Ep.7 いざ学校へ
『学、校……』
愕然とした表情で、朔夜は俺の言葉を反芻している。
まるで本当にバグってしまったかのように、動かない。
『学校って……なんだ?』
「知らなかっただけかよ」
電子生命体なら、それくらい自分で調べてくれ。
朝食のハムエッグトーストをむさぼり食いながら、俺はPC画面の中にいる少女との対話を続けていた。傍から見たら俺は、二次元の美少女と会話しているやばい奴に見えてしまうだろう。なんかちょっと嫌だった。
「ともかく俺は、学校に行くためにすぐここを出る」
『それは……わらわをここに置き去りにして、か?』
「当たり前だろ。こんなデカいPC持っていけるか」
折りたたんで持ち運べるようなやつならともかく、流石にこのタイプのPCを学校にまで運んでいくわけにはいかないだろう。というか、こんなうるさい奴が入った電子機器を学校に持ち込みたくない。
『ぬぐぐ……それはつまり、またわらわは一人になるということか』
不服かつ恨めしそうに、朔夜はこちらを見つめる。
やはりこいつはどこか、寂しがり屋な一面があるらしい。
「そうだな。大人しく留守番しててくれ」
『……ちなみに、どれくらいで帰ってくるのだ?』
「どれくらいって……今日は普通に六時間だし、早くても16時くらいだな」
『はぁ!? そ、そんなに待てるか!! お主はわらわの主だろ、責任持ってわらわの面倒を見ろ!! こ、こんなの……育児放棄だぞ!』
「お前プライドとかないのかよ」
あくまで対等でありたいのか、それとも子供っぽく振る舞って従うふりをしながらわがままを貫き通したいのか……こいつの思惑がわからない。でも育児放棄はこいつの言い訳にしては言い得て妙だ。
「無理なもんは無理だ。こっちにだって生活がある」
ハムエッグトーストを牛乳で流し込み、クローゼットの前で制服に着替える。時計を見ると、あと十分かそこらでここを出発しなければいけない時刻だった。本格的にこいつに構っている暇はない。
……が、彼女は今度はなにやら一人でぼやき始めた。
『……いいんだな。本当に。わらわを置いていって』
「あ? なんだよ今度は……」
『怒ったわらわは……何するかわからんぞ』
「はぁ……たとえば何するんだ?」
ワイシャツのボタンを留めながら、話半分に朔夜の話を聞き流す。すると、もはや切羽詰まった状況の彼女からこんな答えが返ってきた。
『……自爆、する』
思わず手を止めて、振り返ってしまう。
その時点で多分、俺の負けだった。
「お前、今なんて……」
『自爆してやると言ったんだ! お主がわらわの面倒を見ないというのなら、わらわはこのパソコンとやらを道連れに自爆する!! お主との関係も全部、それで終わりだ!!』
「お前爆弾魔か何かなのか?」
最早ヤケクソ気味な彼女の言い訳に呆れつつも、口から漏れたのは引き攣った苦笑いだった。こいつが自爆なんてする度胸も証拠もないだろうが、「自爆できない」という証拠もまた同様に存在しない。今の朔夜には、それくらいは難なくやってのけてしまいそうな凄みがある。
そう、これはつまり――
「できない……だろ? どうせ、自爆なんて……」
気にした時点で負けの、泥沼心理戦だ。
『ふん、どうだろうな。わらわの能力は、わらわでもわからないからな。案外簡単にできるかもしれないぞ?』
もし本当にできるとしたら、困る。このPCはヘッドギアと同期して【Under Brain】をプレイできる環境にしてあるため、万が一にでも爆破されたら何が起こるかわからない。
そして何より、このPCは兄さんから譲り受けたものだ。
「……わかった。わかったよ」
リスクを無視できなかった俺は、折れるしかなかった。
「連れて行きさえすればいいんだろ。やってやるよ」
『ほ、本当か!?』
「ああ。ただし文句は一切受け付けない」
制服に着替え終えて、パソコンと向かい合い作業を始める。正直そっち方面の知識はあまりないが、やれるだけのことを試してみるつもりだ。
もう出発の時間には間に合いそうにないが、この際少しの遅刻なんてどうだっていい。背に腹は代えられなかった、それだけの話だ。
***
試行錯誤すること、十数分。
『おおお……! すごい、これがこっちの世界の眺めなのか!』
感慨深げに、朔夜は辺りの景色を見渡している。
電子生命体である彼女は、俺のスマホに住処を移していた。
スマホなら持ち運びできるし、彼女を退屈させる心配もない。
「これでもう文句はないだろ?」
『ああ! わらわの主は天才だな!』
俺がやったことといえば、PCのデータの一部をアプリでスマホと同期して、朔夜が行き来できるようにしてやったくらいのものだ。彼女のほうもある程度、臨機応変にやってくれてよかったと思う反面、朝の時間を潰されたのは正直辛かった。
時間的にはもう、遅刻は確定しているようなものだ。
「今学期ただでさえ遅刻ヤバいのに……」
しかしもう、俺はこいつと協力関係を結んだのだ。
これからはこの程度で泣き言を言ってられない。
玄関に鍵を掛け、ロックを確認する。
外に出ると、夏の蒸し暑い空気が肌を包みこんだ。
「
時刻はまだ8時過ぎだが、既にムワッとした熱気が外界を支配しているようだった。そういえば昨日から七月、夏も真っ盛りの時期だ。
『おっ、なんだあれ! この世界の海か!?』
スマホに居場所を移した朔夜は、当然暑さに辟易することもなく、スマホカメラから見える景色にはしゃいでいる。こいつはどういうわけか、スマホの画面とカメラの両側の景色を見ることができるらしい。
俺が住んでいるのは、湘南の海が遠くに望める海沿いの街。
高層マンションの一室で、今は一応姉貴と二人暮らしだ。
「あんまり騒ぐなよ。特に周りに人がいるときは――」
『いい眺めの家だな! お主金持ちなのか!?』
「……」
音量を抑えてはいるが、こいつの声はどうしてもよく通ってしまう。俺がスマホで電話をしているフリをしながら話していても、この変な会話の内容が聞こえてしまう可能性だってある。
(マジで大丈夫か、これ……)
もちろん、これはフリじゃない。
こいつの存在は、正直誰にもバレたくない。
ご近所さんにも、マンションの他の住人にも。
学校の、クラスメイトにも――
マンション前のバス停から、バスに揺られること二十分弱。
高校前で降車し、そこから俺は歩いた。
「間に合わねーか、ギリギリ……」
遅刻の件については、もはや諦めがついていた。
ただでさえ、このクソ暑い外気の中だ。教室まで全力疾走して大汗をかくよりは、体力を温存しつつ潔く遅刻を認める方が賢明だと、俺はそう判断した。
『なんだ? 同じような格好の奴がたくさんいるな!』
同じデザインの制服を着て歩く生徒たちの姿が、朔夜には不思議に映ったらしい。もう俺はあまり会話に専念できないが、なんとか電話のフリで体裁を保っていた。
バス停から坂を登ると、校門が見えてくる。
と、ちょうどそのとき。
「おあー! なんだ
背後から、馬鹿みたいにデカい声が俺を呼ぶ。
「悪い朔夜、一旦切るぞ」
『うぇ!? あ、ちょちょっと待っ』
スマホの電源を切り、すぐさまポケットに突っ込む。朔夜には少々悪いことをしたが、この状況では仕方あるまい。
直後、声の主は後ろからバシッと肩を叩いてきた。
「よう、プロゲーマー! 俺たち今日も遅刻だな!!」
「そんな爽やかに言うことじゃないだろ?」
「にはは! そうだなぁ!!」
この底抜けに明るい少年の名は、飯野。
サッカー部所属で天然な、俺のクラスメイトだ。
「お前、昨日も遅刻してなかったか」
「おう! 今日もばっちり寝坊した!!」
「大丈夫かよ……」
「いや〜、そういう憂雨パイセンも大丈夫なんすかぁ? ただでさえ今学期遅刻多いのに、こんなとこで遅刻しちゃっていいのかい!? 俺
「……馬鹿、急ぐぞ!」
ちなみに今のは彼のフルネームである「飯野快」と「いいのかい」をかけた巧妙なダジャレ――なんてクソどうでもいい解説は置いておいて、俺と飯野は校舎へと駆け出した。
急いでいる友達の手前、呑気に歩いてはいられない。
さっと上履きに履き替え、階段を駆け上がった。
チャイムが鳴り終わる。
「飯野と
担任
飯野が俺の目の前でスライディングをかました。
「もっと余裕持ってこいよなー。お前らもう高2だろー?」
ごもっともだ。ぐうの音も出ない。
「ちがうんすよ先生! 俺たち男子高校生は、ギリギリでいつも生きていたいんすよぉ!!」
「なんで言い訳がKAT-TUNなんだよ」
俺まで言い訳に含めないでほしかったが、遅刻取り消しが絶望的になった以上もうどうでもいい。大人しく、窓側の自分の席に座った。HRは既に始まっていたようだった。
事務連絡を伝えるだけのHRが終了する。
軽く汗を拭っていた俺のもとにやってきたのは、眼鏡をかけた長身の男子だった。
「よっす。一限目体育だぜ、早く着替えろよな」
「あー、悪い。急ぐわ」
彼の名は
俺の中学からの友達だ。
「お前、今日も遅刻かよ。遅刻数大丈夫か?」
「ギリ平気じゃね……今学期まだ十回かそこらだろ」
「残念、今日で16回なんだな」
「なんでお前が知ってんだよ」
他愛のない会話をしながら、俺は制服を脱ぎ捨てて鞄に突っ込んだ。中に着込んでいた体操服を整えて、良悟とともにグラウンドに向かう。一限目は俺の苦手な陸上競技だ。
こうして、俺のなんでもない学校生活が始まった。
スマホの中に閉じ込めた、
◇◇◇
『ぬおおおおおおおおおおおおおおい!!
長い!! どれだけわらわを放置する気だ!!』
それから午前中は色々あって、朔夜の存在を思い出したのは四限のあと――昼休みになってからだった。俺はあまり休み時間にスマホをいじるようなタイプではないため、こういうことはざらに起こりうる。
人目につかぬように、本来は立入禁止の屋上へと続く階段へこっそり移動したのだが、朔夜の声が余計に響く結果となった。こんなところでスマホの画面と会話しているなんてバレたら最悪だ。
「わかった、わかったから静かにしてくれ。頼む」
『ぐぬぬぬ……忘れておっただろ、絶対』
あながち間違いではないので反論できない。
まあそもそも、忘れてなくても教室内でこいつに構うことなどできはしないのだが。
「とりあえず、この休みの間は俺が話し相手になってやるよ」
『まあ、お主がそう言うなら……って、待て! おまえ、またわらわの前で飯を食うつもりか!?』
「なんか問題あるか?」
『わらわは昨日のあれから何も口にしてないんだぞ!! 飯テロだ、こんなの! 少しは配慮せんか!!』
飯テロだなんだと言われる筋合いはないが、朔夜の不満が募っているのは確かだった。早いところアンブレにログインして飯を食わせなければ、いつこいつが爆発(色んな意味で)するかわからない。
「んなこと言われても、腹減るもんは減るんだよ」
『あああ……なんだそのパンは……美味そうなのだ……』
「ハッ、そんな見ててもやらねーからな」
スマホの画面と会話しながら、購買で買ったクリームパンを
俺だって、こいつがいなければこんなところで寂しくぼっち飯をかましたりしない。友達と空き教室で駄弁りながら昼食をとったりするものだ。普通の高校生らしく。
『家に帰ったら、すぐあっちの世界で飯を食わせてもらうからな!』
「はいはい、わかったわかった――」
言質を取られつつも、俺は呆れて笑っていた。
手にしたスマホの奥に隠れていた、
(え……)
おそるおそる、画面から目を離す。
足下、階段の踊り場から、その人影はこちらを見ていた。
「……なんだ、先客か」
見知らぬ女子生徒が、そこに立っていた。
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