Ep.17 宣戦布告

 店内の空気が変わるのが、手に取るようにわかった。

 

 その男の来客は、平穏だった《ENZIAN》の雰囲気を真正面からぶち壊した。その有り様はまるで、人間の楽園を踏み潰しにきた巨人のようだった。


 

 招かれざる客が、そこにいた。


 

「おいおい、なんだァ? 嬢ちゃんたちまで、そんなコワい顔して」


 俺と朔夜から視線を離して、男は再び店内を見渡す。


 ホールの方を一瞥すると、接客をしていたコレットとモニカが見たことのない形相で男を睨んでいた。店長の反応から、言われなくとも「そういう客」であることを察知したのだろう。


「それとも、これが“エンツィアン流”のもてなしか?」

「もてなし? アンタ、いつから自分が客だと錯覚してたんだい?」


 ジャンヌさんはカウンターから、厳粛な口調で言い返す。

 男は黙って、片眉を上げるだけだった。


「アンタらみたいなしつけのなってないならず者は、こっちからお断りだ。さっさとママのとこに帰りな」

「おいおい……このご時世、人を見た目で判断すんのは良くないと思うぜェ? 店長さんよ」

「あら、アタシはアンタのまで理解した上で言ったんだがねぇ」

「ほぉ……まさかNPCごときがそこまで考えてたとはなぁ。こいつァいい女だ。NPCじゃなかったら、俺が抱いてやったのになァ」

「冗談は顔だけにしときな。他の客の邪魔だよ」

 

 ジャンヌさんはきっぱりと言い捨て、それきり口を閉ざした。

 これ以上の会話は望めないと判断したのか、男は小さく鼻で笑って、


「そこまで言われちゃ仕方ねェな。だが、オレは客として来たワケでもねェんだ。用が済んだら出ていくさ、約束する」

「そうかい。じゃあ勝手にしな」


 店主の了解を取り付けて、男はこちらに歩み寄ってきた。

 こいつが「用がある」のが俺と朔夜なのは、最初から明白だ。俺が自分から席を立つと、朔夜は俺の背中に震えながらしがみついてきた。彼女にも、相手に立ち向かうだけの勇気はあるのだろう。


 男は俺のすぐ目の前で、足を止めた。

 俺とその大男は、真っ向から対峙する。


 190近くの身長がある男の眼を、俺は見上げる形となった。


「お前が『黒狐』のカナタか。今日は仮面はねェのか?」

「仮面したままお茶するバカがどこにいるんだよ」

「ハッ、そうカリカリすんなよ」


 余裕ありげに、その男は鼻で笑った。

 

「つーことは、お前ら二人が【Executorエグゼキューター】だな?」

「ああ、そうだ」

「ならよかった。オレは――」


 男が言い掛けた言葉に、俺は咄嗟に口を挟む。


 

「世界ランク7位、《ディスオーダー》使いのDJ Zainザイン

 違法クラン【Desperadoデスペラード】の創設者、だろ?」



 男は――いや、Zainは、一切表情を動かさない。

 毅然とした態度で、俺のことを見下ろしている。


「アンタの悪名は――ここにいる全員が知っている」

 

 巨悪を前にした怒りからか、自然と語気が強まった。

 俺は今、突然こいつに殴りかかられても何らおかしくはない。今目の前にいる男は、それほど傍若無人で、倫理観と分別のない奴らのトップなのだから。


 Zainの次の一言に、身構える。


「そうか。なら尚更、話は早ぇな」

 

 頬を持ち上げて、Zainは豪快な笑みをつくった。

 サングラスの下の灰色の瞳が、一瞬覗いたような気がした。


「オマエら、オレとPvPデュエルで戦え。もしオレが負けたら、【Desperado】のメンバーには全員、《ディスオーダー》を手放してもらう。もちろんオレも、クランのリーダーを辞めて相応の罰則ペナルティを受けてやるよ」


 堂々と、Zainは言い放った。

 後ろの従者らしき男たちの反応を見る限り、クラン全体での決定事項なのだろう。ここまでの大胆な条件を引っ提げてくるとは思わなかったが、現時点では断るだけの理由はない。


 面と向かっての、宣戦布告。

 Zainが入店してから、薄々感づいていたことだった。


「それと、先に言っておくが――」

 

 Zainはそこで、さらに言葉を継ぎ足す。


 

「決闘は三日後、



「…………は?」


 言葉を噛み砕いて理解するのに、時間がかかった。

 

 試合映像の、リアルタイム配信。

 それだけでは、特に驚くところはない。


 しかし、相手がDプレイヤーなら、話は違う。


「……アンタ、正気か?」


 こいつの言っているのは、つまりはこうだ。


 自分が《ディスオーダー》を使って決闘に挑む様子を、全世界のプレイヤーに――当然、運営側も認知できる範囲に――堂々と自分から公開してやる。自分の今犯している過ちを、大々的に公表するということだ。


 勝っても負けても、こいつは自分の首を締める結果となる。

 とてもじゃないが、正気の沙汰とは思えない。


「ああ、もちろん正気だぜ。

 オレはオマエらとの決闘をもって、【Under Brain】から“引退”する」


 Zainは臆面もなく、そう言ってのけた。

 その口ぶりに嘘の気配は感じられない。


(引退なんて……綺麗事みたいに言いやがって)


 言葉の端々に、わずかに苛立ちを覚える。

 しかし、今はそんなことで突っかかっている場合ではなかった。


「引退なら勝手にすればいい。俺はアンタの進退に興味はない」


 これは、Zainが持ちかけてきた「交渉」だ。

 そのための重要な判断材料が、まだ一つ足りていない。


「俺たちがもし場合、アンタはどうするつもりなんだ?」

「あ? なんだオマエ……もう負ける心配でもしてんのか?」

「判断材料として必要なだけだ。フェアじゃないだろ」

「……それもそうだな。悪い、別に騙そうとしたわけじゃねェんだ」


 帽子のツバを押さえて、Zainはふと頭を下げた。

 思ったより話の通じる相手で助かったが、逆に不気味だ。


「オレが勝ったら……そうだな、」

 

 Zainは少しばかり考え込む素振りを見せ、




「そっちの和服ガールの身柄を、【Desperado】に引き渡してもらう」




「――っ!」

 

 最悪の条件を、Zainは提示してきた。


「わ、わらわをか……?」


 俺の背で怯えながら、朔夜は小さく呟いた。

 Zainの視線は、今度は俺の背後に向けられる。


「あぁ。なんでも最近のオマエらの躍進は、全部その嬢ちゃんのおかげらしいじゃねェか。戦闘記録ログも見て、オレは確信しちまった。この黒髪のKid一人じゃあ、カガミ兄弟には逆立ちしたって勝てやしなかったってな」


 紛うことなき正論だった。

 俺は反論するための言葉を探すのを諦めていた。


 だが、だからといって朔夜の身に危害が及ぶのは見過ごせない。

 前提として、受け入れられない。


「その条件は、呑めない」

「ほぉ? まだそのおチビちゃんの力が必要か?」

「……ただでさえ不利な戦いに、こいつの自由まで勘定に入れられるなら、俺は――」


 俺は、ここにきて日和っていた。

 これまで一緒に闘ってきた相棒の命を賭けの材料として差し出してしまえるほど、非情にはなりきれない。大事なものを危険にさらしてまでリターンを求める勇気が、俺にはなかった。

 

 それはもちろん、彼女を失った場合の未来も鑑みての決断だ。

 Zainの勝ち逃げ、一人勝ち……なんて結果は、ごめんだった。


 すると、躊躇していた俺の背中から、朔夜が離れる。


「……朔夜?」


 これまで怯えていたのが嘘のように、彼女は真正面から、俺の隣に並び立ってZainと対峙した。俺は唐突に、嫌な予感を覚える。




「その勝負――わらわは、受けて立つぞ」




 一言一句違わず、朔夜は言った。

 その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。



 


 

 

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