Ep.8 二人だけの秘密

 俺、彼方おちかた憂雨ゆうは現在ピンチに陥っていた。


 今俺のスマホには、【Under Brain】の世界から飛び出してきた電子生命体『朔夜』が住み着いている。朔夜はとんでもなく寂しがり屋でわがままなので、こうして昼休みを潰してまで話し相手になっていたわけなんだが――


 あろうことかそれを、同学年の女子に見られてしまった。


 一体、俺はどうしたらいい。



「……なんだ、先客か」



 彼女はそう短く呟いて、俺から目線を外す。

 

 髪型は黒のウルフカットで顎に黒マスクをかけており、そこそこ上背もある。どちらかといえばクールな感じのする女子だった。上履きの色は俺と同じ青だからおそらく同学年だが、パッと見面識はない。


 なんて、冷静に分析しようとしてる場合じゃない。

 今のを見られたんだ。何か弁明せねば。


「え、えっと……奇遇だね。いつから、そこに?」


 動揺で言葉遣いがキモくなる。

 余裕を装ったつもりが、これじゃ逆効果か?

 

「ついさっき。ていうか、彼方くんもここ来るんだね」

「え、ああ、まあな……つーか、名前……」

「ん? あー……」


 俺が狼狽えながら訊ねると、彼女は気だるそうに着崩した上着のポッケに手を突っ込んだ。というかこの人、夏なのに長袖カーディガンだ。絶対やばい。


「彼方くん、前にアンブレの世界大会かなんかで優勝?かなんかしたんでしょ。弟がそういうの詳しくてさ。そういえば私らは面識なかったんだね」

「ああ、なんだ、そういう……」


 別に優勝はしてないが。

 

「ちなみに、彼方くんは私の名前わかる?」

「え」

 

 彼女のまとうクールドライな雰囲気と裏腹に、流れるように会話は進んでいく。完全に彼女のペースに乗せられながらも、俺はなんとか無難な返答と体裁を取り繕った。


「……ごめん、分からない」

「まあ、そうだよね。じゃあ、自己紹介でもしようか」


 彼女はそう言うと、二段飛ばしで階段を上ってきた。

 咄嗟に俺はスマホをポケットに隠す。


「私は狼谷かみや。ウルフカットの狼谷かみや玲央奈れおな。よろしく」

「お、おう。よろしく」


 軽く後退りながらも、俺はひとまず握手に応じる。

 狼谷は俺の手を掴むと同時に、こんなことを訊ねてきた。


「――ところで彼方くん、さっき誰かと話してた?」


 言葉で心臓を直接突かれた気分だった。

 暗器のごとく飛び出してきた問いに、俺は流石に動揺を隠しきれなくなってくる。手汗でバレる前に手を解いておいて正解だった。


「ああ……ちょっと、電話しててさ」

「電話? にしては可愛い感じの声だったよね、その相手。小さい子供みたいな」

「そ、そうなんだよ。妹……っていうか、親戚の子でさ」

「ふーん、親戚かぁ」

「そ、そう! まだ小さくてクソ生意気でさ、ほんとに困っ」

 

 

『――親戚じゃないぞ! わらわは神の子だ!!』



 あー終わった。もう何もかもが終わった。


(ウソだろ、電源切ったのに……?)


 ズボンのポケットからしたその声に、狼谷もさすがに気づいてしまったようだ。驚くほど綺麗に響き渡った朔夜のクソデカボイスを聞いた俺は、思わず卒倒しそうになる。


「そうそう、この声だ。って、今のどこから?」

「……聞き間違いなんじゃねーかな」

『聞き間違いなんかじゃないぞ! わらわはたしかにここに』

「あーーーー!! うるせぇ!! 出しゃばんなこのやろ――」

「なにそれ、ちょっと借りるね」

「は?」


 俺がスマホに向かってキレ散らかそうとした途端に、狼谷は何故か俺の手からそれを抜き取った。完全に呆気にとられていた俺は、数秒反応に遅れる。


「なにこの子……AI?」

『ぬわっ!? な、なんだおまえ、近いぞ!!』

「ま、待ってくれ狼谷、返して――」


 ようやく気づいた俺が、狼谷の手元に手を伸ばしたそのとき。

 狼谷はその場から、


 十段近くある階段を、軽々と飛び降りたのだ。


「――っと」

 

 そして何事もなく、下の踊り場に着地する。

 もはやその一連の流れは、さながら体操選手のように見えた。


「ねえ、彼方くん」


 狼谷はゆっくりとこちらを見上げる。

 対する俺は、もう反論するだけの余力は残っていなかった。


「この子、一体なんなの?」


 小首を傾げる狼谷の顔は、微笑んでいた。

 その微笑は、どこまでも底抜けに魅力的で――


「秘密にするから、教えてよ」


 お前の秘密を掴んでやったぞ、とでもいうような。

 そんな悪戯っぽさを含んでいた。


 


      ・・・

 


 

「へえ……それじゃあ本当に、さくぴはゲームの中から?」 


 一定の理解を示した様子の狼谷に、俺はただ頷いた。

 

 あれから俺は狼谷の頼みを断るわけにもいかず、昨日あったことの一部と今朝のドタバタをかいつまんで話した。いざ真面目に説明してみれば、それはひどく虚構的で非現実的な現実リアルなのだと改めて気づく。


 しかし、意外にも狼谷は真剣な顔で俺の話に耳を傾けた。


「なんか面白いね。技術の進化ってすごいんだなぁ」

「こいつの場合はそういう単純な理屈じゃないけどな……」

『――そうだぞ! わらわはあの世界の神の子にして、唯一無二なる存在なのだ! 崇め讃えよ、狼の小娘よ! ぬははははは!!』

「……この子のこれは、なんかの宗教的なやつなの?」

「こいつはこれがデフォルトなんだ。無視してくれ」

 

 朔夜の面倒な性格にも、狼谷は素早く順応してくれた。

 この数分で、さくぴ、なんてあだ名で呼んでしまうほどに。


「こんな騒がしい子がスマホに住み着くなんて、彼方くんは人生楽しそうだね〜」

「大変そうの間違いだろ……」


 狼谷のよくわからない感性に戸惑っていると、下の階から昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえた。昼飯も一応済ませたし、もう教室に戻る頃合いだろう。


「んー、もう昼休み終わりかぁー」

「だな。俺たちもそろそろ戻ろうぜ」

「うん、じゃあ明日もここに来て。彼方くん」

「……は?」

 

 流れるように放たれた狼谷の一言に、耳を疑った。


「明日もここで二人で……ううん、話そうよ」

 

 さも当然のように、狼谷は笑いかけてくる。だがその薄い笑顔の裏には、「破ったらどうなるかわかってるよね」とでもいうかのような暗い圧力が確実に隠れていた。


「……わ、わかった」


 拒否する権利は、当然俺にはなかった。


「そう。それじゃ、また明日」


 ポケットに両手を突っ込み、狼谷は俺に背中を向ける。

 タイツに包まれたその脚で、今度はゆっくりと階段を下っていく。


「また会おうね、彼方くん」

 

 去り際、小声でそう残して。

 

 狼谷のすらりとした後ろ姿が踊り場から消えていくのを、俺は階段に突っ立って眺めることしかできなかった。やがてチャイムが鳴り止み、屋上へと続く非常階段に静寂が訪れる。


『おい、なんなのだ彼奴あやつは?』

「さあ……知らね」


 俺の短い昼休みは、そうして終わった。





 

 だるい午後の授業が終わり、早くも放課後。

 俺の気分は、またしても鬱屈としていた。


「今学期の遅刻、今日までで合計16回。自分でもわかってるな、彼方」

「はい」

「学期末に遅刻指導だ」

「はい」

 

 予想通りの説教メニューに、思わずBotと化してしまう。

 

 俺の放課後は、遅刻の件での担任の呼び出しによって潰されていた。遅刻については自分でも悪いという認識もあるし呼び出されて当然とは思うのだが、どうしてわざわざ放課後に呼び出すのか。しかも教室から遠い職員室前で。


(だっっっる)


 こんなことなら、朔夜とひたすら中身のない会話を交わしていたほうがまだマシだ。ただでさえ貴重な放課後の時間が潰され、俺は完全に説教の内容を聞き流してうわの空となっていた。


「まあでもな、俺もわかるぞ。受験を意識しなくていい時期の高校生なんて、みんなどっか手ぇ抜いてるからな。正直、俺もそうだった」

「……蛎灰谷かきばや先生も悪かったんすか?」

「ああ、そりゃあな。遅刻もサボりもしまくってた」

「え……ただでさえ今も課金しまくってて悪いのに……」

「なあ、俺そんな廃課金者じゃないって言ってるよな?」

課金灰谷かきんばや

「おいやめろ」


 蛎灰谷の説教を乗り越えるコツは、やはりこれだ。

 面倒な長話が始める前に、早く帰りたい。


「あー、まあともかくだ。夏休み前だからって、あんま気ぃ緩めんなよ。お前らにもし何かあったら、こっちは処理すんのマジでめんどくせーんだからな!」


 ツンデレかよ。おおよそ教師の台詞とは思えない。

 が、予想より早く終わったのでラッキーだ。




「はぁ……やっと帰れる」

 

 職員室から真っ直ぐ下駄箱に向かって、すぐに外履きに履き替えた。いつ終わるかわからない説教で待たせるわけにもいかないため、良悟りょうごたちには先に帰ってもらっている。今日の帰り道は一人だ。


『やっとかぁ? もうわらわはお腹ペコペコだぞぉ……』


 ひとり……ではなかった。


 スマホ画面のすみっこで、朔夜はわかりやすく項垂れている。サイズ的に操作に大きな支障は出ないが、ソシャゲとかやるときは邪魔そうだ。俺はやらないからいいけど。


「だいぶ待たせちまったな。悪い悪い」

『……お主、「悪い」と「わかった」で全部切り抜けようとしてないか?』

 

 こいつにしては割と痛いところを突いてくる。

 だが、本気で申し訳なさが芽生えてきているのは事実だ。


「わかったよ。じゃあさっさと帰ってお前の飯にするか」

『おう……できれば早くしてくれ』


 つま先で地面を何度か突く。

 ようやく昇降口を出たところで、スマホに着信があった。


 朔夜をドラッグしてどかし、通知のあったアプリを開く。着信は、【Under Brain】世界とこちらの世界をつなぐトークアプリ――『UB Chat』によるものだった。


 送られてきた文面に無言で目を通す。

 それだけで、大方の事情は察せた。


「朔夜……悪い、飯はおあずけだ」

『ぬぇええええええええええええっ!?』


 朔夜が予想通りの反応を示す。

 それから俺は、真っ直ぐバス停へと歩き出した。


 

「たった今、お前に手伝ってほしい案件ができた」



 俺の一日は、まだ終わりそうにない。

 

 


 

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