Ep.6 電脳少女
脳が強く理解を拒んでいる。
目の前の光景を、現状を。
「待て……ちょっと待て、お前……」
半分嫌になりながら、俺はパソコンの画面に近づく。
ワークチェアに腰掛け、そこにいる少女と対面した。
「なんで、そこにいるんだよ……」
『知るかぁ!! わらわが聞きたいわそんなこと!!』
やかましい声で、巫女服の少女は喚き散らす。
先程の《マグナ・オキュラス》との戦闘のときから姿は戻ってはいたが、たしかにあの少女で間違いなかった。ゲーミングPCの画面上に次元を移された彼女はこうして見ると小さく、まるで水槽に閉じ込められた人形のようだった。
ただ、怒ったときの声だけは相変わらずうるさい。
『はーやーくここから出せ!! 今すぐだ!!』
「いやどうやってだよ……無理だろ」
『無理ってなんだ無理って!』
「俺にはどうにもできないっつーことだよ。諦めろ」
諦めろ、なんて言われてすぐ黙り込むはずもなく。
内側から画面を叩きながら、彼女は必死になって訴えかけてくる。こいつ側は今どういう状況なのかわかったもんじゃないが、こいつが勝手にパソコンに転移してきた以上、俺にできることは何もない。完全にお手上げ状態だ。
それにそもそもの話、こいつは謎が多すぎる。
『おい聞いてるのか!! なんとかしろぉ!!』
「……とりあえず、ちょっと黙ってくれ」
PC本体の音量を下げ、理解の追いつかない現実をミュートする。
声を奪われた少女の姿は可哀想ではあったが、滑稽でもあった。
(マジでなんだこれ……夢か?)
訳の分からない事態の連続で少し本気で疲れたので、肘をついて目頭を押さえる。ゲームで拾った女の子が特殊能力(?)持ちでおまけに変なバグまで起こして現実にまで侵食してくるなんて、誰が予想できただろうか。
俺が現実を受け止めきれないでいると、
「ゆうくーん! いるー? ご飯できたよ〜!」
リビングの方から、俺を呼ぶ声が聞こえた。
時計を見ると、時刻はもう18時過ぎだった。ログインしたのが学校から帰ってきた16時半だったから、それなりに時間が経っていたらしい。出来事の密度に対しては短い気もしてしまうが。
(今日は理優が来てる日だったか……)
ワークチェアから立ち上がり、リビングに向かおうとして足を止めた。
巫女服少女は依然として、俺の気を引こうと何かを叫んでいるらしい。どうせ俺にはどうにもできないことだから無視するしかないが、このままPCも電源オンの状態で放置しておくのは躊躇われた。
「悪い、一旦消すぞ」
本体の電源を切ると、画面上の少女も消失した。
これでいいんだ、多分。
俺はそのままリビングへと向かった。
***
二時間後。
夕食を終え風呂に入ってまったり過ごしていたら、だいぶ時間が経っていた。そして正直、あの少女のことも忘れかけていた。
自室に戻り、一番に目に入ったPCとにらみ合う。
真っ暗な画面には、当然あの少女の姿は映らない。
「…………」
もしかしたら、あれは本当に俺の幻覚だったんじゃないか。
そんな身勝手な妄想が、風呂上がりの頭の中に浮かび上がる。
PCに美少女が住み着いた、なんて一昔前のアニメみたいなことが現実であるわけがない。ましてや俺のようなただのゲーム好きの高校生に、そんな奇跡みたいなことが起こるわけ――
「……そうだ、そうだよな」
あれは夢だった。そういうことにしよう。
ストレスを溜めすぎた俺の見た幻覚。……いや、幻覚を見るほどのストレスともなれば、病院にで診てもらう必要があるのかもしれない。この歳で精神科はごめんだ。
……どうでもいい考え事をやめて、PCを起動してみる。
いつも通り起動直後の画面でパスワードを打ち込む。
現時点で、異常はない。
そのまま何事もなく、メニュー画面に移る。
やはりだ。俺の思った通り、あいつはただの幻かk
『――ぬぉおおおおおおおおおおおおい!!!!!!
どこへ行っておったこの馬鹿者っ!! アホまぬけ!!』
罠だった。メニュー画面に、ちゃんとあいつは出現した。
思わず頭を抱えそうになりながら、音量を調節する。
『わらわを一人にするとは何事だ!! たわけ者!!』
「大袈裟だろ、こんなほんのちょっとの時間で」
『ちょっとじゃないわっ! 一体何をしていたのだお主は!!』
「飯食って風呂入ってテレビ見てた」
『なに普通に生活しておるのだ! わらわをおいて!!』
正直言って忘れてたから、なんて言えるはずもない。
相も変わらずチワワのごとき憤激を見せる少女は、俺のことを馬鹿だのまぬけだの好き勝手に罵ってくる。八重歯を覗かせるその幼い顔を、泣き腫らしたのか赤く染めながら。
「……なんだよ、寂しくて泣いてたのか?」
『――は!? な、ななな泣いてないわ!!』
「神の子……なんていう割には、やっぱり子供っぽいんだな」
『うるさいうるさいうるさい! しね! 加虐性愛者!!』
どこにそんな語彙の引き出しがあるんだよ。
すらすら出てくる少女の罵倒のレパートリーを訝しみつつ、少し可愛げのあるところもあるんだなと親しみやすさすら覚えてしまう自分もいた。
こいつは多分、性格は生意気だが、どういうわけか本当に『生きている』のだ。今思えば、電源の消えたPCの真っ暗な画面に閉じ込められたために、さっきまで泣いていたのかもしれない。
この少女は、俺の幻覚なんかじゃない。
確かにこいつはここに存在している。
こいつに助けられたことだって、事実なんだ。
「……悪かったよ。ごめんな」
ほとんど独り言のような謝罪を、少女に述べた。
『あ? な、なんだいきなり謝るな!』
「ただの独り言だよ。忘れろ」
『はぁ……まあ、なんだっていい』
少女の方もようやく怒りを忘れて、落ち着きを取り戻している様子だった。これをちょうどいいタイミングと思った俺は、改めてこの巫女服少女のことを調べてみることにした。まともなコミュニケーションを始めようにも、まだ俺はこいつの名前すら知らないわけだから。
「なあ、お前本当に何者なんだ? さっき……あの化け物を退治してくれたのは、お前なんだよな? あの力についても覚えてないのか?」
改まった俺の問いに、少女は落ち着いた様子で頷いた。
『たしかに、あれはわらわがやった。……けどな、あんな力、わらわだって知らなかったのだ。お主を助けようとして、お主に命令されて、わけも分からなないまま使った力だからな』
「つまり、お前でもどうして使えたのかわからないってことか?」
『ああ……なんか、できたのだ! 理屈は、知らないが……』
「そう、か……」
あの能力からも、なにも手がかりは掴めそうにない。となると、本当にこの少女の素性は謎のままということになってくる。イレギュラー中のイレギュラー、ということだけはわかっているが。
だが、こうして冷静に考えてみて、気づいたことがある。
(そういえばこいつの力……《ディスオーダー》のバグを中和してたな)
先の戦いで対峙した《マグナ・オキュラス》は、不正ツールである《ディスオーダー》がもたらしたバグによって生まれた〈変異体〉だ。〈変異体〉は存在そのものがバグのようなものであるため、放つ攻撃すべてが被弾対象を文字通り「バグらせる」特性を持っている。
バグによる汚染を受けた対象は、攻撃・防御機能はおろか通常行動すらも危うくなる場合が多い。だから俺もやつの排除に急行し、バグの被害を最小限に食い止めようと奔走したのだ。現にもう、やつの粒子砲をくらった街の一部は、データが損傷してバグり始めていたが。
それを踏まえて、この少女の使った力を振り返ってみる。
こいつが操っていた火の玉――《霊魂》と呼ばれていたもの――は、敵の攻撃を受けても「バグる」ことは一切なかった。それを使役するこの少女も、同様だ。
このことから、こいつはバグの影響を「受けない」、または「中和する」こともできるのではないか――と俺は仮説を立ててみたわけだ。
『お、おい……なんだ、急に黙り込んで』
思索に耽っていると、少女は俺を訝るような視線を向けてきた。
そんな彼女の立ち姿を見て、逡巡する。
もしかすると、こいつは――
「なあ、お前に一つ頼みがあるんだが」
『た、頼み? ずいぶん藪から棒だな……』
「俺と、手を組まないか?」
それは一種の、思いつきのようなものだった。
「今あの世界には、違法ツールの《ディスオーダー》を使う悪者と、それに影響された化け物たちが蔓延ってる。それらを退治して……あの世界を変えるために、お前の力を借りたいんだ。頼む」
なるべく噛み砕いて、少女に説明を試みた。
こいつがもし本当に、やつらのバグに対抗できるとしたら。
今の歪んだ《世界》を、変えられるとしたら。
俺の目的にとって、有用である他ない。
『うむ、力を貸すのは構わないが……』
一方の巫女服少女は予想外にも俺の要請を快諾し、きょとんとした顔でこちらを見ている。それはまるで、俺が「当たり前のこと」を言ったとでもいうかのように。
『お主……さっきわらわが言ったこと、忘れておるな?』
「ん? なんか言ってたか?」
『〜〜〜っ!! ほんとに忘れる馬鹿があるか! 言っただろ、「お主は今日からわらわの主だ」って! 一言一句
「あー、そういえば言ってたな」
強制ログアウトの衝撃が強すぎて忘れていた。
しかし、俺から協力を持ちかけるのはわかるが、彼女の方からこんな主従関係を結ぶことになんのメリットが?
『……だから、まあ、力は貸してやる。もちろん、お主がそうしろというのであればな』
「そうか、なら助か」
『ただし!! 協力してやる代わりに、お主はわらわにうまい飯を食わせること! それで関係は成立だ、いいな!?』
結局は飯かよ。
彼女らしいといえばらしい要求だが、それで利害が一致するのであれば越したことはない。こいつ一人分くらいの食費なら、余裕で賄える。
「わかったよ、それでいい。よろしくな、」
先程の彼女の台詞を踏襲しようとして、口籠った。
結局のところ、こいつにはまだ名前がない。
巫女服の少女で「巫女服少女」なんて安直な認識でいたが、さすがに名前がなくては俺もこいつも不便だろう。「お前」なんて他人行儀な呼び方をいつまでも続けるわけにもいかない。
「……お前、名前がないんだったな」
『ん? ああ、まあそうだな……』
「なら、今ここで決めろ。なんだっていい」
『!? わ、わらわが自分でか!?』
「他に誰が決めんだよ」
『……っ、お、お主だ! お主が決めろ!』
「はあ?」
画面の中から、少女は照れくさそうにこちらに人差し指を向けてくる。大方、どうせ自分で決めるのが面倒くさいというのが理由だろう。
『わらわの頭はそういうことには不向きだからな。主であるお主から賜った名なら、なんでも喜んで使ってやる』
「そうかよ……じゃあ」
『神の子であるわらわに、ふさわしい名にするんだぞ!』
(なんでもって言っただろ今……)
とはいえ、人に名前をつけるのは俺も初めてだ。
ゲームの主人公にニックネームをつけるのとはまたわけが違う。慎重に、こいつの恥とならないような名前を考える義務があるのだ。こいつの「主」となった俺には。
「……待て、ちょっと考えさせてくれ」
『おう! 悩め悩め!』
神、神の子……。
神の子でそのまま「
……いや、安直だ。やめよう。可愛すぎる。
巫女服、龍、霊魂……。
これらのモチーフからではかなり限られてくる。
そういえば、今日は七月一日の木曜日だ。
ここからは何か……
一時間後。
『おーい、まだなのだ? 退屈だぞ……』
本気で熟考していたら、いつの間にか時間が溶けていた。
こういうのは一度アイデアが膨らんでいったらキリがない。子供の名前を決める世の父親たちも、みんなこんな感じなのだろうか。
「よし、決まった」
ノートに書き連ねたアイデアの中から一つを、丸で囲んだ。シャーペンを置き、少女にも見えるように画面の前に半分に折ったノートを提示する。
悩み抜いた末、俺が決めた名前は。
「
『さくや……ってそれ、どういう意味なのだ?』
「『朔』は今日がちょうど七月の
『おおお……! 気に入った! わらわの名は今日から朔夜だ!』
実を言えば、『夜』の字はある人からとったものなのだが。あえてそんなことは言わずとも、彼女はこの名前を気に入ってくれたようだ。考えた甲斐があったというものだ。
『さっすがわらわの主だ! ネーミングセンスも抜群だな!』
「はいはい……じゃ、改めてよろしくな、朔夜」
『ああ! これからわらわの主として頼んだぞ、カナタ!』
「あー……悪い、それ俺の本名じゃないんだ」
『へぁ?』
カナタは、あくまで俺のアンブレでのプレイヤーネーム。
名付けの由来はもちろん俺の本名にあるのだが――
『じゃあなんなのだ! お主の本当の名は!!』
「…………
『ユウ?』
「ああ……『憂鬱』の『憂』に『雨』だ」
憂雨。憂鬱な雨。
実を言うと、俺はこの名前が嫌いだ。
俺を産んだ親が、俺を呪うためにつけた名前だから。
『な、なんか変な名前だな……』
「だろ。だから今まで通り、『カナタ』でいい」
『お主がそういうなら、まあそうするが……』
朔夜も納得してくれたようなので、これでよしとした。
名前も決まったし、これでお互い関係としては対等だ。
流れでもう一度【Under Brain】にログインしてみようかと思ったが、もう時間も時間だった。あとのことは明日からの自分に任せ、俺は早めに眠りにつくことにした。
2027年7月1日。
この日を、俺は生涯忘れることはないだろう。
***
翌朝。
アラームの音で、俺は目を覚ました。
「ふぁ……」
昨日は精神的に疲れていたからか、久しぶりに心地よい睡眠をとることができた。大きな欠伸をしたあとでベッドから降りると、PCの画面には例の少女――『朔夜』が待ち構えていた。
『ふん、やっと起きたか。遅いぞ!』
昨日の就寝前、朔夜がPCの電源が消されるのをあまりに嫌がったため、いっそのことつけっぱなしにしておいたのを思い出した。電気代は馬鹿にならないが、こいつが就寝中黙っていてくれるならそれに越したことはない。
「……朝起きたらまずは『おはよう』だろ」
『そうなのか? ならば……おはよう! 我が主よ!』
「ああ……おはよう、電気代かさ増し女」
『ああ!? わらわの名は朔夜だ!!』
もはや聞き慣れつつある朔夜の怒声。
これが、これから毎日続くのだろうか。
『よっし! お主も目覚めたことだし早速、あっちの世界へ――』
「あ、ごめんそれは無理だ。悪い」
『は? あ、ちょ、ちょっと待て!』
意気揚々とアンブレへのログインを誘ってくる彼女をスルーして、俺は急いでリビングへ向かおうと部屋のドアに手をかける。俺にはもう、こいつに構っている時間はない。
「なんだよ、無理なもんは無理なんだよ」
『どうして無理なのだ! お主だって、昨日は――』
「学校」
『へぁ?』
間の抜けた声を出す朔夜。
彼女に言い聞かせるように、俺は言い放った。
「今から俺、学校だから」
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