ひとつしかない。


 


「DJ Zain……アンタは、俺たち【Executorエグゼキューター】が倒す」



 

 Zainが満足げに笑った。

 これでよかったのだ、と俺は自分で自分を納得させる。


「ンじゃあ、決まりだな」

 

「ああ。決闘は三日後……日曜か?」

 

「おう。オレは学生から学ぶ機会まで奪うつもりはねェからな」

 

「……アンタが理解ある大人で助かるよ」

 

 リアルタイム配信という前提があるのだ、世間の人間が休みの日曜に行うというのは理にかなっている。それは裏を返せば、Zain本人には本当にそこまでするだけの覚悟があるということだが。


「決闘場所と時間は今オマエに送っておいた。あとで見とけ」


 Zainは一瞬ディスプレイを操作して、また閉じた。

 

「またな、“Kids”。次は決闘で会おうぜ」


 そう言って、Zainは俺たちに背中を向けた。

 重厚な上着がなびき、その大きな後ろ姿が遠ざかる。


 そしてふと、奴は足を止めて顔だけ振り向き、


 


「――

 

 


 低い声音で、そう忠告してきた。

 一瞬緩みかけた気が、再び引き締まる。


「逃げねぇよ」

 

「ッハハハ!! オマエのその強気な姿勢、オレは嫌いじゃないぜ」

 

 高笑いを続けながら、Zainはひとり出口の扉に手をかけた。


「邪魔したなァ、エンツィアンのLadyレディたちよぉ」

 

「ああ。二度とそのチャラついた面見せるんじゃないよ」


 店長が言い放った言葉には反応することなく、Zainは大人しく店を立ち去る。従者らしき数人の男は最後まで店長や俺たちにガンを飛ばしながら、Zainに続いて店をあとにした。


 張り詰めていた場の空気が、少しずつ緩んでいく。


 しばらくして、蚊帳の外だったユーガが口を開いた。


「行っちゃったっすね……」

 

「ああ……本当に用が済んだら帰ったな、あいつら」


 奴のクラン【Desperado】は、ただでさえガラの悪い連中の集まりだ。どこかで仲間がキレて乱闘騒ぎにでもなるのではと思っていたが、何事もなく終わって拍子抜けする。


 何事もないのが一番だが。


「……にしても、デカい約束取り付けちまったもんだねぇ」

 

「ですね。それも全世界配信だなんて……」

 

「おれとしては、カナタ先輩たちの戦いをリアタイで観れるなんて嬉しい限りっすけどね!!」

 

「それ絶対スポーツ中継か何かだと思ってるだろ……」

 

 しかし実際、PvPデュエルのリアルタイム配信なんて初めてのことだ。全世界の人々に見守られながらの戦いなんて、プレッシャー以外の何ものでもない。


 俺一人であれば、重圧とリスクに負けて断っていた。


「でもまあ今回は、朔夜の後押しのおかげだな」

 

 隣でまだ突っ立っている朔夜に、声をかける。


 心配はいらない。

 彼女がそう言ってくれたことで、俺の考えは改められた。


 リスクの重大さばかりを気にしていては、前に進めない。

 それさえも跳ね除けて、ただ勝てばいい。


「ありがとな、朔――」


 俺は珍しく本気で礼を言おうとするが、途中で言い淀んだ。

 朔夜がさっきから、微動だにしていない。


「朔夜? おい……」


 試しに肩を揺さぶってみるが、反応がない。

 近くにいたコレットが彼女の顔を覗きこみ、半目になった。


「カナタ様……ダメです。気絶フリーズしてます」

 

「マジかよ……」


 おそらく、Zainに楯突くところですべての気力を使い果たしたのだろう。なけなしの勇気の使い所としては間違っていないが、こちらとしてはなんとも言えない後味にさせられる。


 俺の相方は、どこまでいっても締まらない……。

 



      ◇◇◇




 時刻は18時過ぎ。

 ビルの地下に店を構える《ENZIAN》から出てきたZainと数人の仲間は、外で待ち構えていた二台のセダンにそれぞれ乗り込んでいった。荒廃したビル街に不釣り合いな二台の高級車は、最寄りのワープポイントに向けて発車する。


 ここ第13廃棄地区は、その名が示す通り「廃棄された区域」ゆえに、プレイヤーが使用できる《ワープポイント》が存在しない。カナタほどの物好きでなければ、到底寄り付かない場所といえるだろう。


 まさにこの街は、執行者の「隠れ家」といえた。


「にしても、Dプレイヤー狩りの筆頭が、まさかこんな辺鄙な街を拠点にしてたとはなァ……まるで逃亡犯じゃねェか」

 

「ハッ……言えてるっすね、兄貴」


 Zainの皮肉に、後部座席のメンバーが同意する。


 助手席に座るZainは肘をつき、車窓からの風景を眺めていた。

 運転手を務める無精髭の男は、Zainが最も信頼を置く親友だ。


 雨の降りしきる中、彼は重々しく口を開く。


「なぁZain……本当にあれで良かったのか?」


 窓外に視線を向けたまま、Zainは答える。


「何がだ?」


「……引退、がどうとかの話だよ。何もそこまでして、アイツらに譲歩することなかっただろ。そんなことしなくたって、あのガキ共なら……」

 

「譲歩? ハッ、何抜かしてんだマイフレンド」


 座席に深く腰掛け、Zainは横目で運転席の親友を睨めつける。

 その威圧感に、彼はハンドルを握りながら冷や汗を流した。


「オレぁなァ、アイツらを釣るためだけにわざわざ引退を選んだわけじゃねェんだよ。そこんトコ履き違えんな」

 

「じ、じゃあ……どうして引退なんて……まさか、あのクランが嫌になったのか?」

 

「バカ言え。だが、あえて言うなら、そうだな……」


 ドライバーの問いに、Zainは逡巡する。

 雨足の強まる中、ふと顔を上げて、


 

「――“引き際”だ」


 

 独り言のように、呟いた。


「っ、Zain……お前……」

 

「アイツらは、カガミ兄弟の件もそうだが……この一週間かそこらで功績を上げすぎた。運営がアイツらの存在に気づくのも時間の問題だろ。ここまで来たら運営様も黙っちゃいねぇ――近々、この勢いに乗じて必ず何かしらの手を打ってくるはずだ。Dプレイヤーオレらの時代が終わるのも、案外近ェってこったよ」

 

「……つまり、無様に散るのをただ待つより、ここいらで華々しく勝ち逃げしとこうってワケか?」

 

「まァ、そういうこった」


 Zainが助手席で煙草に火を点ける。

 煙草をくゆらせながら、Zainは流れていく景色をただ見つめた。


「仮に、オレが全世界への配信なしで引退せずに勝ったとしても……運営はなおのことアイツらの後ろ盾になって潰しに来るだろうさ。オマエらには散々カッコつけてきちまったが、ここはクレバーに引き際をわきまえとくべきなんだ。悪ィな……」

 

 サングラスの奥の瞳に、諦観の念が滲む。


 せめて最後は華々しく――それを第一に考えたZainの決断は、仲間たちにとっては重く、反論のしようがない無念としか言いようがなかった。自分たちの長の決断を、尊重するしかなかったのだ。


 しかし、一転――


 

「だが――当然負けてやるつもりはねェ」

 

 

 Zainは強気にそう言い放った。

 黙って聞いていた後部座席のメンバーたちも、皆一様に顔を上げた。威勢のいい普段通りな彼の発言に、揃って安堵の笑みを浮かべる。


「なんたって、オレの“引退試合”だ。派手に暴れてやるさ。全力でなァ!」

 

 その胸に宿る熱い闘志は、まだ消えていなかった。

 





 

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